新自由主義や市場原理主義は相変わらずそこらじゅうで嫌われている。その理由には、市場に対する無理解や、ただ単なる市場化によって特権的な保護が奪われることに対する恐怖心というものもあるかもしれないが、それ以外にも理由があるような気がする。それは、新自由主義的な考えを主張する人たちがあまりにもあらゆる形の市場化を肯定するので逆に市場主義から遠ざかっていっていることがあるからだ。
新自由主義的な考えを主張する人たちは、保護や平等が競争を阻害し経済停滞や、逆に不平等・悪平等をもたらしていると主張する。しかし、そのような保護主義や平等主義が、経済に悪影響をもたらした非常に大きな理由はそれが一部のものだけを保護するものだったからである。本来は、すべての人を平等に保護し公正に扱わなければならないのに、恣意的に一部の者だけを保護したために経済全体が大きく歪んでしまった。にもかかわらず、新自由主義的な考えを持つ人たちは、平等や保護自体を否定しようとする。そこが、大きな問題点なのではないだろうか。
そして、その結果弱者の保護に反対し、弱者の保護をなくすことを主張する。また、特権的な保護を得ている労働者貴族の特権をそのままに、保護されていない労働者の市場をさらに自由化し市場化しようとする。これは、平等主義が一部のものの間だけの差別的な平等主義によって失敗したのと同じように、一番自由化市場化が必要なところを無視して、都合のいい部分を市場化する過ちではないだろうか?
恣意的で差別的な平等主義が失敗したから、恣意的で差別的な市場主義をすれば成功するはずだ。これはまるで、一部の人間を保護して特権的な地位を与える平等主義が失敗したから、逆に今まで保護されていなかった人たちの保護をさらに削れば市場が機能するはずだといっているようなものではないだろうか。結局は、ちゃんとした平等主義を取らずに失敗したのに、その結果間違った市場主義の正しさを確信する。結局恣意的に自分の都合のいいように物事を解釈しただけではないだろうか。このような、恣意的な発想が失敗の原因であるように思う。