車輪を再発見する人のブログ

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合成の誤謬 その2

2009年01月14日 | 経済学

前回の記事の続きで

完全にすべての資源が自由に移動でき、最適な状態で均衡すると考えると、そのような状態が好ましいと考えるのは当然だ。しかし、問題は多くの場合、特に短期的には資源の移動が限られており、すべての資源が自由に移動できるわけではない。限られた資源と、限られた範囲の価格や賃金が変動することによって社会は一時的な均衡状態を作り出しているに過ぎない。

ここで重要なのは、このような資源の移動が制限される状況においては市場が歪むということである。また、このような状況において過度に市場の力に任せると、最適な状況に至らないだけでなく、最適な状態とは逆の方向に向かっていってしまうことがあるということである。前回、説明したように不況時の短期においては、全体の効率と分配にトレードオフの関係が存在する。そのため、短期において市場を過度に機能させようとすると分配は逆に本来望ましい状態からどんどんと離れていってしまうことになる。

だから、このような分配の視点なしに短期の市場主義を貫こうとする点で市場主義者の主張は間違っているといえる。正確に言うと、本来はこのような状況において、市場がちゃんと均衡することを妨げている市場間の障壁を取り払う必要があるというのが、市場原理の元祖アダム・スミスの考えである。なぜか市場主義者と称する人たちが弱者保護を全否定し失業者がいるのなら供給が足らないのが原因だから賃金を下げるべきだと主張したりするが、アダム・スミスが主張したのはほとんどまったく逆で正社員と非正社員との間の垣根があるから市場が効率化しない、だからこの垣根をなくして自由に移動できるようにしようというようなことだった。

つまり、本来の市場主義というのは市場が正しいとか、市場が効率的だとか言うのではなく、市場に障壁があり資源の最適な配分を損ねている状態は好ましくない。そのような市場の障壁を取り払うべきだというものだ。そして、市場間の障壁が資源の最適な配分を妨げている場合には、その障壁を取り払うことは社会全体の効率を上昇させるだけでなく、分配という点でも好ましいものとなるといっているのだ。

瀬戸弘幸氏のところにこの記事をトラックバックします。市場に関する問題については右も左もちゃんと理解していない人が多いので多くの人に読んでもらいたいです。

正しい市場主義をという方はどうぞ。


合成の誤謬

2009年01月14日 | 経済学

合成の誤謬というのは、ミクロの世界で個人個人としては合理的であったとしても、マクロの世界で全体としてみた場合には合理的でないと状況を表現すのに用いられる。不況の説明のときにも用いられる表現だが、ケインズ経済学では合成の誤謬のために個人が消費を行おうとしないために社会全体の消費が抑えられ、社会全体として好ましくない状況が生まれ逆に各個人が不況で困ってしまうというように、不況を説明するときに用いられる。

しかし、この説明は実は不適切で誤解を招く。上のように表現されると個人個人がミクロでとった行動がマクロで意図しない結果を招くが、もし個人個人がマクロ的に最適な行動をとった場合にはマクロ的に望ましいだけでなく、個人個人の状況としても望ましい状況が発生するように思える。そう思えるのは、上の説明が社会全体を一つとして考える1部門モデルの説明だからだ。現実の経済においては、たくさんの分野に産業が分かれていて、それぞれの個人や企業はその産業で活動している個人や企業として最適な行動を取ろうとする。

その場合、不況というのは予想していたよりも需要が少ないことだ。しかし、設備投資はもうすでに投資してしまったものをなかったことにすることは出来ないし、急に施設を増設することも難しい。つまり、固定されていることが多い。この場合、企業が利益を最大化するとなると、最大限生産することは好ましくないことがある。なぜなら、より多く生産すると価格が下がるので、逆に利益が減少したりするからだ。だから、利益を最大化しようとすると逆に生産量を抑えることになる。そうすると、設備投資という資本が遊ぶことになるので、全体のマクロで見た場合にはマイナスとなる。

だから、各企業がこのような行動を取ると社会全体の生産が抑制され、不況が起こることになる。しかしここで重要なのは、マクロとして最適な行動は各企業にとってまったく好ましくない行動であるということである。なぜなら、マクロとして最適なように生産量を最大化した場合には価格がどんどん下がり逆に大赤字となってしまうからである。豊作貧乏という言葉があるが、まるで貧乏なのに増産することによって自らさらに貧しくなろうとしているようなものである。だから、生産量を抑えようとすることは社会全体にとって好ましくないかもしれないが、ミクロ的には完全に合理的な行動なのである。

同じように、個人が不況期において急いで就職しようとしたりしないのも合理的である。急いで仕事を得ようとすると自分の今まで身に着けてきた技術が生かされないかもしれない。また、今までやっていた仕事の労働市場は供給過剰で低賃金でしか雇ってもらえないかもしれない。つまり、資源が最大限に生かされることが社会としては最適かもしれないが、個人としては分配というもう一つの重要な要素があるために、それが悪化するのであれば資源の活用を最大化しない形で行動することのほうが合理的であることが大いにして存在している。

続く

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学者の思考回路

2009年01月14日 | 経済学

池田信夫blogの記事より

「派遣を禁止したら、かわいそうな派遣はいなくなる」という短期的な結果は誰でも予想できるが、それによって雇用コストが上がって失業が増えるという長期的な結果を理解するには(高校程度の)経済学の知識が必要だ。このように人々の善意が、その逆の意図せざる結果をもたらすというのがアダム・スミスの発見だが、これは直感に反するので、生活の中で自然に身につけることはできない知識である。どこの国でも市場や経済学者がきらわれるのは、人々の自然な部族感情に反するからだ。

池田氏に限らず学者や研究者、知識人の思考回路の基本に、物事を多面的に見なければならない、安直に考えてはならないというのがある。ここでは、部族感情という言葉で表されているが、一言で言うと「かわいそうとか」そういう直接的な感情に基づいて判断したり行動したりすることを意味している。これは、愚民思想の基本にもなっているし、ヨーロッパ思想の感情と理性の言葉を変えた表現でもある。だから、現実は単純ではないから直接的に感じた感情で行動するのではなく、色々な要素をちゃんと考慮して理性によって物事を判断しなければならないということだ。

しかし、このような主張の根本的な問題点は直接的な思考や論法が必ずしも正しいとは限らないということは、まったく直接的な思考からかけ離れた特定の思考や、直接的な思考の逆が正しいということを意味しないということだ。直接的な思考は動物的、感情的、情緒的と非難されるかもしれないがその思考方法自体が間違っているわけではない。必ずしも、正しいとは限らないということに過ぎない。

もう一つの致命的な問題点は失敗した原因として、直接的に思考せずに、理論や事実からかけ離れた特殊なものを採用したからだというのがあることだ。この話で言うと、日本が失敗した非常に大きな理由は「感情的」に可哀想だからと弱者を保護しようとしたからではなく、正社員という高所得者を保護し、弱者を置き去りにしたことである。つまり、そもそも弱者の保護を行おうとさえしなかったことである。そういう意味で、弱者を保護しなくて失敗したから、弱者を保護するのをやめようというのは意味不明や論法ではないだろうか。まさに、こんな論理的に無茶苦茶なことを主張するからネオリベの一部の人が不評を買ったりするのだろう。

意味不明なロジック反対という方はどうぞ。


政局の無意味さ

2009年01月14日 | ニュース

今日は少し政治でも語ってみます。

 国会は14日、2008年度第2次補正予算案と関連法案の参院での審議日程を巡って、与野党の対立が続いた。

 民主党の山岡賢次国会対策委員長は国会内で記者団に、「早々と妥協するわけにはいかない」と述べ、参院の審議には当面応じられないとの考えを改めて示した。自民党の村田吉隆国対筆頭副委員長は記者会見で、「(2次補正の)参院での審議を3日間とすることは絶対に譲れない」と述べ、早期成立の必要性を強調した。

 13日の参院予算委員会理事懇談会では、与党側は14日からの審議入りを求めたが、定額給付金に反対する民主党側は拒否。自民、民主両党の参院国対委員長が14日午後に協議するが、合意は難しい状況だ。 (読売新聞より)

まあ、何でも反対の民主党だからこうなることはわかっていたが、お約束の国会空転だ。問題の一つは、定額給付金であるが、これになぜ反対するのか、マスコミが大問題にするのか意味不明だ。定額給付金は、減税と同じようなもので特別それを問題にするようなものではない。景気対策としてすることが、道路工事なのか、他の公共事業なのか、減税なのか、色々あるかもしれないが景気対策であることには変わりない。それなのに、ほんの少しの違いを捕らえて、あたかもそれが大問題であるかのように大騒ぎする。

これは、「言葉狩り」と同じで結局はマスコミがどう思うかによってすべての評価が決まる恣意的な評価に過ぎない。マスコミが気に入らなければ、ほんの少しの違いや、問題点を大騒ぎしすべてを全否定する。逆に、マスコミが善であると考えればマイナス点を黙殺する。恣意的な報道に過ぎない。こんなマスコミに乗じて日本のことを考えずに政局で行動する民主党は信頼できるのだろうか?

ちゃんと報道しろマスコミという方はどうぞ。