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日韓歴史共同研究

2009年01月23日 | 政治

あまりにもものすごい内容なのでここでも取り上げておこうかとアジアの真実より

日韓共同研究: 神戸大 朝鮮半島地域研究 木村幹教授:読売新聞
 私事で恐縮だが、一昨年からはじまった「第二期日韓歴史共同研究委員会」の研究委員なるものを引き受けてから、もう1年半以上になる。委員会には、古代史部会、中世史部会、近現代史部会、そして教科書小グループの四つの下部委員会があり、筆者はそのうちの教科書小グループの研究委員を務めている。
 そもそも日韓間で最初に本格的な国家間プロジェクトとしての歴史共同研究が始まったのは、2002年のことであった。第一期の委員会には、筆者も研究協力者(委員の下で研究に従事するもの)として参加させていただいた。
 こうして開始された「第一期日韓歴史共同研究委員会」は、2005年に報告書を提出して終了し、2007年からは第二期の委員会がはじまった。筆者も目出度く(?)研究協力者から委員へと昇格した。しかし、仕事は厄介であった。すぐにわかったのは、日韓の間では、歴史教育の目的が全く異なる、ということだった。
 日本では一般的に、日本史や世界史に関わる「事実」を教えることに重点が置かれている。だから、各種の教科書から一定の「物語」を読み取ることは難しいし、また、教育現場でもその読み取りは重視されない。
 しかし、韓国では歴史的事実よりも、歴史に関わる「物語」に重きが置かれている。そこでは、「民族」の価値が強調され、近代史でも、如何に韓国人が日本に抵抗したかが、重視される。
 日韓の教科書の違いには、「歴史観」の違いが表れている。例えば、韓国人が歴史問題などにおいてよく使う言葉に「歪曲」がある。注意すべきは、この言葉が「歪曲された事実」という形だけでなく、「歪曲された歴史観」という形でも使われることだ。そこには、「絶対無二の歴史観」が存在し、それ以外の歴史は、事実の如何に拘らず「誤り」だ、という認識が存在する。
 だとすれば、日韓の間で妥協が成立するためには、日本側の歴史観が韓国のそれに合致する形で是正されるか、韓国式の歴史観そのものが変わる他はない。
 歴史問題については、よく独仏の例が参考にされる。しかし、両者でフランスが譲歩した部分も多かったことは余り知られていない。先行する事例を正確に観察してこそ正しい解決策が見出されるのではなかろうか。

まあ、このような無茶苦茶な学問の世界が未だに存在していることが一番の驚きなのですが。これが韓国だといわれればそれまでではありますが。

歴史と事実といえば、中国や韓国は未だにこんな感じですが、80年代以降特にそうだが日本史や世界史において客観的な事実に基づくちゃんとした研究が進んだ。(新書だと講談社から出ている「講談社現代新書―新書・江戸時代」のシリーズがわかりやすくて良いかもしれない。)昔は、ヨーロッパ中心史観が中心というか、ほとんどすべてで他は無視されていたがその状況がどんどん改善されていっている。今でも、中世のイスラム社会が近代との関係でちゃんと研究されていない等問題もあるが、日本史に関しては、客観的な研究が進んできているといえるだろう。

その点、未だに東京裁判史観を貫き、中国・韓国が虚構によって作り出した「歴史観」に左右される人たちがいるのは困った問題だ。客観的な研究がこの分野でも進むことを期待する。

少し時間が取れないので、しばらく手短になりそうです。

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