車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

生活保護の実態

2009年01月19日 | ニュース

博士の独り言「闇社会に消える税金」より、読売新聞の記事を元に

表題記事には、いわゆる、暴力団組員の生活保護「不正受給」について、「判明分だけで4億円」と示されている。これがすべての数値ではなく、あくまで、同紙の調査に対して自治体から回答があった分から。また、回答分の中でも、各自治体でこれまでに判明している分をもとにした数値である。ということは、対象が「対象」だけに、示されている不正受給額「4億円」は、「氷山の一角」である可能性が高い、と。この様子が同記事から読み取れる1つである。また、実質的に、暴力団組員に対して“支給”してしまった生活保護費は、その正体が露呈して不正受給であることが判明し、たとえ、一部で返還請求をなしたとしても、自治体に戻される金額は僅少である。ということは、一旦、暴力団組員の手に渡った生活保護費は回収が難かしく、ザルに水、に等しい。また、返還請求も満足に行っていない事例が多いことを、同紙面は指摘している。

このブログでも何度か指摘してきたとおり、生活保護等の社会保障制度が適切に運用されていないという事例だ。生活保護が本来は生活困窮者に行くべきものが、このような違法な暴力団組員への支出に消えている。ヤクザ・・在日と普通の日本人で対応が違うという話もよく聞く。このように、日本政府は社会保障制度を軽視し、弱者の保護をないがしろにしてきたことは、これからもよくわかる。これからは、本当に保護を必要としている人たちに保障が届くようにしていく必要があるだろう。

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平等に関する複数の観点

2009年01月19日 | 経済学

平等を追求することは社会にとって望ましいのか。平等は社会にとって必要なものなのか。このような問いを投げかけると、色々な反応が返ってくるかもしれない。平等は必要だ、平等を追求していくことが重要だ。平等を追求しすぎることは、個人のやる気を殺(そ)ぎ、社会の生産性を停滞させる。自由競争でいくべきだ。賛否両論、あるだろうが、私はまず平等にはいくつかの側面があることを理解する必要があると思う。

社会の平等性を図るのに、収入を比べるということはよくなされる。年収一千万の人もいれば、年収三百万の人もいるかもしれない。この年収の格差が小さければ小さいほど、その社会は平等だ。この社会の所得の分布がどれくらい平等かを図る指標としてジニ係数がある。これが高いとその社会の所得分配が不平等だということになる。

しかし、結果がどれだけ平等かどうかも重要かもしれないが、その過程がどれだけ平等かどうかも重要ではないだろうか。同一労働・同一賃金という言葉がある。同じ労働であれば、同じ賃金が支払われねばならないということだ。現在の日本においては、正規社員とそれ以外とで著しい格差があるが、このような意味で平等を図るとすると問題があるだろう。

この考えをさらに広げて人間には能力差はあるかもしれないが、その成果に対しては同じように評価すべきであるといえるのではないだろうか。1時間に10の成果を上げられる人もいれば、1時間に5しか成果を上げられない人もいるかもしれない。しかし、報酬が10の成果の人は10、5の成果の人は5だとすれば納得いくかもしれないが、同じ成果の中で報酬がまちまちであれば不公平だといえるのではないだろうか。この考えは、必ずしも完全な平等を主張してはいない。しかし、報酬が支払われる基準において、平等な基準が適用されることを主張していると言って良いだろう。

わかりやすく数式で表すと(わかりやすいのか不明だという人もいるかもしれないが)、収入=成果の量×単価ということになる。収入のほうに、意識が行ってしまう人もいるかと思うが、単価の部分に集中して不平等の問題を考えてみることも必要ではないだろうか。成果の量が違うのであれば、格差も仕方がないかもしれないが、単価が違うことによって格差が生まれているのであれば、それは本当の意味で能力や努力とは関係ない不平等が存在しているということではないだろうか。

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