車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

左翼思想という差別主義

2009年01月10日 | 反左翼論
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なぜ左翼は失敗したのか?これは、なぜ共産主義は失敗したのか、なぜ社会主義は失敗したのかと言い換えてもいいかもしれない。共産主義は、悲惨な圧制をもたらし、ロシアや中国は言論の自由がなく、不平等で官僚という特権階級が支配する社会だ。社会主義的な思想も日本・ヨーロッパにおいて平等な社会をもたらすことに失敗した。

理由を一言で言えと言われたら、私はそもそも左翼は平等を信奉していなかったからだと答えるだろう。この意見には違和感を感じる人もいるかもしれないが、左翼が平等を信奉していないというのは事実である。共産主義国においては、慢性的な不平等がまかり通っていることはもう皆が知るところとなっているし、中国が都市民と農民とに別れた最も差別的な身分制度を保持してきたことは有名だ。また、先進国において左翼的な思想におかされた労働組合は、一部の労働者の特権的な権利を主張し社会全体の平等の妨げとなっている。つまり、社会主義国においても資本主義国においても、左翼思想は平等をもたらすことに失敗したのだ。これは、そもそも左翼思想が平等を信奉していなかったと考えるとすっきりするだろう。

言い方を変えれば、左翼思想というのは一部の人たちの特権的平等を求める思想だったといえるかもしれない。こう考えると、現在の状況を説明するのにわかりやすい。日本において、左翼の基盤となっている労働組合は、組合員の権利を要求しその結果他の非正規労働者や失業者との間の大きな格差を作り出してきた。これは、ヨーロッパにおいても同じことが言える。一度雇用された労働者の権利が過剰に保護されたために、雇用が減少し高失業率が生まれた。つまり、左翼思想は社会全体ではなく一部の身内内の平等を主張し、特権を要求してきたといえるだろう。

だからこそ、左翼思想は平等な社会を実現することに失敗し、特権階級の思想でしかなくなったといっていいだろう。そのため、現在の社会は本当の平等主義を信奉する思想を必要としているのではないだろうかと、私は考えている。

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派遣切りの意見対立を整理してみる

2009年01月10日 | 経済学
このような話題ばっかりなのも何なんですが、少しはっきりさせておきたいので。今日は、派遣きりの問題での意見対立を整理してみる。

まず、労働者を保護するかどうかという問題が漠然と語られることがあるが、これは二つにはっきりと分けて考えないと混乱することになる。日本で言うと労働組合によって守られている正社員に対する保護と、それ以外の失業者や派遣労働者に対する保護である。

まず、第一の対立点は正社員に対する保護をどうするかということだ。労働組合や正社員として給料を得ている人たちは正社員に対する保護を主張するだろう。それに対して、それ以外の労働者は正社員に対する過剰な保護に反対している。池田信夫氏のような自由主義的な考えの人たちも差別をなくすように主張している。

第二の対立点として、このような正社員が保護されている状態で、それ以外の労働者に対する保護を強化することに対する是非がある。正社員とそれ以外との格差をなくすように主張している人の間にも、正社員の保護を主張している人たちの中にも、両方の立場の人がいる。重要なことは池田信夫氏のような自由主義的な考えを主張する人たちの中に、このような保護が逆効果だとして反対する人たちがたくさんいることだ。

つまり、正社員を保護すべきかということと、それ以外の人たちを保護すべきかどうかという二つの点で対立しているのがポイントだ。

私の立場は、正社員の立場が保護され過ぎている状態においては、バランスをとるためにそれ以外の失業者や短期労働者に対する保護や保障を拡充することがある程度必要だと考えている。これはOECDの勧告とも一致している。

非正社員に対する保護が、逆に失業を増やすという意見に対しては、まず最低賃金の引き上げに関しては、各国で行われた結果、色々な結果が報告されており特に、失業を増やすという結果は出ていない。また、同時に職業訓練や失業給付の拡充を行えばわずかに増えた失業を補うことも可能だ。また、このような政策は現在の最大の問題である非正社員と正社員との賃金格差を解消することが可能だ。

次に、非正社員への保護に反対する論理的な可笑しさがある。まず、現在の問題が発生した原因は、正社員が保護されすぎたことである。そして、非正社員が保護されなかったことである。にもかかわらず、非正社員の保護の話になると、保護が失敗したと言い出して保護に反対するのはおかしな話だ。失敗したのは正社員に対する過剰な保護である。非正社員に対する保護ではないのである。

貸金法の金利規制の時もそうだったが、違法な取立てという契約を無視した行為がもたらした問題を緩和しようとして、金利規制をしようとすると、逆に借り手が困るとか法治主義に反するとか言って反対する人が出てくる。問題をもたらしたのは違法な取り立てである。なのにそれに真っ先に反対せず他のものに反対するのはおかしいのではないだろうか。

本来は労働者全体を保護すべきだったのに、一部の者だけを保護してしまって失敗し、他の労働者を保護しようとしたら、保護が失敗したのだから保護に反対だと言い出す。失敗したのは、一部の者だけを保護する政策である。保護政策が失敗したのではない。一部の者だけを保護する政策が失敗したのである。