格差を肯定する政策、格差を容認する政策の見事なまでも失敗は印象的だ。日本においても、アメリカにおいても高所得層に対する保護政策や財政的な補助は惨憺たる結果をもたらした。現在、アメリカにおいてはベイルアウト(政府による金融危機回避のための資金援助政策)が高所得者である金融関係者の所得と雇用を保護しただけで、実際の経済に対する効果がほとんどなかったことが大きな問題となっている。日本においても、バブル崩壊後政府により銀行を間接的に支援するゼロ金利政策や、直接的な資本注入政策が取られたが、それらのものは銀行員の高所得と、銀行の非生産性を延命させただけで経済全体に対する大きな効果をもたらすことはなかった。その意味で、高所得者を保護することが経済全体に必要だして執られた政策の失敗は明らかだ。
市場主義者や自由主義者の中には、市場競争や自由競争が必要だから格差を気にしてはならない、弱肉強食による適者適存によって非生産的なものを切り捨てる必要があると主張する人がいる。問題は、自由競争が行われるということと格差が正しい・広がるということは違うし、高所得者を保護することが自由競争をもたらすというわけではもっとないということである。そもそも、市場競争においては高所得の仕事には新規参入が発生し賃金が下がり格差が是正される過程で全体の効率が高まるという原理がある。だから、市場競争が重要だということは格差を肯定する必要があるとこは意味しないのである。それどころか、むしろ高賃金でありながら保護されている産業や雇用を市場競争や、間接的な雇用圧力によって賃金水準を調節する必要があるのである。
そういう意味で、日本他多くの先進国で行われた経済のための、高所得者保護政策は本来市場原理によって賃金水準を下げる必要があるところを、保護によって高所得と非効率、他との格差を温存した結果となった。さらに、このように非効率で高所得な仕事を温存したことは、人材という資源の分配において極めて大きな悪影響を与えたといえるだろう。それはそれまで雇われていた労働者という範囲だけでなく、これから就職する労働者に関しても大きな問題である。だから、少なくとも(雇用は守ったとしても)賃金を労働者のインセンティブを損なわないようにかなりの程度下げる必要があったといえるだろう。