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日本の発酵食品文化/チャイナネット

2012-01-29 07:00:28 | 日本を見つめる世界の目
日本の発酵食品文化

チャイナネットが、日本の発酵文化を紹介しています。

http://japanese.china.org.cn/life/txt/2012-01/27/content_24484619.htmからの引用です。

ほのかな甘みの日本酒、濃厚な味わいの味噌汁。これらは日本料理を味わう際に欠かせないものだが、この味を作る決め手は「発酵」にある。2011年11月、日本政府は日本の伝統飲食文化である「和食」を世界無形文化遺産にするべく登録準備に着手した。和食の特徴は、様々な発酵食品にある。発酵文化が和食の出発点といってもいいだろう。在日外国人記者センターの一員として、新華社記者は先ごろ、その他外国人記者とともに「発酵の故郷」である千葉市神崎町に向かい、発酵文化の魅力を体験した。 

神崎町は東京の東南約80キロにあり、面積は約20万平米、人口は約6,500人。日本最大級の河川である利根川が、街の東側をなだらかに流れる。町長の石橋輝一氏によれば、江戸時代から神崎町は、当地の米や大豆、良質の地下水によって、醸造酒や味噌、醤油などが作られ、利根川から船で運んで、江戸の人々にこれらを供給してきたという。 

寺田本家は創業1673年、330年の歴史を持つ蔵元だ。38歳の専務、寺田優氏によれば、飲食文化に変化が生じて日本酒市場が停滞する以前の10年前から、寺田本家では、手作業による醸造工程を復活させ、伝統的な醸造酒文化の継承を図ってきたという。伝統的な工程を経た醸造酒には独特な魅力が生まれる。酒桶によって醸造の時間が異なり、味も異なる。これらの魅力に多くの若者が引き付けられ、伝統的な醸造酒の工程を自ら体験するようになっている。 

寺田本家の醸造酒作りは、毎年10月下旬から4月初旬に行われる。寺田優氏の話によると、この時期が醸造酒造りに適した細菌が繁殖しやすいそうだ。 

日本酒の醸造の最初の工程は、洗った米を直径2メートルの巨大な蒸し鍋に入れて蒸すことから始まる。その後、これをすだれの上に広げて冷まし、適度な温度にしてこうじの繁殖を促す。 

2番目に、冷えた蒸し米をこうじ室の中に移す。こうじ室に入ると、記者の眼鏡がすっかり白く曇ってしまった。こうじの繁殖のために、この部屋は電熱線によって暖められており、36~37度になっている。寺田優氏は稲穂を取り出した。上半分が黒く変色している。コウジカビによるものだ。蒸し米に入っているこうじも、田んぼから採取したカビの一種である。田んぼでコウジカビが発生した場合、農薬によって殺さなければならないが、醸造酒作りにとっては欠かせない存在である。こうじの最大の役割は、米の中にあるデンプンをブトウ糖に分解することである。蒸し米は大きな木の板の上に寝かされる。3日経つと、こうじの効果によって米はすっかり一体化している。それをつまんで口に入れてみる。とても甘く、栗のような味わいだ。蒸し米がこうじに変わったのである。何人かの作業員が、かたまった蒸し米を細かく砕き、盆の中に入れる。そして隣の酒造室に運ぶ。 

3番目に、酒母造りだ。低温下でこうじと蒸し米、水を大きな桶に入れ、かき回す。時間がかかるが、酵母と乳酸菌を増加させ、発酵を促す工程である。寺田優氏は、かき回す過程で、酒蔵に住む目に見えない酵母菌と乳酸菌が入ってくるのだと説明する。 

作業員が持つ長い竹竿の先には、厚い木でできた板が付いている。かき回すための道具だ。酒母造り最大の見ものは、作業員がかき回しながら「醸造歌」を歌うところだ。めでたい歌詞によって単純労働を楽しいものに変える。また歌を歌うことでかき回す時間も計算できる。まさに労働と芸術の融合だ。 

その後、もろみを加えて水を入れ、40~50日発酵させる。大きな桶の表面には泡が立つ。記者は手でそれを取り、口に入れてみた。ヨーグルトより酸っぱい。自然の乳酸菌が作り出す強い酸が、有害な細菌の繁殖を防ぐと同時に、良質な酵母を育てるのだ。 

4番目の工程は、酒の濾過だ。酒母ができたら、ドラム缶のような大きな桶にそれを移し、再度こうじ、蒸し米、水を入れ、さらに35日程度発酵させる。桶の中をのぞくと、先ほどの泡よりさらに濃厚な泡が立っている。酵母菌によるものである。ここで蒸し米はブドウ糖に変化し、ブドウ糖は酵母菌により発酵して、徐々にアルコールとなる。糖化と発酵が同時に進行する独特な工程を、複合発酵法と呼ぶ。 

寺田優氏は、長い杓で乳白化した液体をすくい、一同に味わわせた。とても甘い。これをろ過して酒粕を絞り出し、清酒が出来上がる。このように、こうじ、乳酸菌、酵母菌などの活躍により、日本酒が作り出されるのだ。 

味噌の作り方も日本酒とほぼ同様で、発酵の力を必要とする。神崎町の農業法人「神崎自然塾」の代表、鈴木一司氏は、米や当地品種の大豆を栽培し、これら有機農作物を使って味噌を作っている。 

味噌の製造時期も主に冬に行われる。まず米を蒸してこうじを作る。その後、塩と蒸した大豆を加え、肉をミンチするのと同様の機械を使って粉砕し、水を入れて発酵させる。塩を入れるのは保存のためで、一般的に10分の1の塩が加えられる。こうじの米と大豆の割合は半分ずつである。こうじが多ければ多いほど、味噌は甘くなる。 

鈴木一司氏は、通常1年は発酵しないと、濃厚な味の味噌ができないと説明する。3年発酵すれば、さらに芳醇な味わいとなる。3年間発酵させた味噌が入っている大きな桶を鈴木氏が開くと、すぐに美酒に似た香りが漂ってきた。 

神崎町は「発酵の故郷」というイメージ作りに尽力してきた。ここで行われる酒蔵祭りには毎年3万5千人が訪れる。それ以外にも、毎年多くの人が東京などの都市から「神崎自然塾」による農業体験に参加している。そこでは種蒔き、草刈り、収穫、味噌作りなどが行われており、多くの人が発酵文化を学ぶようになった。鈴木氏は、「この20年で、神崎町の人口は減少し、活力が失われた。しかし発酵文化に対する関心が広がる中、神崎町は活力を取り戻し、若者も増加している」と言う。 

近年、農業や自然食品に対する関心から、神崎町に移住するひとが増えてきた。今年43歳になる周浦宏幸さんは東京の不動産会社で働いていたが、2009年に神崎町に移り、鈴木氏の植えた天然大豆を使った豆腐店を開いた。46歳の福士智之さんは千葉県松戸市の人だが、寺田本家の酵母を利用して、2009年にパン屋を開いた。 

これこそ、日本の発酵文化の魅力である。



丁寧に取材をして書いています。


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