北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

バラと廃墟の街、中世気分が味わえるゴットランド島 Visby

2020-12-06 12:43:39 | スウェーデン

 

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スウェーデンの南東バルト海の中に二つの島がある。

 

カルマルの近くだ。

 

陸に近い方がエーランド島。

 

ちょっと離れていて、大きい方が、ゴットランド島。

 

エーランド島は、橋でつながっている。

 

が、ゴットランド島は、船か飛行機で行くしかない。

 

ストックホルムの近くのニネスハムン港(1日数便あり)か、

カルマルの少し北のオスカルスハムン港(夏は1日2便。

あとは1日1便。ただし、夏は8月半ばで終わっている)から、船が出ている。

 

我が家の場合、後者を利用。

 

 

そして、その船のゴットランド島ヴィスビー到着は夜中の1時。

 

その時間に降ろされても・・・と思ったら、6時までは船にいてもいいとのこと。

 

 

さて、スウェーデンの10月はじめの朝6時に船から降ろされた。

 

1日1便の船を迎える心構えというものが感じられない港。

 

つまり、街中まだ、しっかり寝ている。

 

仕方ないので、島内をドライブして夜明けを待つことになった。

 

でも、歩いてきた人はどうするのだろう???

 

 

暗闇の中にシルエットだけ見えるヴィスビーの街は、ため息が出るほど美しい。

 

子供たちいわく、「アラビアンナイトの世界」。

 

中世の建物と巨大な廃墟が混在している。

 

通りがかりの人をつかまえて(ほぼ人通りがないから、至難の技)、

ドライブするのにいい場所を聞く。

 

旅の心得、現地の人から情報をとろう。

 

どうやら、北半分の海岸線を回るのが良さそうだ。

 

大きな洞窟もあるという。

 

美味しいレストランもあるらしい。

 

自販機で地図も手に入れて、いざ、出発。

(ツーリストインフォメーションも開いていないということよ。つまり)

 

ところが、地図で書いてある方向にすすんでいるはずが、

一方通行のサインに従っていると、また、同じところに戻ってきてしまう。

 

 

実は、ヴィスビーは、城壁で囲まれた街で、市街地から出るためには、

城門をくぐらないといけない。

しかも、中世の街並みが残っている。

 

つまり、道は狭く曲がりくねっていて、意思通りにはすすめない。

 

立体迷路の中をさまよった挙句、なんとか城外に出た。

 

後で、また、ここに帰ってこなくてはいけないというだけでも、気が重い。

もちろん運転手とナビゲーター(つまり夫とわたし)の関係も暗く重くなっている。

 

賢い子供達は、さっさと後部座席で睡眠に入っている。

 

あとは、海岸線にそって北上すればいいはず。

 

なのに、なんで、行き止まりになるの。

 

ゴットランド島は、夏のバカンスの場所。

 

海岸は、車が通り抜けられないように、袋小路になっていたのだった。

 

気まずく、幹線道路まで戻る。

 

 

そろそろ、街も起きただろう。

 

どこかで朝食をとろう。

 

子供たちも起きて空腹を訴え始めた。

 

良いと言われたレストランに行ってみる。

 

暗い。

 

掲示がある。

 

「夜のみ営業」。

 

 

観光ポイントのレストランならやってるさ。

 

海辺の街まで行ってみる。

 

確かにレストランはいくつかあった。

 

でも、全部、閉め切ったまま。

 

こうなったら、もうどこでもいい。

 

味はとやかく言わない。

 

ほら、困った時の地元の人。

 

「レストランねえ。もう夏じゃないからねえ。

 

開いているとこあるかなあ。

 

二つ隣の街まで行ってごらん」

 

行ってみた。

 

さすが、地元の人、よく知っている。

 

言っていた通り・・・開いていたところはなかった・・・

 

スーパーでパンとハムと牛乳を買って、車内で食べる。

 

よかったじゃない、安上がりで。

 

 

そうは言っても、ミュージアムはやっているでしょう。

 

バイキング村に行く。

 

駐車場に一台も車がない。

 

嫌な予感。

 

入り口に掲示。

 

「来年の夏まで開きません。

 

学校の申し込みがあれば、特別開きます。

 

連絡先はこちら」

 

そうはいっても、動物園はやっているでしょう。

 

ゴットランド動物園に行く。

 

入り口に掲示。

 

「来年の夏まで開きません」

 

でも、動物はいるんでしょう。

 

見せてよぉ。

 

柵越しに中を覗くが・・・・むなしい。

 

そうだ!大きな洞窟。

 

最大の目玉の観光地。

 

自然のものだし、それはみられるだろう。

行けなかったlummelunda cave (画像はウィキペディアから借りました)

 

駐車場には、数台の車。

 

大丈夫そうだ。

 

切符売り場に掲示。

 

「シーズンは終わりました。

 

15人以上の団体の事前予約があれば、開きます」

 

洞窟の前には、人工の鉄の扉が作られていた。

 

他の数台の車も、観光客だが、足しても15人にならないし、

事前予約じゃ、いずれにしても無理だ。

 

せめてもの救いは、ここでは、同じ思いをした人が他にもいたこと・・・・。

 

何の助けにもならないが、気休めにはなる。

 

 

やっぱり、ゴットランドはヴィスビーしかない。

 

ヴィスビーの街に戻る。

 

再び、城門さがし。

 

ヴィスビーは、観光が主な収入源だけあって、さらに、ウリが街並み、

ということもあって、シーズンと関係なくサービスが望める。

 

ヴィスビーの中のレストランももちろん開いている。

 

ツーリストインフォメーションは無料のガイドツアーも主催している。

 

決められた時間に決められた場所に集まると、

語学堪能なガイドが、街中を案内してくれる。

 

多分、ドイツ語も話せるのだろうが、今回のメンバーは

スウェーデン語組と、英語組。

 

以下の説明は、そのツーリストインフォメーションのガイドさんの受け売りです。

 

 

ゴットランド島。

 

面積は3140平方キロメートル。

 

人口は約60000人。

 

そのうちの20000人がヴィスビーに住んでいる。

 

 

ヴィスビーが栄え始めたのは、バイキング時代。

 

ロシア方面に進出したスウェーデンバイキングの最初の占領地といっても良いかもしれない。

 

バイキングの交易の中心地として栄えた。

 

というのも、島なので、船が寄港しやすかったし、バルト海上にあるので、

どこからのアクセスも便利だったのだ。

 

その後、ドイツ人が大量にやってくる。

 

そして、ハンザ同盟の貿易港として、最大の繁栄を迎える。

 

12世紀から15世紀のことである。

 

しかし、ハンザ同盟の衰退とともに、商業地としての活気は失われた。

 

今では、スウェーデンの夏のリゾート地である。

 

 

何しろ、そのハンザ時代の街並みがほとんどそっくり残っているのである。

 

ヨーロッパでも有数の交易地だった頃、いろんな国の人が来て、

教会を建てたために、ヴィスビーだけでも、16の教会があった。

 

商人たちの信仰心が厚かったのでしょうね。

 

どれも、すごく立派な教会。

 

ところが、その後、ドイツ人が大量に入ってきたり、デンマーク領になったりという

歴史の変遷の中で、唯一ドイツ人の教会だったサンタ・マリア大聖堂以外は

全て廃墟となってしまった。

その廃墟がまた、ヴィスビーの街に風情を加えている。

 

 

先ごろ、ヴィスビーで一番古い建物が売りに出されて、一億六千万円ぐらいで取引されたそうだ。

日本人には、驚くほどの金額ではないが、スウェーデンのしかもこの小さな町では

みんなでびっくりしたらしい。

 

その古い建物も高層住宅である。

 

そして、驚くべきことに、数百年前のその時代に、ダストシュートがもうけられていた。

 

ヴィスビーの目抜き通りに当たる海外通は、その昔、まさに海岸線にあった。

 

そして、そこが、商人たちの一等地で、金持ちの家が軒を並べていた。

 

それらの家は、4階建、5階建てなのだが、地下室の下にもう一部屋作ってあって、

それは、周囲の壁の隙間と繋がっていた。

 

住民は、その壁の隙間にゴミを落とすと、自動的に最地下のその部屋にたまるようになっている。

 

驚くのはそこから。

 

その地下は、潮の満ち引きを利用して、中のゴミが自動的に、

海に押し流されるようになっていたのだ。

 

すごいでしょ。

 

そして、そのため、ヴィスビーの海岸線は、ゴミが蓄積されていって

2メートルも陸地があがったのだそうだ。

 

つまり、現在の海岸線は、ゴミの上になりたっているわけね。

 

現代の、ゴミのほぼ100%を再利用するスウェーデンからは信じられない。

 

 

ヴィスビーで3番目に古い建物は、今はレストランになっている。

 

薄暗く中世の雰囲気があって、なかなかいい。

 

ただし、席は長く相席で、膝にかけるナプキンも長い1枚の布で、

運悪く、両端に座った人は、片手でそれを引っ張りながら食事をしなくてはいけない。

 

 

ヴィスビーの城壁には、観光ポイントとなっている見張り塔がある。

 

入り口は地上から10メートルも上にあって、敵が容易に入り込めないようになっている。

敵が入れない代わりに、味方も、交代がこない限り、出て行くことができない。

 

水は雨水を溜め、食料は魚の干物。

 

トイレは、容器にためると、窓から海側にすてていたのだそうだ。

 

過酷な勤務だこと。

 

 

ヴィスビーの街は、観光で生活するようになってから、ある人の提案で(ごめん、記憶できなかった)

家の前に薔薇を植えようということになった。

 

それで、多くの家が、玄関脇に薔薇を植えている。

 

別名「バラと廃墟の街」と呼ばれる由縁である。

(この正面にチラッと見える教会が唯一残ったサンタ・マリア大聖堂)

 

多くの芸術家が、この街に住みたがる。

 

ヴィスビーの城壁内には、今や、スーパーは1軒しかない。

 

なにしろ、道は狭いし、曲がりくねっているし、一方通行だし・・・

というわけで、城壁外に大型スーパーがいくつもできたら、

城壁内のお店は成り立ちゆかなくなってしまったのだ。

 

その最後の1軒は、大広場の一角にある。

 

「なぜ、この店だけ残ったのでしょうか」

 

というガイドの質問の答えは、

 

「斜め前に酒屋があるからです」

 

というものだった。

 

以前、書いたが、スウェーデンでは酒は専売である。

 

ヴィスビーの酒屋は、その大広場にある。

 

すると、酒を買いに来た人がついでにつまみもということで、

立ち寄るので、そのスーパーだけが生き残ったのだというのが、

ガイドの説だった。

 

なるほど。

 

 

約2時間の徒歩ツアー。

 

最初にスウェーデン語で説明をして、次に英語で説明をしてくれた。

 

ヒアリングの練習にスウェーデン語バージョンも一緒に聞いてみた。

 

で、気づいたスウェーデン気質というものがある。

 

スウェーデン人は笑わない。

 

同じ説明を、英語で繰り返すと、一同がドッと笑う場面がある。

 

そういえば、さっき、スウェーデン語バージョンの時、5人ぐらいが、

唇の端をゆがめたなあ・・・あれが、この部分だったんだ。

 

日本の武士とスウェーデン人は似ている・・・・・???

 

 

さて、本日のご教訓。

 

スウェーデンの夏は6月初めに始まり、8月半ばに終わる。

 

施設を楽しみたい人は、その間に旅行しよう。

 

でも、それ以外の時に行くと、安上がりよ。

 

 

ところで、従業員たち、後10ヶ月はどこで働いているのだろう?????

 

 

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