北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

アストリッド・リンドグレーンの死

2006-11-19 07:51:56 | エッセイ
今週アップするリンドグレーンは、実は、この文章を書いた2年後の2002年1月28日になくなりました。

以下の文章は、リンドグレーンが亡くなった当時アルクという出版社のホームページに私が連載していたものです。



1月28日にスウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーンが死んだ。94歳だった。
日本でも「長くつ下のピッピ」をはじめ多くの翻訳本が出版されている。しばらく前には「ロッタちゃん」の映画も上映された。
世界で最も愛された作家のひとりだろう。
スウェーデンに住むとリンドグレーンがただのひとりの女流作家ではないということに気づかされる。コンサートでリンドグレーンの映像化された作品の曲が流れるや、大人もこどもも唱和して大合唱になった時には、おどろいた。
スウェーデン語の教科書にも、もちろん載っている。パブに行ったらクイズタイムに常識問題として登場した。
リンドグレーンの作品を読めば、そのひと時、スウェーデンの「光と風」に包まれることができる。スウェーデンの空気のにおいを感じることができる。平易な文章の中に込められた「生きる元気がでる」魔法と、「ユーモア」。
しかし、リンドグレーンのすばらしさは、実は作品だけではなく、その生き方にもあるのだ。リンドグレーンが18歳で未婚の母親になったということは、日本ではあまり知られていない。
そして、作家となってからのリンドグレーンが、税制改革や、ケージ飼いの鶏のためなどに、戦った社会派であることはもっと知られていない。
彼女の主張は、いつも正論でしかもユーモラスであるために、いつしか人々は彼女をオピニオンリーダーとして扱うようになった。
スウェーデンの人気投票で、長い間リンドグレーンはシルビア女王を抜いて一位だった。彼女はスウェーデンの常識で、しかも良心であった。
そして、誰もがいつかきっとノーベル賞をとるに違いないと信じていた。
ノーベル賞はとらなかったけれど、今、すべてのスウェーデン人が心から彼女の死を悲しんでいる。テレビもマスコミも連日、彼女を追悼するプログラムを組んでいる。
彼女の元へは、各国の大臣や国王のような有名人から多くの追悼メッセージがとどいているという。
しかし、もし彼女が生きていたら、そんなものより、きっと、数え切れないほど多くの世界の子供たちが彼女の死を悼んでいる事実を、誇りに思うに違いない。
アストリッド。あなたは私の存在すら知らないけれど、私にとってあなたは、最初のスウェーデン人で、最大で最高のスウェーデン人でした。