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鈴木信夫の詩手紙の作品から
絵手紙作家の浅田美知子さんとの絵手紙・詩手紙の交流は1年を超えて
続いており、このころは、ほぼ1日に1編の詩をつくっています。
詩手紙そのものや書き加えたコメントを選んで紹介してゆきます。
一部、詩集に載せたものもありますが、未発表のものが中心です。
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人間だれしも内面と外面があるのはしょうがないと思う。
最近、政治の状況を見ると、まさにこの内面と外面そのものではないでしょうか。
本音と建て前ともいえるかもしれません。
生意気なことを言ってますが、私本人も両面を使い分けています。
コメントはこう書いてありました。
「人間の幅をひろげるのは、本当にむずかしいです。まだまだです。」
内面(うちづら)と外面(そとづら)
2009年3月
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私はそれを
できるだけなくしていきたい
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私は人によって態度がかわる
そんな人間にだけはなりたくない
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私は表と裏のない人間でいたい
そんな人間でありたい
詩手紙2009.3.7
鈴木信夫の詩手紙の作品から
絵手紙作家の浅田美知子さんとの絵手紙・詩手紙の交流は1年を超えて
続いており、このころは、ほぼ1日に1編の詩をつくっています。
詩手紙そのものや書き加えたコメントを選んで紹介してゆきます。
一部、詩集に載せたものもありますが、未発表のものが中心です。
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人間だれしも内面と外面があるのはしょうがないと思う。
最近、政治の状況を見ると、まさにこの内面と外面そのものではないでしょうか。
本音と建て前ともいえるかもしれません。
生意気なことを言ってますが、私本人も両面を使い分けています。
コメントはこう書いてありました。
「人間の幅をひろげるのは、本当にむずかしいです。まだまだです。」
内面(うちづら)と外面(そとづら)
2009年3月
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私はそれを
できるだけなくしていきたい
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私は人によって態度がかわる
そんな人間にだけはなりたくない
人というものには
内面(うちづら)と外面(そとづら)がある
それは仕方ないのかもしれない
でも
私は表と裏のない人間でいたい
そんな人間でありたい
詩手紙2009.3.7
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