郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

勝山公園と伊澤翁壽像

2022-11-22 | 日記
今日の午後は病院に検査の結果を聞きに行く日であった。
勝山公園のそばの石井屋でパンを買い、二階で食べる予定が、満席で食べられなかった。
仕方がないので向かい側の勝山公園の中のベンチで食べた。
落ち葉がたくさん散り、歩くとシャリシャリと音がするほどであった。子供たちが遊具で楽しそうに遊んでいた。




食後、公園の一角に像があったので近寄ってみた。


伊澤翁の像ということで、裏側に説明があった。

よく読めなかったが、伊澤平左衛門という名前が書いてあった。
仙台商工会議所会頭や貴族院議員をやられた方のようで、その方を顕彰して、昭和3年に立てられたようだ。

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「島貫兵太夫伝」を読む(その7)

2022-11-21 | 読書・「島貫兵太夫伝」

日本力行会の創立

(1) 苦学部の創設

      明治30年(1897)、彼の年来の希望は、全東洋、全日本の霊肉救済にあった。

  しかし、救貧問題の範囲は甚だ広大であるので、その一部で彼自身の境遇にも近く、その内情にも

    よく通じている、苦学生救済事業を開始しようと「苦学部」を設置した。

  彼は苦学生救助会を「東京労働会」と名付け開始した。その後、仙台から苦情があったので「東京

 精励会」と改称した。

  教会収入のみでは維持が困難となり、賛助会員を募ることとした。そして「慈善新報」を発行して 

    賛助会員に会務報告をした。

(2) 渡米部の創設

   計画が思うように運ばない中、新しい救済方法を考えようと、アメリカの苦学生の実態を調べるこ

 ととなった。これが島貫第1回の渡米である。明治30年11月から明治31年5月23日まで、約

 半年間の視察旅行であった。

   そこで学んだことは、

   ① 行きの船中で見た日本人のハワイ移民客の風紀の乱れで、この経験をもとに「日本力行会渡

    米会員規程」をつくることになる。

   ② 各大学の苦学生の状態、各種慈善事業の実情を視察した結果、

    ・日本の苦学生を苦学せしむるには米国に行かしむるに限ること。

    ・霊肉救済は20世紀以後の大勢やむを得ぬキリスト教の伝道法である。

    ・すべての事業は事務的に運ばねばならぬ。

   帰国後、「東京精励会」を「東京造士会」と改称、苦学生の渡米に取り組み始めた。

   新聞雑誌に苦学生の渡米の有利なことを発表したり、造士会で講演したり、神田教会で

   渡米質問会を設けたりした。パンフレット「実地渡米」も発行している。

   このようにして彼のもとに集まってきた青年たちの中から、一人、二人、三人と渡米者が

   でてきて、彼らから渡米後の状況が報告されてくる。こうした報告が親戚知友にもたらさ

   れると、渡米者の兄弟や友人が造士会を訪ねてくるようになる。

   その後一般の渡米希望者まで訪ねてくるようになった。普通の学生や紳士方の訪問を受け、

   知ってる限りのことを話してやる。宣伝もしないのに会員が増加し、事務も多忙となった。

   そこで「渡米部」を設けて、「苦学部」と区別して仕事を始めた。

 

 明治33年(1900年)9月、事務所を小石川原町に移した。

 東京造士会を「日本力行会」と改称した。

 機関誌「力行」(月刊、「力行世界」の前身)を発行した。

 「日本力行会憲法」5条を定めた。

 1名称、2目的、3事業、4規則、5会員である。   

 

 

 

 

 

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今日の音楽(ジャズ)-ピアノトリオ編

2022-11-20 | 音楽
午前中、今日も音楽を聴きながら本を読んでいた。
今日はジャズにした。
在職中、たまにCDを買っていた。
音楽について詳しくはわからないが、何かで聞いたものや本で読んだものなど、気になったものを買って聴いた。

ジャズはピアノやサックスのものが好きだった。
このCDはヴィーナスレコードのベスト・パフォーマンスということで、ピアノトリオをピックアップしたものであった。

先週週末はいつもの誕生日会を金曜日にやったので、土曜日もぼんやりして過ごし、ブログも書けなかった。

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ZHOとはなんだ!

2022-11-18 | 日記
先日地元の道路を歩いていて、歩車分離式式交差点にであった。
ボタンを押して何気なく見ていると、下の方にあった3文字のアルファベットが気になった。
各国言語の略語だとは見当がついたが、ZHOとARAは見当がつかない。
ネットで調べたら、ZHOは中国語、ARAはアラビア語らしかった。
世の中もずいぶんグローバルになったものである。


なお、この柱には写真には写っていないが、説明にあるように青いパネルと黄色のパネルがついている。
いつもこの違いがわからなかったが、説明をよく読むと、青は目の不自由な方用の音響式、黄色は歩行者用のパネルであることがわかった。なお昔のようなボタン式ではないのである。世の中は進んでいるのだと感じた。
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宮城県知事公館

2022-11-17 | 日記
先週の土曜日、病院から仙台駅に帰る途中で、宮城県知事公館の前を通りました。
道を歩いていると古めかしい門があるので、何かなと看板を見て、わかりました。

この正門は、仙台城にあったものということですが、移設してきたようです。



知事公館とは、宮城県所有の賓客接遇施設だそうです。
県知事がいるところかと思いましたが、違っていました。

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