霖雨(りんう)
PHP文芸文庫 2014年11月25日第1刷発行
著者 葉室 麟(はむろ りん) 1951年北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て、 2005年「乾山晩愁」で第29回歴史文学賞を受賞し、デビュー。
07年「銀漢の賦」で第14回松本清張賞、12年「蜩の記」で第146回直木賞を受
賞。「紫匂う」「天の光」「緋の天空」など著書多数。
天領の豊後日田で、私塾・咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓(ひろせたんそう)
と、家業を継いだ弟・久兵衛。
画期的な教育方針を打ち出す淡窓へも、商人としてひたむきに生きる久兵衛へも、お上の
執拗な嫌がらせが続く。
大塩平八郎の乱が起きるなど、時代の大きなうねりの中で、権力の横暴に耐え、清冽な
生き方を貫こうとする広瀬兄弟。理不尽なことが身に降りかかろうとも、諦めず、凛とし
て生きることの大切さを切々と訴えた歴史長編。
(文庫本表紙の裏書より)
大分県の西部、福岡県と熊本県との接するところに日田市というのを初めて知った。
そしてそこは、かつて政治・経済・文化において九州の中心をなしたと言われる。
歴史的に、豪商たちが活躍し、文化人・画家・書家等の往来が盛んで、町人文化の繁栄が
あったという。
広瀬淡窓は幼少時より学問を好み、詩文などに才能を発揮したといい、病身のため家業を
弟の久兵衛にゆずり、1817年に「咸宜園」という私塾を開いた。全国から多くの門下
生が「咸宜園」で学び江戸期最大の私塾となったという。
弟の広瀬久兵衛は、兄・淡窓に代わって家業を継ぎ、幕府・各藩の公金を管理する「掛
屋」(現代の銀行)を務めた。日田の「小ケ瀬井路」、周防灘沿岸の新田開発、宇佐の
広瀬井堰の工事などに協力し、地域振興に尽くしたという。
「広瀬淡窓旧宅及び墓」が平成25年3月27日に国指定史跡の追加指定を受けた。
日田市は筑後川の上流・三隈川に見守られ、温泉と自然がいっぱいの地で、市内は日田、
大山、天瀬、津江の4つのエリアに分かれているという。
日田は水郷の地でもあり、屋形船や鵜飼いを楽しめるという。日田温泉、天ヶ瀬温泉もあ
り行って見たい土地の候補に挙げたい土地になりました。
PHP文芸文庫 2014年11月25日第1刷発行
著者 葉室 麟(はむろ りん) 1951年北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て、 2005年「乾山晩愁」で第29回歴史文学賞を受賞し、デビュー。
07年「銀漢の賦」で第14回松本清張賞、12年「蜩の記」で第146回直木賞を受
賞。「紫匂う」「天の光」「緋の天空」など著書多数。
天領の豊後日田で、私塾・咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓(ひろせたんそう)
と、家業を継いだ弟・久兵衛。
画期的な教育方針を打ち出す淡窓へも、商人としてひたむきに生きる久兵衛へも、お上の
執拗な嫌がらせが続く。
大塩平八郎の乱が起きるなど、時代の大きなうねりの中で、権力の横暴に耐え、清冽な
生き方を貫こうとする広瀬兄弟。理不尽なことが身に降りかかろうとも、諦めず、凛とし
て生きることの大切さを切々と訴えた歴史長編。
(文庫本表紙の裏書より)
大分県の西部、福岡県と熊本県との接するところに日田市というのを初めて知った。
そしてそこは、かつて政治・経済・文化において九州の中心をなしたと言われる。
歴史的に、豪商たちが活躍し、文化人・画家・書家等の往来が盛んで、町人文化の繁栄が
あったという。
広瀬淡窓は幼少時より学問を好み、詩文などに才能を発揮したといい、病身のため家業を
弟の久兵衛にゆずり、1817年に「咸宜園」という私塾を開いた。全国から多くの門下
生が「咸宜園」で学び江戸期最大の私塾となったという。
弟の広瀬久兵衛は、兄・淡窓に代わって家業を継ぎ、幕府・各藩の公金を管理する「掛
屋」(現代の銀行)を務めた。日田の「小ケ瀬井路」、周防灘沿岸の新田開発、宇佐の
広瀬井堰の工事などに協力し、地域振興に尽くしたという。
「広瀬淡窓旧宅及び墓」が平成25年3月27日に国指定史跡の追加指定を受けた。
日田市は筑後川の上流・三隈川に見守られ、温泉と自然がいっぱいの地で、市内は日田、
大山、天瀬、津江の4つのエリアに分かれているという。
日田は水郷の地でもあり、屋形船や鵜飼いを楽しめるという。日田温泉、天ヶ瀬温泉もあ
り行って見たい土地の候補に挙げたい土地になりました。