小田原城
小田原城(2002年2月撮影)
所在地 神奈川県小田原市城内6-1
城の種別 平山城
築城者 大森氏
築城年 15世紀中頃
歴代城主 北条氏・大久保氏(4万5千石)・阿部氏(5万石)・稲葉氏(8万5千石)・大久保氏(11万3千石)
遺構 総構の空堀等9㎞のうち3.5㎞、三の丸の一部と二の丸以内(史跡)
天守閣の構造 鉄筋コンクリート造、本瓦葺3層4階、地下1階
天守から見た眺望
小田原駅方面を望む
小田原城は、15世紀中頃に西相模を領した大森氏の居城がその前身である。
明応4年(1495)頃、北条早雲が入城してから本格的な築城が始まり、その後北条5代96年の間、
関八州支配の拠点として巨城に築き上げられていった。
しかし天正18年(1590)4月豊臣秀吉の大軍に攻められ、7月9日開城した。
その後徳川家康の家臣大久保忠世を城主に迎え、ついで阿部氏、稲葉氏をへて再び大久保氏が入った。
現在の天守閣は昭和35年に復興されたものである。
小田原城は過去に3度地震で破損している。
1633年 大地震発生、小田原城大破
1703年 大地震発生、小田原城大破。天守、櫓等倒壊。
明治維新により1870年(明治3年) 小田原城廃城、天守・櫓等は売却、解体撤去
1923年 関東大震災で、石垣など破損、二の丸隅櫓倒壊
小田原城は難攻不落と言われ過去2度の攻撃を籠城戦で撃退していた。
1度目は永禄4年(1561)上杉謙信に攻められたが籠城戦で守り抜いた。
2度目は永禄12年(1569)武田信玄の攻撃も撃退した。
ただ3度目の豊臣秀吉天下統一を目の前にした攻撃には敵わず全面降伏で屈した。
この時の石垣山一夜城は有名である。