郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

小田原城

2021-06-30 | 

小田原城(2002年2月撮影)

所在地     神奈川県小田原市城内6-1

城の種別    平山城

築城者     大森氏

築城年     15世紀中頃

歴代城主    北条氏・大久保氏(4万5千石)・阿部氏(5万石)・稲葉氏(8万5千石)・大久保氏(11万3千石)

遺構                 総構の空堀等9㎞のうち3.5㎞、三の丸の一部と二の丸以内(史跡)    

天守閣の構造  鉄筋コンクリート造、本瓦葺3層4階、地下1階

天守から見た眺望

 

小田原駅方面を望む

小田原城は、15世紀中頃に西相模を領した大森氏の居城がその前身である。

明応4年(1495)頃、北条早雲が入城してから本格的な築城が始まり、その後北条5代96年の間、

関八州支配の拠点として巨城に築き上げられていった。

しかし天正18年(1590)4月豊臣秀吉の大軍に攻められ、7月9日開城した。

その後徳川家康の家臣大久保忠世を城主に迎え、ついで阿部氏、稲葉氏をへて再び大久保氏が入った。

現在の天守閣は昭和35年に復興されたものである。

 

小田原城は過去に3度地震で破損している。

1633年 大地震発生、小田原城大破

1703年 大地震発生、小田原城大破。天守、櫓等倒壊。

明治維新により1870年(明治3年) 小田原城廃城、天守・櫓等は売却、解体撤去

1923年 関東大震災で、石垣など破損、二の丸隅櫓倒壊

 

小田原城は難攻不落と言われ過去2度の攻撃を籠城戦で撃退していた。

1度目は永禄4年(1561)上杉謙信に攻められたが籠城戦で守り抜いた。

2度目は永禄12年(1569)武田信玄の攻撃も撃退した。

ただ3度目の豊臣秀吉天下統一を目の前にした攻撃には敵わず全面降伏で屈した。

この時の石垣山一夜城は有名である。 

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美味しいコーヒーのお店発見

2021-06-29 | 日記
きのうは週はじめから残業だった。
帰りがけに、途中のコーヒー店に入ってみた。
いつもは、昼ごはんが先なので、なかなか入れなかったのだ。

ハンドドリップコーヒーの240mlを注文した。
豆は一覧にある6種類中から選ぶ。

6種類は、ケニアの浅煎り、エル サルバドルの浅煎り、ルワンダの浅煎り、ペルーの中煎り、エチオピアの深煎り、コロンビアの深煎りである。
ペルーの中煎りを選んだ。

このカップで2杯飲める。
あっさりとした、酸味のあるコーヒーだ。
深み、苦味はない。
今まであまり飲んだことがない感じだ。
でも美味しかった。値段は590円だった。
メニューをみると、他にも知らなかったものがあった。
また来てみたい。







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吉田城(豊橋市)

2021-06-28 | 

吉田城(2002年2月撮影)

豊橋市の豊橋公園内にある。

永正2年(1505)牧野古白が築き、池田輝政が拡大した。

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父の日のプレゼント

2021-06-27 | 日記

もう先週のことになったが、子供たちから父の日のプレゼントをいただいた。



子供たちは仕事で遠方にいるので、なかなか会えない。
いつもその土地のものや珍しいもの、美味しい食べ物、飲み物を送ってくれる。
今年も夫婦二人で、夕食にいただいている。
コロナ禍のため2年も孫に会えていない。
秋になったら会いに行きたいものだ。

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阪神タイガース・佐藤輝明選手のルーツは宮城県だった!

2021-06-26 | 日記
プロ野球セリーグの首位を独走する阪神タイガース。
その中でも、特筆する活躍をするのが、ドラフト1位入団の佐藤輝明選手だ。
6月17日発行の日刊ゲンダイでは、臨時特別号で特集を組んでいた。

佐藤輝明選手自身は、兵庫県の出身、甲東小、甲陵中、仁川学院高校から近畿大学を出て、ドラフト1位で入団した。
しかし、そのルーツは宮城県にあった。

セパ交流戦が仙台の楽天生命パーク宮城であったとき、輝明選手の祖父と祖母が応援に来ていて、そこでホームランを打っていた。祖父と祖母は宮城県の村田町に住んでいるという。私のいる岩沼市の隣町である。祖父と祖母は輝明選手に小さい頃から仙台名物のずんだ餅や児玉のどら焼きを送っていたという。

輝明選手のお父さんは、その村田町で育ち、少年野球チームにも入っていたという。しかし中学から柔道に専念、仙台育英高校時代は東北王者も獲得したという。日体大時代はチェコ国際大会にも出場、優勝も経験している。古賀稔彦さんとともに第一線で活躍したという。日体大を卒業してからは大阪の大学に教員として勤務し、講道館杯でも優勝して、一躍バルセロナ五輪候補に浮上した。

息子の輝明選手は、小さい頃から宮城の父の実家に帰ると、野球好きの祖父に野球を教えられていたという。祖父の夢は、父、輝明選手と三代にわたって受け継がれ、成就したのである。

ますますの活躍を期待したい。



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