江戸後期の羽後に佐藤信淵(1769-1850)という学者がいた。
山川出版社の「日本史」にも江戸後期、「幕藩体制の動揺」の章の「化政文化」のところにでている。
政治・社会思想の発達として、安藤昌益などともに佐藤信淵の説明があり「産業の国営化と貿易による振興策とを主張した」と書かれていた。
このようなことから、私も東北にもこのような発想をする人がいたのだと誇らしく思っていた。
ところが、谷沢氏の書によると、佐藤信淵はいただろうが、その著作・主張は疑わしいという。
著作は「農政本論」、「経済要録」、「宇内混同秘策」などがある。
戦前に森銑三という学者が「佐藤信宏ー疑問の人物」として詳しく考証しているという。
そういうこともあるのかと思い、かつて購入していた関係する本を探したら、高橋富雄氏の「東北の風土と歴史」(1976,山川出版社)に、
「佐藤信淵の著書はとても事実とは思われない」と書いてあり、「他人の著訳書からの剽窃と孫引きがまことに多い。欺瞞と虚構には
十分注意を払わねばならぬ。」と書いていた。
しかし、高橋氏はそれを認めたうえで、「東北の庶民の出の者が歴史的役割を果たすには、このようなマキャベリズム的生き方も、
ひとつの必要悪であったかもしれない」と述べている。
高橋氏は「佐藤信淵の思想は百科全書的思想といってもよい」といい、「彼の思想ほど、未来国家の構想、ヴィジョンづくりに、すべての
学問を総合したものは近世まれであった」として、「封建を一つ先に越した社会と国家への展望を開いている」。「明治の絶対主義国家に
かなり近いところもあるし、それを少し先に進めた国家社会主義、全体主義の国家構想になっているところもある。」と言っている。
ただ、佐藤信淵の構想はアイデアにとどまっており、国家改造法案にまではなっていなかったという。
最近大きな玉ねぎの下で行われたイベントで素晴らしい弔辞を述べた方がいたが、考えてみればその方も羽後の人であったような気がする。
そしてその方の愛読書はマキャベリの「君主論」であったともいう。