先日ブックオフで購入した本である。
井上ひさしさんは私と共通の事柄があるので、関心のある方である。
この本は、発行は1997年で、初出は文藝春秋刊の「本の話」1996年6月号から9月号である。
この中で井上は、自分の生い立ちから父母について語っている。
その中で本との関わりについてや本の読み方、子どもを本好きにする方法なども語っている。
参考になったのは「井上流本の読み方十箇条」と「子供を本好きにするには」であった。
「井上流本の読み方十箇条」とは、
その1、オッと思ったら赤鉛筆
その2、索引は自分で作る
その3、本は手が記憶する
その4、本はゆっくり読むと、速く読める
その5、目次を睨むべし
その6、大部な事典はバラバラにしよう
その7、栞は1本とは限らない
その8、個人全集をまとめ読み
その9、ツンドクにも効用がある
その10、戯曲は配役をして楽しむ
「子供を本好きにするには」については、
「子供の本離れ」は、大人の側の問題ではないかといい、大人が本を読まなくなった、
子供は大人が面白がっているものに興味を持つが、大人が違うことに夢中になっている。
それに、家におじいさん、おばあさんがいなくなった。そのため孫にお話をしてくれない。
お話し好き、本好きは、周りのそういう体験から育っていくのではないか。
世の中が子供をお話から遠ざける社会構造になってしまったことにも要因かもしれない。
もう一つは、学校の「感想文」というものにあるのではないか。
先生に本を読めと言われて、つぎに感想文を書けと言われる。そして、「こう読むべき」という
ことを書かないといい点数はもらえない。読書が嫌いになるのも当たり前。
「本を読んでどう思いましたか」「どんな気持ちでしたか」ということを書かせようとするが、
「頭の中の感情や情緒を文章で表現するのはむずかしい」
井上は、感想ではなく「何が見えるのか」「何が書いてあるのか」という自分が観察したことをそのまま文章で表す練習が
大切でしょう、という。
よく書いてくれました。私も感想文が大嫌いでした。何を書いたらよいかわからずに、ずーと嫌いでした。
このことをもっと早く知っていればよかったと思います。
そして、図書館の役割を強調します。
外国の図書館では、図書館の中に子供の相談に乗ってくれる係員がたくさんいるそうです。
それは近所のおじいさん、おばあさん達がボランティアでやっているそうです。
そこには電話相談もあるそうです。そして出典を二つ以上挙げて答え、自分でも調べさせる。
クロス・リファレンスということを勉強させる。
本を読んで物語の中に浸るということは子供にとってかけがえのないものと思います。
子供は社会で体験することは最初は初めてのことばかりですから混とんとしてわからない。
それをどう受け入れていくかというと、自分の知っている物語に当てはめて整理していく。
そうやって無秩序な状態を何とか自分の手に負えるように整理していくという。
本を読むことと精神分析というのは、とてもよく似ている。
自分の悩みや苦しみを、ひとつの物語として捕まえる、物語の力を借りてそれを理解し、自分の手の内に入れる。
それが精神分析ではとても大きな役割を果たしているといいます。
井上は高校時代の読書体験が、その後の大学へ行き社会に出たときに役立ったと言っています。
この本では、井上ひさしが自分の生い立ちから子供時代のことも書かれています。
その中に、私にもちょっと好ましくないと思われることが書かれています。
それは、井上は子供のころ一家離散の運命に会い児童養護施設に預けられたといいます。
そこから、仙台の仙台一高という進学校に通いました。そして「仙台に来る映画をすべて見てやろう」
という誓いを立て友達に宣言しました。
その映画を見るを実現するために、預けられた「天使園」の図書館の本を古本屋に売り飛ばしたり、
さらにカナダから贈られた古着や天使園に寄付された米軍配給の靴下や下着を、闇屋に売ってお金に換えたりしたといいます。
そのほかにも別な図書館で意地悪な図書館員を懲らしめるため、その図書館で大事にしていた本を盗み出しこれも売り払ってしまったとか、
国会図書館で推理小説の初めのところに真犯人の名前を書き込んだりしたそうです。
とにかく、井上さんは本や図書館との付き合いのうちに作家を目指すことになり、それを実現したといいます。
以前に井上さんのDVについての話を書いたこともありますが、人は一生のうちにいろんなこともありますが、人間の内面にも
いろんな感情や性格もあり、一筋縄ではないということでしょうか。