郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

庭のバラが咲いていた!

2022-05-31 | 日記
日曜日は暑かった。
夕方になってから、庭の雑草取りをやった。
庭の隅に植えておいたバラが今年も咲いていました。
毎年花をつけてくれてありがたいです。



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広島の力(岩中祥史著)

2022-05-29 | 読書

この本は以前に古本屋で見つけ買っておいた。

私の子供たちは広島に縁がある。そのため広島には何度も行っている。

したがって、観光地的なことは知っているが、普段の広島や昔の広島のことはあまり知らない。

そこでこの本を読んでみることにした。

この本の著者岩中氏は名古屋出身のようであるが、出版プロデューサーをしていて地域の風土と人々の気質との関係を

テーマに、「名古屋学」「博多学」「札幌学」「鹿児島学」「広島学」などを書いているという。

この「広島の力」は2017年1月の発行である。

すでに2011年に「広島学」を上梓していたのだが、2016年に広島カープが25年ぶりに優勝を実現させた

ことから、広島にはまだまだ驚くような「力」があるということで、書き始めたという。

内容は、「広島の力」を探るヒントを4章に分けて検証している。

1章 広島人はなぜ、屈託のない性分なのか

2章 広島人はなぜ、ファミリー意識が強いのか     

3章 広島人はなぜ、グローバルな発想が得意なのか

4章 広島人はなぜ、地元愛にこだわりすぎるのか

「広島の力」にはその土台に「土地の力」、「気候の力」などもあるでしょうが、一番大きいのは「人の力」

でしょうか。広島県人の気質がものを言っているようです。

宮城県は、広島県と似たような特徴を持っている気がします。

海がある県として、牡蠣が有名です。

観光地も、日本三景の宮島(厳島)に対して、宮城には松島があります。

スポーツに関しても、広島にはカープがあり、宮城には楽天があります。

都市も、人口100万人を超える広島市と仙台市、どちらも中国地方、東北地方ではその中心都市です。

それでも、広島に行くと活気があり、にぎやかで、皆さん元気にあふれているような気がします。

そろそろコロナも収まってきたかと思われるので、また広島に行って「広島の力」を感じてきたいと思います。

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ポンポコたぬきケーキ

2022-05-22 | 日記

今日も大河原町までケーキと和菓子を買いに出かけた。

狸の顔がかわいいポンポコたぬきケーキと和菓子を買ってきた。

和菓子は大河原銘菓「堤神楽」と「大河原最中 鰐口ごまあん」などでした。


素朴な味わいで、美味しくいただきました。
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FUKUEIコーヒーでひと休み

2022-05-20 | 日記
今日は、帰り道に寄り道をして、仙台駅東口辺りをブラブラしてきた。
いつもの東口BiViにある丸亀製麺でうどんの昼食、その後BiViを出て、東のほうに向かい、東口入口の交差点で南側を見上げると、ヨドバシ第一仙台ビルが建ってきているのが見えた。

そこからまた東のほうに歩き、東口のスタバでコーヒー休憩にしようと思ったが、今日の目的はヨドバシカメラだったので通りすぎた。

ヨドバシカメラでは、災害時に必要になると思うモバイルバッテリーを見てきた。
その後4階に移った石井スポーツでトレッキングシューズを見たが、好みのものが見つからなかった。
ヨドバシカメラを出て、東口のペデストリアンに上がると、ヨドバシ第一仙台の工事現場が大きく見えた。



すごく大きな敷地でいろんな施設ができそうだ。来年春頃にできるようだ。
疲れたので、S-PALに入り、FUKUEIコーヒーでひと休みすることにした。

ここはコーヒーの豆やチョコレートのお菓子などを販売しているが、テイクアウトのコーヒーを飲むスペースが4つほどある。
そこに座ってコーヒーを飲んだ。
酸味のあるおいしいコーヒーだった。360円でした。

この衝立ての向こうが、そのスペースでした。



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二十世紀と格闘した先人たち(寺島実郎著)・・・「大島浩駐独大使」

2022-05-19 | 読書

寺島実郎氏の著作の続き3

 

「情報戦争の敗北者だった大島浩駐独大使」

大島浩氏は、日本を日独伊三国軍事同盟の路線へと引き込んだ責任者の一人である。「親独派」の中心であり、ヒットラーの友人であった。

この大島浩をめぐる衝撃的な本が1993年にアメリカで出版された。邦訳「盗まれた情報-ヒットラーの戦略情報と大島駐独大使」(1999年)

大島浩は、1934年陸軍からの駐在武官として赴任し、1938年中将で駐独大使、いったん帰任し再度1940年に駐独大使としてドイツに赴任した。

米国がドイツを占領したときに捕捉され米国に移送、ピッツバーグ郊外に収容されていて、1945年米海軍輸送船で浦賀に帰着し、東京軍事裁判

の被告となった。

大島は極端なドイツ信奉者、ナチの共感者であり、ヒットラーを含めドイツ統治の中心人物と親交を深めていた。

外相リッベントロップの仲介でヒットラーと面談している。豊富な軍事知識を持ち、よく電報を打つ大使であった。

しかし、日本の暗号交信は米陸軍に解読されていた。大島の情報は全て解読されており、ヒットラーの意図が全てつつぬけであった。

マーシャル米国陸軍参謀総長は「第二次大戦における最も重要な情報源の一つはベルリンの日本大使であった」と書き残しているという。

 

戦前、大島は当時の駐英大使吉田茂と日独防共協定を巡り論争をしている。

終戦後、日本に帰着した大島は外務省に吉田茂外務大臣に帰朝報告を行い、「自分はドイツと日本が兄弟になることこそ日本の平和に役立つと

信じていたが誤りだった。大臣が正しかった」と詫びているという。

 

日独防共協定は大島だけの責任ではない。

ある意味大島はまじめに職務を遂行した。几帳面に詳細な報告を送り続けたために、敵に情報を提供したことになった。

このようなことは現代でも通じるものがある。

米国は最も組織的・体系的に盗聴を含む諜報に力を注いでいる。

その象徴的存在が通信傍受のネットワーク「エシュロン」である。

この通信傍受情報の交換協力国には日本も参加しているが、あくまでも中核はアングロサクソン系の5カ国

(米、英、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド)であり、すべての通信が傍受され盗聴されているという。

さらにその活動は安全保障上の目的から「経済諜報」へ移動しつつあるともいう。

 

今次ウクライナにおいても、アメリカによる各種情報が提供されているようで、本当にそれが世界平和に生かされているのか、

疑問にも思われる。

 

 

 

コメント (2)
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