郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

江戸300藩県別うんちく話(八幡和郎著)

2024-07-30 | 読書
毎日暑い。外には出れないので、家の中でゴロゴロしている。もちろん、冷房はつけている。
先ほど見たニュースの特集で、宮城県にはもう海からの冷風(やませ)は、なくなるかもと研究者が話していた。
21世紀になってからは冷夏になっていないという。三陸沖に新たに第二の太平洋高気圧ができているようなのである。

そのような暑すぎる夏だから、読書も進まない。
切れ切れでも読める標題のような本が読みやすい。
東北だけでなく、日本全国の地域の歴史がわかり、おもしろい。
昔行った旅行地を思い出しながら読んでいる。
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90歳を生きること(童門冬ニ著)

2024-07-25 | 読書

私の好きな作家の一人、童門冬ニさんの本を読んだ。

童門さんも1927年生まれだから、今年は97歳になる。この本は、2018年発行だから91歳の時に書いたのだ。
この本の副題は、「生涯現役の人生学」ということだ。
「はじめに」の中で、「孔子は74歳で亡くなりました。10歳ごとに人間の生き方を設定していましたが、80歳以後の生き方は設定していなかった」と言います。
孔子が言ったのは、15歳で志学、30歳で而立、40歳で不惑、50歳で知命、60歳で耳順、70歳で従心ということでした。
従心とは、「七十にして心の欲する所に従えども、矩をこえず」ということで、「自分の思うとおりに行動しても間違いはない」という意味のようです。
私も「従心」に至ろうとしていますが、そのような心になれるのでしょうか?
童門氏は、多様な知識の持ち主でたくさんの本を書いていますし、知らないことをいろいろ教えてもらえる親父のような方です。この本でも歴史の知識などからいろいろ教えてもらいました。
その一つが「恕」ということばでした。この言葉は、孔子が弟子の子貢の「生涯行うべきことを一文字で表せば」という質問に答えた言葉でした。
恕(じょ)というのは、「相手の身になってものを考える優しさや思いやりのこと」ということだそうです。
なるほど、いい言葉を教えていただきました。
これからも童門さんの本を読んで、いろんなことを知っていきたい、知ったら活かしていきたいと思っています。
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遠藤ミチロウとモーリー・ロバートソン

2024-07-21 | 日記
図書館から古い文藝春秋(2023年8月号)を借りてきた。最新号に近いものはほぼ借りられていて見れない。残っているのは1年くらい前のものがほとんどである。
この号を借りたのは、特集が、「現代の知性24人が選ぶ代表的日本人100人」というものであったからである。
特にその中に選ばれていた人が、珍しい人がいて、私がその方の名前を知っていた方であったからである。付き合いも、会ったこともない人だが、私と同じ地域に生まれ、育ったかたであったからだ。(後から調べてわかった)
その方とは、パンク・ロッカーの遠藤ミチロウさんである。
選んでくれた方は、モーリー・ロバートソンさんであった。
モーリーさんの選んだ他の4人は、矢沢永吉、手塚治虫、空海、一休宗純である。後の4人の方は、おおよその日本人なら知っているであろう。
でも、遠藤ミチロウさんは、ふつうのかたは知らないのではないか?
遠藤ミチロウさんは、パンクロックバンド、ザ・スターリンのボーカルである。
私はパンクロックが好きなのでもないし、興味があるのでもありません。そのような生き方をした方が、自分と同じ地域にいたということで、その人間、生き様に興味があっただけです。
また、その方を取り上げてくれたモーリーさんにも関心を持ちました。モーリーさんは、日本とアメリカで育った音楽関係の人のようですが、たいへん頭の良い方のようです。
他の代表的日本人の方も気になりますが、知らないことがたくさん勉強できて、とてもためになりました。



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旅といっしょに生きてきた(橋田壽賀子著)

2024-07-14 | 読書

人生の先輩の話を聞くことはためになる。自分のこれからを生きる参考になるからだ。

旅好きを自任する脚本家の橋田壽賀子さんのエッセイに「人生を楽しむヒント」の本があったので読んでみた。
橋田さんの人生とともにあった旅についていろいろと語られていた。
最後の7章にあった、「旅と人生―旅も人生も過程が目的だから」が、橋田さんの考え方が出ていて私も共感した。
それは、二流人生、二流だから丈夫で長持ち、ということだった。
橋田さんは女学校時代バレーボールをやられていたそうで、でもレギュラーになれない「十三番目人生」だったそうです。
試合に出れるのは十二人で、橋田さんの役目はボール拾いやタオル渡しだったそうです。でも見るのが好きだったからそれでよかったそうです。
大人になってからも、あまり不満を抱えない、高望みしない人だったといいます。あまり「ああなりたい」「こうしてほしい」ということを
強く思わない人間なのだといいます。一流になりたければ、不満やストレスをたくさん抱えることになります。
橋田さんは向いていないといいます。
書きたいことが書けて、それがドラマになって、少しでも誰かに伝えることができたらそれで十分ということです。
だから、今まで生き延びてこられたし、二流は二流なりの信念をもって生きていけばそれでいいといいます。
世の中のお母さんも完璧なことをしようと思ったらウツになってしまうから、何か足りなくて当たり前、自分にできないことは無理をしないで、
ほかのだれかの手を借りてもいいといいます。
一流とか一番にこだわるあまりに、自分の持っている「味」を見失うことだけは避けたいと言っています。
「人生二流で結構!」ということです。
もう一つ、「旅は過程が大切。それは人生と同じ」にも教えられました。
橋田さんは旅にガイドブックの類は持ったことがないといいます。行きたいところに行く、それだけということだそうです。
いつも心は空っぽのままだから、いくらでもお土産が入るといいます。旅はやっぱり道すがらが面白いといいます。
旅は日常の住まいを離れ、どこかへ行くこと、移動することが本来の旅の意味だといいます。
旅は目的地ではなく、その過程が大切だとということです。
人生も同じで、肝心なのは生きているということです。「ああ、いい人生だった」と最後に思えるとしたら、
その過程と精いっぱい向き合ってきたかどうかだと言います。
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ジャガイモ収穫しました!

2024-07-13 | 日記
市民農園での野菜づくりは、スナップエンドウとジャガイモが終わりました。7月はじめ頃にジャガイモも収穫して、家で乾燥させながら、食べています。
さすがとりたてのジャガイモはほくほくして、甘くて美味しかったです。キタアカリという品種なので、柔らかいのです。
かなり収穫できて食べきれないので、遠方にいる息子たちに送りましたが、送料も結構かかってしまいました。
あと、農園に残っているのは、えだまめとネギです。
えだまめはどうも失敗したようで、豆の実が入ってきません。どうも生育途中で虫がついて食われてしまったようです。途中で消毒をしなかったのが、よくなかったのだと思います。
ネギはときどき採ってたべているのですが、固いです。植え替えをしないといけないようで、今後植え替えをします。
夏以降に空いた土地に何を植えるかをかんがえながら、暑さの和らぐ夕方を待っています。



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