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郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

読んで、旅する。(伊集院 静著)

2025-05-02 | 読書

伊集院静さんの本を読んだ。副題は「旅だから出逢えた言葉Ⅲ」である。ある雑誌に連載されていたものの、再編集改題したものという。

2022年2月発行だ。

副題の通り、伊集院さんが旅に出た中で出会った言葉を綴っている。なかに、ゴルフの話や美術、絵画の話が出てくる。

ゴルフは詳しくないが、旅先のフランスやパリ、絵画などの話は、私も好みなので、読んでいて楽しかった。

いくつかの言葉とその土地が興味を引いた。

「路地は都市の顔である。情緒のある路地が、恋愛の場所を提供してくれている。」(スペイン/モンセラット)

  私も旅にゆくと、案外路地が好きである。裏通りみたいな所に、その土地の本当の姿があるように思うのである。もう一つ、この章では、奇跡由縁の地、モンセラットという町が出ていた。初めて知ったが、そこの修道院には黒いマリアがあるという。

「ナポリの息子よ いったい なにがきみを ロシアの戦場へおもむかせたのか? (イタリア/フィレンツェ)

  この章では、ミラノ駅のところで、イタリア映画「ひまわり」のことがでてくる。私もこの映画は好きである。ソフィア·ローレンも良いし、音楽も良かった。先に上げた言葉は、スターリングラード の攻防のあった場所に立っている記念碑の言葉だという。

「これから私は無になります」(フランス/パリ、イギリス/ロンドン)

  イギリスの風景画家、ターナーの最後の言葉だという。作品はロンドンのテイトギャラリーやナショナルギャラリーに展示してある。まだ写真のない時代に、都市の近郊の風景や貴族の大邸宅を写真のごとく描いたという。彼はフランスの画家、クロード・ロランに影響されて画家になったという。ロランの作品のそばに自分の作品を展示されることが願いだったという。

「カレンダーの美しい旅もあるのだ」(宮城/仙台、アメリカ合衆国/ニューヨーク、フランス/ニース、ヴァンス)

  仙台にある伊集院の家に届いたカレンダーに、アンリ・マティスの作品を月ごとに鑑賞できるものがあったという。そしてこのカレンダーとともに伊集院の南仏での思い出が語られる。それは、私が前に原田マハの作品で読んだマティスについての小編のようなことだった。ロザリオ礼拝堂にも触れられていた。以前に読んで知っていたことが、また出ていたが、同じところに関心があったことがうれしかった。

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定年オヤジ改造計画(垣谷美雨著)

2025-04-14 | 読書
妻が借りた本を読んでみた。
なかなか厳しいことが書いてあった。

夫源病という言葉を初めて知った。
定年退職した主人公は、第二の職場に勤めたが、その会社が3ヶ月で倒産してしまい、毎日家にいることになった。
そこから、妻との間にギクシャクが生じてくる。自宅には他に結婚しない娘がおり、その娘とも話が合わない。
そんな中、結婚して近くに住む息子から、孫の保育園への送迎を頼まれる。そして、そこでも息子の嫁との考えの違いを知らされる。

主人公は私よりも少し若いサラリーマンだった。戦後生まれでも、昔風の考えで育ってきたし、夫は会社、妻は家庭、の生活が当たり前だった。私もそうだった。

そういう人たちが、仕事がなくなったときに陥る妻や嫁との違和感、そして父と同じ道をたどりそうな息子。

垣谷美雨さんの描き方は、始め厳しい。途中読んでいて落ち込んだが、後の方になると主人公が気づいてきて、行動を改めようと考え直してゆくことで、最後は落ち着いた。

この小説を読んで、身につまされた。私も似たような経験もあるが、どうにか最悪は回避されたと思う。

今の社会、毎日ニュースを見ても、昔から変わらない出来事ばかりだが、男も女も、年寄りも若者も、もう少し相手のことを思いやって、自分中心ではない考えに変わっていかなければならないのではないか。




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草薙の剣(橋本治著)

2025-03-26 | 読書
橋本治さんの本を読んだ。
橋本治さんは、2019年に70歳で亡くなっている。
なぜこの本を読むことになったか、今は覚えていない。本か新聞を読んでいて、この本に気づき、図書館から借りてきた。

この本には、6人の主人公(10才づつ年の違う男たち)の生き方とその父母、祖父母までの人生が描き出されている。その背後には戦前から平成までの日本のいろいろな歴史が描かれている。
私もほぼ同じ時代を生きてきたので、思い出されることばかりであった。

なぜこの本の書名が「草薙の剣」というのか?
本の最後の方に「草薙の剣」の説明はあったがよくわからなかった。

とにかくこの本を読んで、私の生きた時代と同じ時代のそれぞれの年齢の人たちが、どんなことを思っていたかを気づかされた気がした。
人は様々であるが、その生きた時代により、違った人生になる。自分でかえられるものもあれば、歴史の荒波にのまれてしまう場合もある。
それでも、ひたむきに生きていれば、違う未来がひらけることもあるのではないだろうか?そんなことも考えさせられました。
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ジヴェルニーの食卓(原田マハ著)

2025-03-22 | 読書

しばらくぶりに原田マハさんの本を読んだ。

マティスと印象派の画家ドガ、セザンヌ、モネに関する小編だった。
マティスはフォービスムの画家といわれている。
フランスが舞台だから、わからない地名や建物などが多く苦労したが、地図や資料などを見ながら読んだ。昔からフランスには興味があったので、調べながら読むのも楽しかった。
マティスに関しては「うつくしい墓」、これはマティスのもとで家政婦として働いた女性の回想の話。この話ではヴァンスのロザリオ礼拝堂に関心を持った。マティスがかかわっていて集大成の仕事ともいわれているという。
ドガについては「エトワール」、これはドガと同時期に活躍した女性の画家マダム・カサットと画廊との思い出の話。ドガの作品制作の裏側をあかす。踊り子とパトロンの話など。
セザンヌについては「タンギー爺さん」、タンギー爺さんはパリで画材具を扱う人で、彼とセザンヌとの関係を娘の手紙を通して描いた作品。ゴッホの絵にも同名の作品がある。
モネについては「ジヴェルニーの食卓」。
印象派といえばやはりモネが有名ですね。
モネのもとで、モネを支えたブランシュという女性の回想の話。
睡蓮の絵を描くモネと彼を後援したクレマンソーとのかかわりも語られている。
絵心はないのだが、私も絵を描いてみようかなと思ってしまった。

いっしょに見た本
表紙の中段左端がドガの絵、下段左がマティスの絵です。






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諸国賢人列伝(童門冬二著)2・・・鴨長明

2025-02-23 | 読書

前回投稿した時は河合曽良のことを書いたが、もう一人は鴨長明であった。

鴨長明はご存知の通り「方丈記」の作者として有名であり、その著書は「無常観、虚無感」を主としていて、作者については「隠者・逃避者・隠遁者」とみる人が多いと思う。

ところが、故堀田善衛さんの「方丈記私記」によれば、「長明は中世におけるルポライターだ」ということになるそうだ。

童門さんによると「長明は時代の渦の中を走り回った一滴の水だ」ということだ。長明は俗世間を離れた隠遁者であったことは間違いないが、なにかから逃げてゆく生き方ではなく、なにかに向かって逃げていった人物だと言う。

これは現代における「草の根」や「一滴の水」の連動に似ているという。鴨長明はコンピューターのない中世における、自覚した一滴の水か、あるいは一本の草の根といっていいという。

上記は童門さんが書いていることを要約して書いたつもりだが、私にはイマイチ理解し難かった。

さて、鴨長明さんのことを書いてゆくと、

鴨長明という名前は本名であり、日本古来の名族の一員であった。父は京都の河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)(神官)であった。長明は源氏政権の三代目、実朝と関りを持ったが、それは和歌の師としてだが、実朝は長明を気に入らなかった。長明は傷つき、その直後隠遁したという。

長明の父長継は、名族でもあったので、天皇近くにあり、長明も幼少から官位もあり、幸福な少年時代だったという。しかし二十歳前に父が急逝し、遺産も継げず、不遇な状況になってしまった。ただ和歌所の寄人に選ばれて喜んだが、和歌集編纂の選者には選ばれなかった。そんな長明に関心を持ったのが後鳥羽上皇であった。希望の官職を与えようと期待させたが、周りの反発にあい叶わなくなった。長明はひねくれてしまったが、その後実朝の話もあり、鎌倉に行き、そして前のような話になった。

そして書いたのが「方丈記」であるという。怒りと屈辱とそして絶望が混じりあったものが、燃料となり、一気に書き上げたという。

その後「ホトケへの接近」をはかり、『発心集』という仏教説話集を書いた。

しかし最後まで彼は「間違っていない」と主張する。それほど自己信仰の心が強かった。

長明は、中世に生きた「自分の意思で、組織を疎外した人間」である。ここに長明の、永遠に変わらぬ新しさがある、と童門さんは言う。建保四年(1216年)64歳で亡くなった。

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