1995年の作品、タイトルは主人公の名前。
シャールク・カーンとマニシャー・コイララの共演は、
1998年の「ディル・セ」(邦題:心から)もあるけど、
こちらが先だった。。
当時SRKは30歳、マニシャー25歳。
<ストーリー>
グッドゥ(シャー・ルク・カーン)は、
無神論者で弁護士の父と信心深い母と暮らしている。
ある日大学のサッカーの試合に学友のソニアと一緒に来た
従姉妹のサリーナ(マニシャー・コイララ)に惹かれる。
グッドゥの家族とソニアの家族でウッタラカンドへ
旅行に行きそこでグッドゥとサリーナは恋に落ちる。
ところがグッドゥはときおり起きる頭痛に悩まされており、
車を運転している時に頭痛が起こり事故を起こしてしまい、
サリーナは失明してしまう。
サリーナは事故はグッドゥの責任ではないと思っており、
グッドゥの事を愛し続けていたが、
サリーナの叔父と叔母はグッドゥを憎んでいた。
グッドゥは頭痛の原因を調べるためにCTを撮るが、
脳腫瘍が見つかり余命2~4カ月と宣告される。
ヒンドゥー教の神を信じている母親は神にすがり、
父親は神よりも治療だと医者を探す。
グッドゥは自分が死んだ後、
サリーナに角膜移植をする事に希望を見出し、
サリーナの叔父と叔母に告げる。
グッドゥの手術はかなり難しく成功率は5%。
父親はアメリカに行く事を勧めるがグッドゥは頑なに拒絶する。
アメリカとムンバイの距離の問題であると言うのが理由である。
父親はアメリカでの手術を拒否するグッドゥに、
角膜の寄付は許さないと告げる。
確かに・・・サリーナの角膜移植には、
グッドゥの角膜である必要はないが・・・・。
ある日サリーナと一緒にいる時に頭痛が起きて、
ついにグッドゥはサリーナに自分の病気の事を告げる。
サリーナは結婚して欲しいと言い出す。
グッドゥは自分の死後、角膜をサリーナに与える権利を裁判所に訴えた。
自分の父との対決で裁判が進んで行く。
ところが、ある日、渋滞に巻き込まれた父親は裁判に欠席してしまい、
グッドゥの勝訴となった。
裁判所に駆け込んだ父親はそのまま意識を失い、
その場に居合わせたグッドゥも病気の影響で意識を失ってしまう。
連絡を受けた母親は二人を助けるために、
水さえも飲まず5日間、神に祈る。
5日目、父親は意識を取り戻し、慌てて自宅に戻ると、
祈りの部屋にこもっていた妻は死んでいた。
妻の手には自分の角膜をサリーナに・・・
と書かれた手紙が握られていた。
緊急手術を受けたグッドゥは母親の祈りが通じたのか、
成功率5%の手術は成功し一命をとりとめた。
苦しい時の神頼み・・・・
信心深いインド人は日本人より多いと思うけれど、
やはり、その時だけでなく、ずっと信じているのが、
正しい信心なんだろうなぁ。
神よ・・・サントーシー最後のお願いです。
「○○○△△△□□□したい。」