文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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そもそもかつての日本政府は一貫して南京事件の存否について否定的な見解を述べていました。ところが外務省のホームページには

2023年04月05日 23時00分49秒 | 全般

以下は4月1日に発売された月刊誌正論に、南京事件 周到な反転攻勢を、と題して掲載されている、阿羅健一×西岡力×江崎道朗の対談特集からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
阿羅健一さんが、私が永遠に愛する母校の先輩であることは記述の通り。
見出し以外の文中強調は私。

阿羅 
日中戦争下の昭和12年、南京攻略戦において起きたとされる「南京事件」について私はこれまで一貫して真実の究明に努めてきました。
戦後、日本に濡れ衣を着せるがごとく「南京大虐殺」などと言われた時代もありましたが、最近の研究を『決定版 南京事件はなかった 目覚めよ外務省!』(展転社)にまとめ、事件が虚構であることをあらためて明らかにしました。
南京事件をめぐる研究は今も盛んで、ジャーナリストの池田悠氏もそうですが、さまざまな成果が出されています。
事件当時、南京市内に「安全区」をつくった「宣教師」に焦点を当て、彼らが決して中立的な存在ではなかった、とする研究によって、「宣教師」の「悪意」が掘り下げられ、南京事件がなぜつくられたのか、という必然性まで明らかになっています。
やはり事件はつくられたものではないか、という疑いがいっそう深まっているわけです。
西岡 
阿羅さんのご活躍、敬意を払ってみています。
江崎 
私もです。
阿羅さんや歴史学者で亜細亜大学の東中野修道名誉教授が南京事件に関してファクト(事実)を地道に詰めていき、事実関係を明らかにされました。
日本にとって大事な研究です。
長年にわたって続けてこられたことに敬意を表していますし、歴史研究としても相当、積み上がってきました。
これもまた本当にすごいことだと思っています。
阿羅 
ですが、一方で私には南京事件に対する正しい理解をもっと広めることができないものか、という思いがあります。
というか、なぜ、正しい理解が広まらないのか、という苛立ちといっていい。
そもそもかつての日本政府は一貫して南京事件の存否について否定的な見解を述べていました。
ところが外務省のホームページには「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」となっています。 
何を根拠にこんな記述をしているのか。
私は何度も外務省に問い質してきましたが、いくら聞いても答えないのです。
いろいろ調べた結果、南京事件の存否について元々は否定的だった日本政府の方針が変わったのは平成6年の羽田孜政権だとはっきりしました。
そのことは月刊「正論」2月号「根拠ないのに断定される南京事件」でも明らかにしました。 
同じような思いは以前からありました。
今名前が出た東中野教授が設立した日本「南京」学会では平成20年まで南京事件を徹底検証しました。
私も参加して、1次資料を精査し、南京事件が中国国民党による「戦時プロパガンダ」であると明確にしました。
私はその時、もうこれで南京事件の解明は完全に終わったものと確信していました。 
ところが平成18年から始まった日中歴史共同研究では、こうした成果が全く生かされませんでした。
北岡伸一・東京大学名誉教授が日本側の座長を務めましたが、はじめから「南京事件はあった」という方針で進めている。
平成26年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)に中国が「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産として登鍄するよう申請し、認められてしまいました。
この時も外務省は基本的に南京事件を認める立場でしたから、ほとんど歯が立たずに認められてしまった印象があります。 
私はあのとき、外務省に抗議しましたが、「糠に釘」でした。
自分としては完全に南京事件は解決した感覚なのに、それが世の中に全く反映されない。
幸い、根拠となる資料を探すことについては参議院議員の和田政宗氏のご協力が得られています。
和田さんの質問に外務省は「資料がない」の一点張りのようですが、こちらの取り組みについてはそれほど心配していません。
問題はむしろ、今後の国民への働きかけや運動をいかに盛り上げていくか、ということで、どうすれば、外務省を変えることができるだろうか、そんなことを考えています。

史実の解明とは別の土俵

西岡 
今、阿羅さんが述べた外務省のホームページをいかに正していくか、という問題は確かに大事ですね。
ですが、「正しい史実はこうだ!認めよ」と真実を突きつけ、相手に屈服を迫るやり方で、外務省は果たして「これまでの説明は間違いでした」などと認めるだろうか、とは思います。
むしろ、せっかく貴重な研究成果が出てきているのに、それが生かされずに終わり、それ以上先に進まなくなるんじゃないか、とさえ危惧しています。 
大事なのは国会議員や関係者にいかに共通認識をつくっていくのか、ということだと私は思っています。
そのためには南京事件をいかに捉えるか、という点についてしっかりと整理する。
そのことがまず大切だと思っています。
阿羅 
具体的に何をやるということでしょうか。
西岡
例えば令和3年11月29日、横井よしこさんが理事長を務める国家基本問題研究所で「歴史認識に関する国際広報体制を強化せよ」という政策提言を出しました。
令和4年1月号の月刊「正論」「国際広報強化で中国にも反論せよ」で紹介しています。
提言は4点あります。
1つ目が「首相官邸の副長官補室で展開されてきた『事実関係に踏み込んだ体系的歴史認識の国際広報』を継続強化せよ」。
2つ目が「歴史広報における官民協力体制を一層強化発展させよ」。
3つ目が「中国にも反論せよ。歴史広報の柱として『戦前の日本はジェノサイドや人道に対する罪は犯していない』という事実をすえよ」。
そして最後が「韓国の労働者、慰安婦賠償要求には国際法違反だとして一切譲歩せず、歴史的事実に踏み込んだ国際広報を強化せよ」というものです。 
安倍晋三政権下ですら中国に歴史認識の戦いをしようという政策決定はありませんでした。
外務省のホームページの「非戦闘員の殺害、略奪行為があった、否定できない」という記述は正されず、記述の根拠すら明らかにされないわけですね。 
この状況をいかに変えていくか、ですが、考えるヒントになるのが、昨年12月に歴史認識問題研究会が開催した「安倍晋三元首相と歴史認識問題」という特別集会で登壇された、日本政策研究センター代表の伊藤哲夫氏の話だと思います。
安倍さんが慰安婦問題にどのように取り組んだか、という話で、これも月刊「正論」3月号「歴史戦に挑み続けた安倍晋三と仲間たち」で紹介されています。 
安倍さんは平成9年、従軍慰安婦の強制連行という記述が中学校の全歴史教科書に入ってしまった際、強い問題意識を抱いたそうです。
ただ、文科省や外務省の役人を呼び出して吊るし上げるような手法は取らなかった。
むしろ、仲間となる約80人の国会議員を組織し、ほぼ毎週、議員主導の勉強会をやって、ある時は強制連行派を招き、また別の機会には「河野談話」の当事者、河野洋平官房長官を呼び、石原信雄官房副長官からも話を聞く。
質疑を重ね、討論を続け、集まった議員たちが「慰安婦の強制連行はなかった」と揺るぎない共通認識を築いていった。
そうひとつひとつ進めていったわけです。 
外務省がホームページで〈「強制連行」や「性奴隷」といった表現のほか、慰安婦の数を「20万人」又は「数10万人」と表現するなど、史実に基づくとは言いがたい主張も見られる〉と明記するに至ったのは第二次安倍政権の終わりに近い令和元年でした。
22年を要したのです。 
阿羅さんはもちろん、東中野教授のご尽力は十変なものだったと思いますが、学術的な面で勝負がついても、政治運動としての歴史認識問題は別です。
歴史問題と歴史認識問題には、密接な関心がもちろんありますが、歴史問題を使ってさまざまな勢力が、自分たちの政治目的を実現しようとする。
これが、歴史認識問題ですから、そこにはまた分析を深めて対策を立てなくてはいけない。
そう思っています。 
特に南京事件の問題は、阿羅さんが書いておこれるように東京裁判という一つの山があります。
だけど、毛沢東政権は、南京を利用してはいないわけです。
逆に「やるな」と言ってたわけですよね。
つまり、中国側の事情によって持ち出されたり、そうでなかったりするわけです。
鄧小平時代になって、教科書問題を「利用しろ」と鄧小平が言い、「南京大虐殺記念館」ができるわけでしょう。
改革開放で日本からの経済支援はもらう、しかし中国共産党の支配の正統性は日本と戦ったことに据えたい。
だから、日本は悪かったという必要があった。 
汪錚(ワンジョン)という在米中国人学者による『中国の歴史認識はどう作られたのか』(東洋経済新報社)という本があります。
中国の政策的な必要性から歴史問題を使い始め、今も使っていると詳述しています。
鄧小平氏によって昭和57年、教科書問題が持ち出され、首相の靖国参拝も利用されるようになった。
大きな転機は天安門事件で、天安門事件で批判され、民族問題が使われるようになった。
すると反日教育が行われ、江沢民政権が反日の枠組みをつくって、国際ネットワークをつくった。
これは、南京で何かあったのかということとは別の、中国側の事情が反映した問題なのだとつかんでおく必要がありましょう。
敵の全体像をつかみ分析し、こちらの陣営でどうやって、そうした共通認識をつかむか、それが大事でしょう。

言葉の定義を厳格にする
江崎 
私は、中国系米国人のジャーナリスト、アイリス・チャン女史の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』が対日戦後補償問題に発展しかけたことを受けて、南京30万人虐殺説に反論すべく、國學院大學の大原康男名誉教授だちと平成12年に『再審「南京大虐殺」』(明成社)の本を日本語と英語、つまり日英バイリンガルで出版しました。
この本を書くに際して、定義について徹底的にこだわりました。 
今回、阿羅さんが外務省に問い合わせをした南京事件に関するホームページ上の記述とは「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」というものです。
「その説明の根拠となる資料はあるか」と聞くと、外務省側の回答は、根拠となる文書の確認はできなかったため、不開示としたというのが、事実関係ですね。 
ここで問題にすべきは、南京事件の定義です。
保守の人たちは南京事件を「30万人ぐらいの組織的・計画的大量殺害事件だ」と思っている。
しかし外務省の公式サイトには、そんなことは書いていないんです。
西岡 
え?
江崎 
よく見てください。
外務省の公式サイトには「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としか書いていないでしょう。
中国共産党が主張する南京大虐殺、つまり日本軍が組織的・計画的に30万人もの大量殺害を行ったとは書いていないんです。
そもそもよく読めば、主語すら書いてありません。
なのに日本の保守の側が、「中国共産党が言う30万人の大量虐殺を外務省が認めたのはけしからん」と言っているわけです。
要は議論がかみ合ってない。
西岡 
そうだとしても外務省が何も反論してこなかったのは問題でしょう。
江崎 
はい。
反論してこなかったことは問題です。
が、「日本政府、外務省は南京大虐殺を認めている」と多くの人が言うのですが、外務省が文書で認めたのは「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」ということだけで、そこですら根拠資料がないと言っているわけです。 
私がいいたいことは、南京事件だろうが、歴史認識問題であろうが、まず概念規定、定義が大事だということです。
先程西岡さんが南京事件をいかに捉えるか整理が必要と述べましたが、定義を議論しないままに、「南京事件があった」「なかった」と争ってもあまり意味がない。
同じ言葉でも、そもそも使う人によって意味が違っているのですから、それでは戦いにならないという話です。
阿羅 
定義を議論するとは、この南京事件の場合、どういうことになるのですか。
江崎 
はい、まず中国共産党政権のいう南京大虐殺とはどう規定できるのか。
『再審「南京大虐殺とでも緇かく分析しています。
そのうえで、その根拠は何か。それが妥当なのか、という議論をすべきなのです。
定義を定めないと国際的な議論にはならない、という話です。 
外務省が根拠となる文書を持っていないことを明らかにしたのは阿羅さんの最大の功績です。
ですが、繰り返しますけど外務省のホームページの記述は南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があった、南京事件で犠牲者がいたというだけで、主語すらありません。 
南京での非戦闘員の殺害が、日本軍によるものとは限らない。
中国国民党による犠牲者かもしれないし、中国軍側による「漢奸狩り」(中国軍が中国人を漢民族の背叛者として殺害すること)による犠牲者、略奪による犠牲者、無政府状態による中国の暴徒による犠牲者。
中国軍の督戦隊(自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却または降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のこと)によって殺された兵士だっている。
逃走中に圧死した兵士や、揚子江で溺死した兵士もいる。 
恐らく、こうした事実を踏まえて外務省はあえて主語を曖昧にしたまま、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」と書いているわけ
であって、中国共産党側の言い分を鵜呑みにしているわけではないことは確認しておきたいものです。
この稿続く。

 



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