AI導入と構造転換:パラダイムシフト、生存戦略、我慢という名の「しがみ付き」

2019-11-01 11:38:41 | AI

 

 

 

 

昨日は『AI原論』の毒書会で出た新しい資本主義の話をしたが、今回はAIの導入とその問題点として「ゆっくり動画の収益化剥奪」に関する動画を掲載しておきたい(ちなみに「へんないきものチャンネル」も全ての動画に目を通すくらいには感心を持っている。博物館とかに実際行くとかまではしてないが)。

 

あまりくだくだしくは述べないが、全体に共通するのは、構造を知らずに飛びつけば、この変転の激しい社会では容易に梯子を外されるという話。少なくとも私の知る限り、経済や税制のことを含め、日本の学校というものは「なぜ社会はそうなっているか」を教えようとしない(それは、例えばアメリカやフィンランドとは異なっている)。 そのことを踏まえず知識だけ入れたところで、所詮は砂上の楼閣なんだけどねえ(ただしこのことは、指導要領だけの問題ではなく、そもそも教える側の素養も問われるのであるが)。

 

日本における自己責任論の大合唱は、そもそも自分がそうなりうるという論理的思考力の欠落、努力して現状にしがみついているという不安から来る視野狭窄、そして包摂は恩恵であるという感覚(たとえば弱者救済を権利の範疇で考えようとしない等)から来ていると私は考えているが、ではそうなってしまう背景はというと、「深く社会構造(社会がどのように回っているか)を考える習慣化がなされていないから、粗探しの方に注力して問題の解決ではなく『同情できない理由探し』に奔走する」のではないか(念のため言っておくが、「構造を考える=問題が解決する」というわけではない。ただ、それをやらずに問題点だけあげつらっても、例えて言うなら病院で症状だけ列挙するだけのようなもので、すると深刻な病の表出として諸症状があるかもしれないにもかかわらず、「みんな似たような状況だから我慢しろ」の一言で片づけられ、最後はパンデミックレベルになって手遅れ、という寸法である)。

 

AIが導入されれば(正確にはそれで無人化が進めば)、銀行の人員削減を見ればわかる通り、雇用状況も劇変するのは明らかなのだけど、それでも発想は「現状に何とかしがみつく」なんですかね?こういったことがそこかしこで起こることは予測できるのに、一体いつから、巻かれるための「長いもの」がずっと同じであり続けると錯覚していた?とでも言いたい気分ですわ。

 

話を戻すが、以上のような背景もあり、「構造を理解して行動する」のは、政治のような非日常的領域にしか必要がなく、それも「意識高い系」のスタンスだとでも思われてんじゃないか、という気がしているが、実際には趣味で聞く音楽が資本主義とは無関係な訳もなく、購入する一着の服でさえもそれは途上国の安い賃金に由来していたりするわけである(つまり、趣味も生活も構造の一部ですよ、という話。ちなみにそういう発想をするので、このブログではあえて様々な系統の話を一括して載せているのだが)。

 

というわけで、話が自己責任論や貧困などに広がったところでその他については機会を改めて書きたい。


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