カンボジア旅行 二日目:アスラとクリシュナの戦いを描いたレリーフを見て思ったこと

2024-09-12 18:38:32 | カンボジア旅行

 

 

前の記事で紹介した楽しい綱引き遊び・・・もとい乳海攪拌(創世神話)の次は、そこに関連するアスラと神々の戦争。

 

こちらは戦車(チャリオット)らしきものを率いているのが興味深いが、こちらは頭の部分が馬じゃなくて獅子か龍のように見える。

 

 

 

 

説明書きにもあるように、この部分はアンコール・ワット建設から400年ほど後になって作られたものであり、かつ当時はすでにアンコール朝(クメール王朝)の衰退もありレリーフの質が下がっている、と指摘されている。美的センス皆無なワイには質の違いってのはあんましよくわからんが(笑)、まあこれまでのレリーフと比べると彫り方が浅かったり、一つ一つの人物や動物がダウンサイズされてる感はあるかな。ただ、逆に言うと、なぜそんな衰退期にレリーフを追加で作成しようしたのかの方が気になるワ。例えばだが、「王権の正統性に疑問が呈されているからこそ、アンコール・ワットという象徴的存在を飾り立てる行為を通じて権勢を示そうとした」とかね。

 

まあその予測が正しいとしても、そういう本質から乖離した虚飾への傾斜は、賢明な人間に対してはむしろかえって王朝のハリボテ感を意識させるし、またここに動員された人的・財的リソースは税や賦役などの形で被支配者に跳ね返った可能性が高いから、民衆からの反発はむしろ強まったんじゃないかな?(ちなみにこういう類の失策は、あまり強調されないが聖武天皇による東大寺造営なども同様で、あくまで豪華な建物という結果だけを見て愉しめる今日の私たちは素晴らしい事業だったように感じるが、この建設には途方もない人・物・金が必要だったのは言うまでもなく、ゆえにそれを賄うための諸々の税や労役は、疫病などで苦しんでいた当時の民衆へ追い打ちをかける結果となったのであった(ちなみにそこへの貢献で取り沙汰される行基は、元々仏教を国家事業として独占しようとする政府と対立する存在だったのだが、民衆からの支持が篤い人物として、動員に納得・協力させる存在として利用されたという見方ができる)。

 

ちなみに聖武天皇が仏教の力を借りて政権を維持・運営しようとした結果仏教側の勢力が増大し、それが次の孝謙天皇時代には道教問題を引き起こし(つまり道教の件を「単なるスキャンダル」のように捉えるのは問題を矮小化している)、ついには桓武天皇による平安京遷都へつながったことはよく知られた通りである。これはエジプト新王国のアメンホテプ4世によるテーベからテル=エル=アマルナへの遷都と同じで、宗教勢力が強い場所から都を移すことにより、その影響力を弱めつつ政権を運営するという施策である(ちなみに王の名前は「アメン」というテーベの守護神に由来し、ここからもテーベとその神官団の結びつきを伺い知れる)。

 

・・・なんてことを思ったりした。てかヴィシュヌやシヴァの名前は日本でもそれなりに馴染みがあるけど、クリシュナはあんまし聞かないよね。せいぜい、インドが本格的に植民地化される時代(インド大反乱頃)のラーマクリシュナ(人名)ぐらいか。

 

ラーマクリシュナと言えば改革運動を想起するが、それに関しても近代西欧文明の影響を受けてサティー廃止運動を行ったローイ、あるいはヴェーダへの回帰を唱えヒンドゥー教復古主義運動を行ったサマージ(現在のヒンドゥー・ナショナリズムの源流)などを思い出すが、ラーマクリシュナの場合は、ある意味素朴な信仰・伝統に回帰するイスラームのスーフィズム的な動きに近いものだった(その意味で、サマージのそれはワッハーブ運動などになぞらえることができる)。このように、近代化や植民地化(自身の社会・文化に対する危機)に対して宗教および宗教団体がどのような対応をしたのかは、日本における仏教の哲学化(by清沢満之)など、その多様性も含めて興味深い研究対象である。

 

 

 

 

閑話休題。
こっちはわかりやすく馬と戦象・・・てのはいいんだが、象に乗ってるヤツのポーズが、勇ましいというよりただのお調子者みたいでクソうけるwww

 

 

 

 

 

てかなぜ象の目のとこだけ磨かれたみたいにガンギマリなのか知りたいw「よーし、まずは目をしっかりやったるぞ!」「え、予算ないなったんでもう彫らなくていいの・・・」なーんてね(・∀・)

 

というか、宗教施設で戦争の様子がこうして大々的に描かれているのって、日本では見たことがない気がするなあ・・・仏教はともかく、神道だったらそういう戦いと戦勝(顕彰)の要素っていくらでもあるはずなんだけどね。そういう差異の背景は考えてみると興味深いかもな。

 

 

 

 

レリーフを見ながらあれこれ考えたんで、ここでひとまず小休止。

 

 

 

 

 

施設にそこそこ人はいるんだけど、人がいない・少ないところに目を向けると、途端に時間の流れがゆったーりになって、自分が非日常の空間にいることが感じられておもしろい。

 

・・・

・・・・・・

 

さて、それじゃあ次に行きますかね。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 隠岐の知夫里島にて:古き神社と新しき寺の対 | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

カンボジア旅行」カテゴリの最新記事