<接吻>
私を理解しようなどと思うな。小池栄子に圧倒される周囲。豊川はしゃべらない(真意を明かさない、世間を嘲笑う)、弁護士は逸脱を際立たせるための軸という「アシスト」があるにせよ、小池の存在感は沈黙の時でさえ圧倒的であり、これが映画を支配している。宮台の言う「割を食ってる感」。世間・社会への怒り…「普通」、悪意はない。具体的な誰かを傷つけても何にもならない。むしろ的外れなことをやった悔悟に悩まされるだけ(滅びの~)。ただ願望が満たされなかっただけの俺と主人公の生き辛さはまるで別物。参照項…オブジェの記事→何様か。傲慢さ→俺を殺せ。デスノート→不寛容さ。
<接吻2>
理解しない世間を嘲笑うという心性は、大学時代の無関心と嘲笑主義に近いものがある。ただ、高校時代に到った結論から、それが自分の願望の産物にすぎないとは理解している。そして押しつけられるのは嫌だから、他人にも押しつけない。汝の欲せざるところ他人に施すなかれ、だ。しかし内心で低く見る気持ちは変わらない。だから無関心、嘲笑、オブジェなのだ。もっとも、恵まれた環境に育ち、頭の中だけで処理してきた自分と、世間の風という端的な現実にさらされてきた主人公を同列に扱うことはできないが。割を食った感、世間への憤り(普通という名の暴力)。
<接吻3>
具体的な誰かに危害を加えても、何も解決しない。それは単なる不全感の表出にすぎない。あなたは単なる風景の狂気、クリーチャーとして処理されるだろう。場合によっては「家族の愛が足りなかった」とかいうテロップ込みでwいくら無言を貫こうが、裸に剥くだろうよ。もし世間に復讐したいのなら、もっと徹底的にやるしかない。的外れだから、悔悟の念しか残らない。そして死刑にしてほしいと言い出す。
<元町ひぐ誓、うみ、デスノL 継ぐ>
無意味にマイスター級、等々力行くとき終点(逗子とかと同じ)。ファントム中華街。人形の家、クラスメイト、海、船、変な倉庫へ。県庁、中華街、廟はコミュニティの中心として機能しているのかしらん。教会。寺や神社はダメ。丘の方へ。この景色いいわ。外国人墓地、公園、そのままアメ山下りて駅へ。二回目。墓地へ向う道の既視感は何か?長崎?公園から港。港でくらげ。公園でまったり。人の雰囲気が違う。中華街素通り。途中で等々力寄るか?寝て自由が丘前なら…中目黒でちた。で、渋谷。時間中途半端なので渋谷をうろつく。ブコフ。帰宅。
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