Needy girl overdose:「承認欲求」という名の病

2022-02-18 17:45:00 | ゲームよろず

前回の記事では、Needy girl overdoseの実況プレイ(でひでびでびる、犬山たまき&白雪みしろ)を紹介したので、今回は「承認欲求」一般について述べようと思ったが、この話は長くなるので別の機会に回して、前述の作品について言い忘れたことを触れておきたい。

 

①ヒロインの性格設定
ヒロイン(あめちゃん)が適度にクソな性格で、ディスり・自己中・ヘラる・バッドトリップとなかなかアレな反応を見せてくれる。とはあえ、エモい発言はするし応援したくなる瞬間もあって、嫌になって投げ出すほどクソ過ぎず、感情移入して辛くなるほどいい子すぎないという絶妙なさじ加減やなと思った。

 

②ホンネとタテマエの二項対立じゃない
このゲームは一見すると、「配信でいかにキャラを作って売り込むか」、つまり配信裏では本音がただ漏れな印象を受けるかもしれない。

しかしよく見れば、Pとあめちゃんのやり取りも、果たして通じているのか否かわからん、ということに気づく。つまり、あめちゃんのラインに対して、P(プレイヤー)は「まあこんな返しが喜ぶやろう」とか「え、何でこの返しきたん??」となるわけで、それはつまり予測して打ち返してるだけで、ある意味「空気読み」に近く、どういう意図でこの言葉が放たれてるのか、また自分のレスポンスが相手にどう届いているのか、はたまた届いていないのかは不明である。

要は、「配信=建前=他者コントロールのための方便に過ぎず、通じてなかろうがどうでもいい」のに対し、「配信外=本音=通じあっている」という、ありがちな幻想をちゃんと破壊しているということだ。

遠くにいる人間には通じないのが当たり前だし、そもそもそんな期待はしないから加工された自分を演じる、というのはありふれた話だ。しかし、近くにいる人間だって、生身で向き合っているが、本当は何を考えているかなんてわからない・・・そんな「ゴーンガール」みたいな世界認識を連想した(これは以前バッターボックスのピッチャーとバッターの喩えで書いたことがあるが、まあ他人とのコミュニケーションは煎じ詰めればそういうものである)。

これは、アッパーで時にメルヘンな音楽と色遣い、と同時にウィンドウ世界がもたらす閉塞感と相まって、このゲームの渇いた関係性を印象付ける要素だと思う。

 

③クスリがないと無理
これはフィリップ・ディックの「パーマー・エルドリッチの3つの聖痕」のキャンD中毒やらチューZのバッドトリップを思い出した(まあディックの作品は彼のLSD体験を基にしたガチの「麻薬」系コンテンツなわけですが😀)。

内容をリテラルに捉えるとメンヘラ系女子が自分を保つためにクスリを大量服用する話なわけだが、果たして技術が進展し、共同体の解体が進めば、モナド化した個人は常に承認の枯渇のリスクに直面するがゆえに、多くの人間は埋め合わせとしてこういう生き方をせざるをえなくなるかもしれないならない(それに失敗すれば「無敵の人」になる、というわけだ)・・・

こうしたところから、デュルケームの「自殺論」や齋藤環の「承認をめぐる病」、佐々木チワワの「ぴえんという病」なんかにも繋がるなあと思った次第。

 

では今回はこの辺で。最後にヒロインとシンクロ率の高い紫兎ハミルの実況動画を掲載して終わりにしたい。

 



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