「関西でお座敷によばれ、座主が目をかけている東大の院生というヒトと対面した。彼がいうには、生成AIで山村の地域課題を抽出し、施策を出してもらい、そのままチャットAIの吐き出したもので国の創生や観光系の助成金を申請するという。とても気分が悪くなった。」というSNSの記事を見て、思わず爆笑してしまった🤣生成AIならぬ創成AIとか今後出てきたりしてなw
まあこれって色々な視点というか問題が関係しているので、逐一それを取り上げるのは大変なんだけど、「助成金を出してもらう窓口のお役所・お役人にウケそうな作文」はラクにできそうだなあ、と感じた。
これって映画とかの企画がどんどん凡庸になっていく話とも似ているのだけど、要するに「頭のいい」判断者が妥当だと思いそうな材料を詰め込んだり、難色を示しそうな部分を削っていくと、いかにも「万人受け」しそうな案が出てきてそれが通るのだけど、結局それって金太郎飴だよねってことで毒にも薬にもならないジャンクが量産されるって寸法だw
で、今回の場合は
1.今流行りの生成AIで
2.沢山の案を出してもらってそれを気鋭の学生たちに吟味してもらい
3.そして厳選された案がこちらです
とか言えば、「おお、何かどっかで見たことあるけど、やっぱこういうのがええんやな!」って意識高い系の人々が騙され、認可していただけるってわけやな。
まあ面従腹背じゃないけど、就活のESよろしく、「カネを引っ張るための戦略(口実)」としてこういう作文を使うっていうんなら、必ずしも悪い事じゃないと思うけどね。
ちなみにその中にあった
「課題なんて言語化できているものは実は解決すべき課題でも何でもなくて
真に潜んでいる何かを発見するゲーム
つまり、生成AI君にはまだ苦手なジャンルなんですよね
生成AI君が解決できるのは先例のある真似っこゲームなので、ここらへんはもう少し先な気がしますの」
ていう意見が今のところは的を射てる感じですかねえ。
あと、これは意外に出ていなかった見解だけど、「こうやったらええですやんと言う事はできるけど、それが実行可能かはまた別の話」てのも重要。これは医者が直せない病として述べた「六不治」の記事とも関連するが、要するにそれが合理的判断であることは、実行可能性を保証しないためだ。
これは頭の良い悪いとか、精神的頑迷さとかいった単純な話ではなく、地方に関してちょいちょい出てくる件だけれども、「多くの人が不満は述べているけど積極的に変える気はない」みたいな事も様々あるのよね。これは非常に難しい話で、当人たちが「受忍すべき不便さ」として理解していたり、あるいは「共通の愚痴・話題として言っているだけで、別に変えようとは思っていない」とか、色々な認識のグラデーションが存在する。しかも、それが外側から見たも合理的な場合もあれば、そうでなかったりと、これまた様々なケースが存在するのも厄介さを増幅している(前者に関して最もわかりやすいのは、沖縄の台風とか日本海側の豪雪などだろうか。もちろん家の造りやら様々な対策はされているのだけれども、これらへの不満は詰まるところ「他所へ引っ越しましょう」しかなくなるので…)。
まあワイはかなりの程度の加速主義者なので、「地方創生」なんて死屍累々になるまで無理なんやね?とは思ってますけどね(・∀・)つまり、構造的に受忍するしかない大変さを背負っていくような(気候や経済など様々な)環境があり、その覚悟がある人だけが集まる場所はそういうものとして残るけど、せいぜい愚痴程度で大して深刻に捉えていないような「ライトユーザー」については、厳しさが増せば別の環境に行くだろうし、その中で多くのコミュニティは維持できなくなって消滅していくだろうと(例えば八潮の道路の件で今後のインフラ維持の件が問題になっているけど、たとえ鄙びた場所に住み続けたいと思っても、道路が死亡したり上下水道が死亡したら、居住者の数は減り、移住者の数も減るから、ますます投下される資本は減って…という負のスパイラルは容易に想像がつくはず)。そのような先行事例が多数蓄積された上で、ならばどう行動するべきか、て感じに20~30年後になっていくんじゃないですかね?
以上。
で、何でこんな話をいきなり出したかと言うと、二度目の隠岐旅行において地元の人たちと会話する中で、厳しい現状や町興しの事を考える機会があったからだが、これはまたこれで別の記事で述べることとしたい。
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