(登場人物) タラーブルス=T サイダー=S
結果からの逆算。プレイしてる時ってそんなことを考えてもいない。次々と現れるセカイやセカイとセカイの繋がりがおもしろくてしょうがない。
統計によれば虐待をする人間の62.8%は実母。血の繋がっていない継母が同姓の子を陰湿に虐める・・・というのはイメージしやすい。身近に自発的でない理由で他人がいるから。だから暴力が生まれるのは必然的だ、と考える。
実態とは異なると言うことだ。
T
それがどの程度真実だと思うか、思い込むかの違いがあるだけでね。ゆめにっきの世界は「どこかで見たことのある風景」で、その「世界の解釈を語ることは半ば自分語りに等しい」と前に言った通りさ。例えば「赤の王様」を主人公が嫌う義父と解するのは「継子いじめ」的発想が背景にある、とかね。
S
たとえば「落窪物語」的な?
T
そうそう。ちなみに、「白雪姫」や「ヘンゼルとグレーテル」なんかは継子いじめの物語として知られてるけど、グリムが収集した段階では実子いじめの話だったんだよ。それが数十年の間、編集される中で書きかえられていったわけ。近代家族の形成に歩みを合わせるように、ね。そういう言い方をすれば、継子いじめ的発想も十分恣意的で虚構性を持つものにすぎない。まあ「自然な感情の発露に思えるものも、社会状況などの文脈に規定されたものにすぎない」っつーのはもはやクリシェだけどね。
S
あーね。つうかそろそろ本題に戻ろうか。
T
オメ―が話ふったんやないか・・・
ギャップによるところが大きい
単に不気味・不可思議=距離感だけ、単にかわいい=親密さだけならここまで広がらなかっただろう。
さっきのポニ子ーウボァで言えば、メルヘンチックな世界と可愛らしいビジュアルの子の中で
単なる恐怖でなく親近感があるところが、エンディングの喪失感に繋がる。
このゲームが印象に残る理由の一つ。不可思議で鬱がかったセカイ。別に特別強く入れ込む要素はなかった気がする。
しかし終わって見れば、窓付きの*に喪失感を覚えている自分がいる。
そういう見方をすれば、西島大介の作品が持つような可愛さの中に アトモスフィア
エンディングはオチ。
中間的見方。殺しても復活するイモータルな夢の世界とモータルな現実世界の二項対立。
FC世界の意味??あくまでプレイヤーにとってノスタルジーを感じるギミック。
ゆめ2っきの昭和的町並みはあからさますぎてちと興ざめだが。
それこそを意図してるなら話は別だがね。
アーカイブ。
様々なものを引き出してくれる。
久々にこういう作品に出合えた喜び。
まあもう一つ、主人公を自分と同化して語る極めて実存的な視点もある。それは次回。
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