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わからぬもの

2014-12-20 12:47:20 | レビュー系

はこの世に数多とあるが、シェイクスピアの作品のすごさ、というのもその一つである。

『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』の四大悲劇はもちろんのこと、『リチャード3世』なども読んでみたが、どうにもおもしろい(interesting)という感情が湧いてこない。レビューなどを見ても、「ハムレットは理性と感情の相克で近代人の云々」といった説明を見ても全く感情が動くことがないし、それどころか、そのような理由でハムレットが称揚されるなら、すでに2000年前に上演されていた「オイディプス王」は如何?などと思ったりする(たとえば、紀元前後に生まれた作品と似たモチーフを現代で思いついたからといって、それを激賞する人などいないのではないか)。また『リア王』などを見ても、要するに「見栄えがいいだけの人間に騙されるな」ということではないか、と思いまるで感情が動かされない(このあたり、もしかすると一般庶民に受けやすいように人物をデフォルメして書いているところが浅薄な印象を私に与えてしまっているのかもしれない)。

 

というわけで、内容面における評価の高さが私には浅学さゆえかよく理解できないのである。ただ、その価値が英語表現の幅広さに置かれているというのなら話は別だ(『英語の歴史』といった本では必ずチョーサーの『カンタベリ物語』と合わせてシェイクスピア作品は言及され、様々な単語やフレーズがそこから始まったとされている)。というのも、私が読んだのはあくまで日本語訳の書籍版であって、原典ではないからである。その場合、たとえば筒井康隆の『残像に口紅を』やら「関節話法」といった作品のような、表現の幅に対する評価といった意味で私も(多少)納得できるものとなる。

 

また、これは作品そのものの評価ではないが、そこから見える当時のある人物に対する歴史的評価などは興味深いと思う。たとえば『リチャード3世』に描かれたリチャード3世は残忍で狡猾な人間だが、実際は異なる部分も多々あるようだ。そしてこれは、勝者側のテューダー朝が(当然ながら)歴史を紡いだという部分も大きいだろう。時代を経ることに政権の変化の中で人物の評価もしばしば変わるわけで、それはロシア革命に敵対して社会革命党を徹底的に潰していったストルイピンの評価がソ連時代と今日では大きく違うといったことが例として挙げられる(人物の評価を価値観の変化として大きく捉えると、先の「オイディプス王」も非常に興味深い題材である。というのもそこで描かれるのは、自由意思もて神託[神・運命]にあらがい、結局はそれに翻弄される人間の悲劇を描いた作品に他ならず、それは初期プラトンー後期プラトンの移行にも関係する古代ギリシアの価値観の変動を象徴するものだからだ)。『マクベス』や『ヴェニスの商人』も含め、そのような資料の一つとしては、価値があるように思える。

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