GWのお供に:小熊英二『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』

2022-04-30 09:00:00 | 本関係

神奈川埼玉のクレイジージャーニー話ばかり続けるのもあれなので、GWのお供に最適の本を一冊紹介したい。


それが小熊英二『生きて帰ってきた男』である。これは著名な社会学者である小熊が、教え子の研究者とともに、シベリア抑留を経験した自身の父、小熊謙二に聞き取りを行ったものをまとめた本である(以下、混乱を避けるため両者ともフルネームで表記する)。


こう聞くと、戦争の悲惨な体験や苦労話を記録したありがちなオーラルヒストリーかと思われるかもしれないが、それは大きく違う。


その理由は様々あるが、三つ取り上げたい。

1.
小熊謙二の生まれから話は始まり、またシベリア抑留から帰国したあと2012年までのことが記録されていること。このため、地域性も去ることながら、世相の変化というものがヴィヴィッドに描かれており、たとえば日中戦争の始まり=戦争が日本の全てを覆い尽くす世界の開始ようなイメージを持っているのだとしたら、それが段階的に起こっていく様を見てとり、単純な構図を再考するきっかけになるだろう(これはウクライナ侵攻などに絡めて度々強調してきたことでもある)。


2.
小熊英二の知識や裏取りによって、父の経験や認識が当時の社会全体の中でどのように位置付けられるかが述べられているため、オーラルヒストリーでありがちな視野狭窄やそれへの無自覚さをかなりの程度免れている(そのバックボーンとなる研究については、あれこれ書くより以前紹介した彼の著作『日本社会のしくみ』などを読む方が早いだろう)。そればかりか、話を読み進めていくことが、そのまま経済や文化、社会制度など諸々の歴史理解にそのまま繋がる優れた記述になっている(当然のことだが、それだからと言って鵜呑みにしてよいという話ではない)。

一つ例を挙げておく。小熊英二は父親の境遇をいわゆる中産階級ではなく、下層のそれだと述べている(ただし、いわゆる終身雇用のサラリーマンが多数派になったことは一度もなく、それはあくまでイメージ的なものに過ぎないと強調しているが)。このような観点からすると、小熊謙二が見た「戦争にあまり熱狂していない人々」という世界は、単に今日の我々の印象を相対化するだけでなく、たとえば全体主義的政権を支持したのが没落中間層としたフロムや、あるいはその中心を亜インテリと述べた丸山真男らの見解とあわせて考えると、立体的な広がりを持つ。実際、零細自営業者が中心の下町で生活していた謙二の周りは戦争や戦争協力に熱意を持っていなかったけれども、対照的に多くの学校教師は政府の求める愛国主義的人物像を積極的に喧伝していったことが描かれている。


3.
小熊謙二の、淡々としながら、しかし芯のある語り口調である。読者側からすれば、小熊謙二に対し、「~という経験をしたなら、・・・になぜもっと興味関心を持たなかったのか?」と思う場面は少なからずある。これは別に無茶な突っ込みなどではなく、実際聞き手の小熊英二が類似の質問をしたとおぼしき場面が多々あって、都度都度謙二は「そんな余裕は当時なかった」、「あの時はそんなものだろうと思った」と率直に返答している。

当たり前のように思うかもしれないが、実はこれがなかなか難しい。というのも、人は記憶をしばしば改竄するものであり、特に今の状態を元に過去へ遡求する傾向がある(文章を書く立場から別の言い方をすると、「その方が相手には納得させやすい」→陰謀論やイデオロギーがなぜ人口に膾炙しやすいのかを想起)。これは何かを信仰するようになった場合、それが偶然性に満ちたものでも「そうなる必然性を過去に求めがちになる」ことなどが挙げられよう(この思考パターンは日本人の無宗教に関する議論でしばしば無批判かつ無意識に見られるというのは再三指摘した通りだ)。あるいは、凶悪犯罪を犯した者の過去に対する眼差しなども同じことが言える。

というわけで語り手の特性について述べたが、このような性質ゆえに、人間のものの考え方が単線的に進む(「進化する」)のではなく、行きつ戻りつしたり、矛盾を抱えて複雑な陰影を示したりすることが生々しく伝わってくる。シベリア抑留の話にしても、単にソ連憎し、ロシア人憎しではなく、個々の人間として見ており、人格的にしっかりした者については敵味方関係なく敬意を払っている様子が見てとれる(というのに絡めて、昨今ロシア人と知るや罵声を浴びせたりする輩もいると聞くが、爪の垢を煎じて飲んだ方がよいのではないか)。

またそれゆえにこそ、発露の仕方は変化したとしても、変わらない認識や評価は繰り返し登場して強く印象付けられもするのである(戦争への忌避感や戦争責任の考えはそれにあたる)。


以上である。この書を読むことは、あえて抽象的に言うなら、「歴史とは何か」・「歴史を知ろうとするとはどういう行為か」というある種根元的な問いにつながるものであり、またいかに世界認識が一面的な視点に縛られがちなのかを(それに矛盾する記述にしばしば出くわすことで)体感するまたとない好機となるのではないだろうか。


私自身は、『この世界の片隅に』という作品に感銘を受け、祖父母のオーラルヒストリー(のごく一部)を書いたことがある。そこでも戦傷で人生を台無しにしたはずの父方の祖父がむしろ(明言はしないが)愛国主義的で、整備兵として参加し航空機のことや戦争の記憶は楽しそうに語るが明確に反戦主義者で特に愛国的言動もしない母方の祖父という二つの事例を見ながら育ったので、わかりやすいイメージに収まりきらない本書の主人公のあり方は非常に興味深く、また改めて機会があれば自身が聞いた戦争の記憶を掘り下げてみたいと思っている次第である。

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