やっと観終わった。今年中を目標にしてたからとりあえず一つ仕事(半分は義務感だったのでこの表現はあながち大げさでもない)を片付けた気分だ。これにて初代ガンダムからVガンまでは全部見終わったことになる。後のやつは正直どーでもいいので、暇な時に∀を観て多分ガンダム遍歴は終わりだろう。
というわけで、忘れないうちに感想を書いておく。全体として言えば、「グダグダ」なのだが、それについて延々と書いても単なるこき下ろしにしかならないので、新しいなと思った点をいくつか挙げておくことにしよう(タルいのでいちいち調べたりはしてない)。
■ニュータイプを明らかに「子供」を意識したものとして打ち出そうとしている。それゆえか、前二作は成長物語みたいなところがあったけど、あまりそういう感じがしない。むしろ「子供」だからこそニュータイプでいられる、という印象さえ受けた。
■子供を話の中心に持ってきたいのが明らか。今まではアムロやシャアがいたわけだが、ほんの少し名前が出てくる程度で後は影も形も見えない。そして味方のMS乗りは全員子供。戦争を起こす大人と戦う子供という構図を作りたかったのだと思うが、結局子供が中心であることで何がどう変わったのかが提示されず、むしろ戦いから説得力が消えて逆効果だった感さえある。
■ジュドー達は(特に最初のうち)生活のために戦う。また、結構トッポい。今までは「乗ったらアラ不思議上手かったのね」という展開だったし、戦うのを邪魔するという行為はあまりしなかった気がする。その違いによって、おそらく「しぶしぶ協力している」「打算で協力している」感を出したかったのだろう(戦争への距離感・嫌悪感)。
■今までは肉親と切り離されたところで物語が展開したから、妹(リィナ)という存在がついて回るのは新しい。彼女はジュドーがアーガマに協力するための動機付けとして作用するが、途中からはその「妹」をエルピー・プルが担うことになる(この頃になると単なる味方だけど)。しかしZのフォウ、ロザミアといいなぜガンダムが「妹」にこだわるのか作中からは不明。なお余談ながら…ガンダムにおけるニュータイプの女性ってとことん踏み台にされるなあと思った。たいてい死んでいるのもさることながら、その後ニュータイプの主人公はことごとく一般の女性とよろしくやるという展開になっている(アムロ→ベルトーチカ、カミーユ→ファ、ジュドー→ルーという具合)。この構図にも何か意図があったのだろうか?ただこれに関しては、0080ではバーニャの方が死んでいるし、0083ではそもそもニュータイプの女性が出てこないし、F91では(おそらく)ニュータイプのセシリーと結ばれるし(これは本で外伝が出ているらしい)、Vでは曖昧なまま終わったりしているから、今となってはあまり意味のない疑問かもしれないが…
■エルピー・プルというキャラクターの新しさ。前二作では、子供っぽい女性キャラクターはいなかったように思う(さすがにキッカは…w)。仮に年が10代くらいだとしても、何か自己主張のしっかりしたキャラクターばかりだったような気がする。まあそれは印象論に過ぎないかもしれないけど、少なくともプルの天真爛漫さやジュドーへの甘え方が明らかに今までの女性キャラと異なっているのは確かだ。プルを見ていると、むしろ最近の「萌えキャラ」という表現がぴったり当てはまる気がする。彼女が先駆けなのか流れに乗って作られたのかわからないが、とりあえずあまりの違いに驚いたので記しておく。
以上、前とは違う要素を入れていこうっていう心意気はわかったけど、それをどこに持っていきたいのかで迷い、結局グダグダの展開&ゼータの最後と同じくいきなりの終焉って感じ。しかも、ゼータはそれなりにおもしろかったから割り振りさえしっかりしていればと思ったけど、質も低下していたZZはなお悪い。てゆうかZで何を学んだの?と思わず失笑した。ガンダムを見通したいという情熱(義務感?)の持ち主か、ハマーン様に隷属したいか、プルに萌えたいか、ルーにムラムラしたいのなら勧めるが、それ以外の人にはちょっと…というのが正直なところであります。ぶっちゃけこれ見てなくても初代と逆シャアで十分だと思うよ(^^;
というわけで、忘れないうちに感想を書いておく。全体として言えば、「グダグダ」なのだが、それについて延々と書いても単なるこき下ろしにしかならないので、新しいなと思った点をいくつか挙げておくことにしよう(タルいのでいちいち調べたりはしてない)。
■ニュータイプを明らかに「子供」を意識したものとして打ち出そうとしている。それゆえか、前二作は成長物語みたいなところがあったけど、あまりそういう感じがしない。むしろ「子供」だからこそニュータイプでいられる、という印象さえ受けた。
■子供を話の中心に持ってきたいのが明らか。今まではアムロやシャアがいたわけだが、ほんの少し名前が出てくる程度で後は影も形も見えない。そして味方のMS乗りは全員子供。戦争を起こす大人と戦う子供という構図を作りたかったのだと思うが、結局子供が中心であることで何がどう変わったのかが提示されず、むしろ戦いから説得力が消えて逆効果だった感さえある。
■ジュドー達は(特に最初のうち)生活のために戦う。また、結構トッポい。今までは「乗ったらアラ不思議上手かったのね」という展開だったし、戦うのを邪魔するという行為はあまりしなかった気がする。その違いによって、おそらく「しぶしぶ協力している」「打算で協力している」感を出したかったのだろう(戦争への距離感・嫌悪感)。
■今までは肉親と切り離されたところで物語が展開したから、妹(リィナ)という存在がついて回るのは新しい。彼女はジュドーがアーガマに協力するための動機付けとして作用するが、途中からはその「妹」をエルピー・プルが担うことになる(この頃になると単なる味方だけど)。しかしZのフォウ、ロザミアといいなぜガンダムが「妹」にこだわるのか作中からは不明。なお余談ながら…ガンダムにおけるニュータイプの女性ってとことん踏み台にされるなあと思った。たいてい死んでいるのもさることながら、その後ニュータイプの主人公はことごとく一般の女性とよろしくやるという展開になっている(アムロ→ベルトーチカ、カミーユ→ファ、ジュドー→ルーという具合)。この構図にも何か意図があったのだろうか?ただこれに関しては、0080ではバーニャの方が死んでいるし、0083ではそもそもニュータイプの女性が出てこないし、F91では(おそらく)ニュータイプのセシリーと結ばれるし(これは本で外伝が出ているらしい)、Vでは曖昧なまま終わったりしているから、今となってはあまり意味のない疑問かもしれないが…
■エルピー・プルというキャラクターの新しさ。前二作では、子供っぽい女性キャラクターはいなかったように思う(さすがにキッカは…w)。仮に年が10代くらいだとしても、何か自己主張のしっかりしたキャラクターばかりだったような気がする。まあそれは印象論に過ぎないかもしれないけど、少なくともプルの天真爛漫さやジュドーへの甘え方が明らかに今までの女性キャラと異なっているのは確かだ。プルを見ていると、むしろ最近の「萌えキャラ」という表現がぴったり当てはまる気がする。彼女が先駆けなのか流れに乗って作られたのかわからないが、とりあえずあまりの違いに驚いたので記しておく。
以上、前とは違う要素を入れていこうっていう心意気はわかったけど、それをどこに持っていきたいのかで迷い、結局グダグダの展開&ゼータの最後と同じくいきなりの終焉って感じ。しかも、ゼータはそれなりにおもしろかったから割り振りさえしっかりしていればと思ったけど、質も低下していたZZはなお悪い。てゆうかZで何を学んだの?と思わず失笑した。ガンダムを見通したいという情熱(義務感?)の持ち主か、ハマーン様に隷属したいか、プルに萌えたいか、ルーにムラムラしたいのなら勧めるが、それ以外の人にはちょっと…というのが正直なところであります。ぶっちゃけこれ見てなくても初代と逆シャアで十分だと思うよ(^^;
まったくもってその通り。というかZZは御大将はほぼノータッチですので。
あとヒゲは最高傑作なので見ないと損。20世紀最後の名作ですお。ハリー中尉のかっこよさときたら。赤ロリも見習ってほしいもんだ。
>後のやつは正直どーでもいい
GとWは見ても良いと思うけどな、エンターテイメント作品として。味っ子、ジャイアントロボOVA、Gガンの今川三作品は日本人として見ておくべき作品である。種はいらん。
おれZZ全部見てないねんwwwwwwwつまんねーからwwwwクイン・マンサとゲーマルク(のマザーファンネル)、ドーベンウルフは好きだけどー。
Gはガンダムの一環ではなく「Gガン」としてなら、東方不敗の御影を拝むためにもいつか観るかもしれんね。Wはムリw
なお、MSはドライセンがよい。
認めません。
「気に入らなければ暴れる」
「砂漠で貴重な水をかぶり、迷惑をかける」
「ジュドーを手に入れるためにリィナを殺そうとする」
「リィナが着るはずだった青い服を図々しく着る」
しかもプルシリーズはクローン体です。
化け物です。
こんなのを褒めちぎり持ち上げる人間の神経を疑います!!
さてプルに関する話ですが、おっしゃることよくわかります。ただ、私の文章とあなたの違和感を建設的に橋渡しするならば、「どのようなキャラが、なぜ、萌えると言われるのか?」という視点が有効であるように思います(私自身「子供は天使じゃない」であるとか「Innocence is guilty」といった記事で未成熟さを、あるいは未成熟なるものを是とするかのような(独善的)視点をしばしば批判してきました)。
なお未成熟さを「萌え」と結びつけたりキャラ化して消費の対象にする現象について、前者はあずまんが大王の「ちよ」(冷静な視点や早熟な部分ではなく、むしろ早口言葉ができないことが「かわいい」とされたりする)、「ツンデレ」や「ヤンデレ」などを始めとして枚挙に暇がありません。また「臨死江古田ちゃん」という作品にしばしば登場する「猛禽」とその(特に男性陣からの)優遇のされ方、あるいは「アラサーちゃん」に登場する「ゆるふわちゃん」というキャラクターの行動原理などを見るに、それはひとり二次元キャラや幼いキャラだけでなく、成人した現実の女性にさえ期待されていることもしばしばある特性ではないかと私は見ています。
もちろん個々人の好き・嫌いというのも一つの視点ですが、私としては「萌え」というものをそのような観点で扱うことに非常に興味があります(クローンに関しても攻殻機動隊など様々言及したいことはあるのですが、とりあえず今回は「萌え」の話題だけにとどめます)。
これに関して、きーまさんのご意見はいかがでしょうか?
心無いものは「ぶりっ子」「いい子ぶる」といいますが
我侭も言わず兄の将来を常に心配しますがそのために
さらわれたり危険に身を晒すこともあります。
またプルのように図々しくジュドーにべたついてコックピットに乗り込むなど露骨なセックスアピールのような下劣な態度も取りません。
本来萌えは「その人物に惹かれる」というのが正しい意味合いで、性的なものでは有りません。
その点では私はリィナのほうに惹かれます。
身長も153cmと女子高生ぐらいの大人びた性質にあった体型もロリっぽさが無く好感が持てますね。
「優しく思慮深い」「決して自分の私情はいわない」
「泣き言を言わない」
こういったこともリィナに好感を持った理由です。
あなたの文章を通じて、あなた自身の嗜好はよくわかりました。
ところで、あなたは
「本来萌えは『その人物に惹かれる』というのが正しい意味合いで、性的なものでは有りえません。」
と書いています。
私の認識だと「萌え」は非常に様々な使い方が見られるため定義が難しい言葉ですが、それゆえに「正しい」意味があったというのは非常に興味深い話です。そのように言える根拠があれば教えていただけると幸いです。
ウィキペディアで見ていただければ。
ただ、あなたの意見を見るとなぜか責め立てられている様で怖いです。
そんなにあなたが気に入らないことを言ったでしょうか?
「あなたの意見を見るとなぜか責め立てられている様で怖いです。」とのことですが、私自身にそのようないとはなかったので、単に私の表現力の拙さによるものです。申し訳ありませんでした。
さて肝心のいただいたコメント内容についてですが、wikipediaのどこにも「本来萌えは『その人物に惹かれる』というのが正しい意味合いで、性的なものでは有りません」といった趣旨の記事は見当たりません。元々は「芽吹く」様を表現するものに使われていて好意とは関係がなく、一方好意を示す今日的な使い方の場合、私が指摘したようにその使用法は多様で定義の難しい用語とされているようです。
プルであれリィナであれ、ハマーンであれキシリアであれ、どのようなキャラを好み、嫌うかはもちろん個々人の自由ですが、不確かな情報をもとにして自らのそれが本質的に正しいものであるかのような(あるいはそういう意図があると見なされるような)書き方は避けた方がよいかもしれませんね。
ちなみに私があえてこの話題を繰り返ししているのは、私が好ましいと思われる女性像やその理由という一般的傾向の話をしているのに対して、あなたはずっと個人的な好き・嫌いの話をしていて会話が全く噛み合ってないからです。