フラグメント2:常識、不快感などについて

2007-10-21 10:49:12 | フラグメント
前回に引き続き、フラグメントを掲載する。

羊山公園、ようかい[玉の輿]、伏字の笑い>
金が無いフリ苦しいフリ=幸福に耐えられない、データ整理、どれほど良き人間たろうとしても届かぬ…ソフォクレス的な話?、中国人のバイトと喫茶店…横のテーブルに置かれたものが、自分のところに来ると、手を付けられていなくても不快[※]。フラ革中心書.妖獣戦記、黒木メイサ、角川田丸、フランス革命と宗教意識:民衆と知識人の乖離?[日本の場合は?]


「喫茶店で、(自分が頼んだものを)間違えて隣の客のところに置き、間違いに気付くのはいいがそれをそのまま自分のところに置く適当さはどうなのよ!?」という中国人バイトへの怒りの言葉を聞いて書いたもの(新しいのをちゃんと持って来いよ、という話だった気がする)。「なぜそれが不快なのか?」という疑問である。まあ俺は適当な人間なので全く気にしないけどねw


深読みも誤読>
作者の意図を正確に理解することが読解であるとすれば、深読みもまた誤読の一種だと言える。たとえば私が高く評価している沙耶の唄。その評価の理由に現実の価値観への揺さ振りを挙げているが、作者はどのような立場なのだろうか?これは設定資料集をみればわかるが、虚淵は確かに美的感覚や理性への疑いをもとにこの作品を構築している。だが、そこから沙耶の側が正しいと描こうとしているとは言えない。というのも、そこにはクリーチャーを倒したい的な素朴な発言が見られるからだ。異物を正当化しないがゆえに正常を揺さ振りうるのだ。


常識について>
秩序と反秩序の二項対立=死ね。そもそも私は結構秩序にうるさい人間であることを忘却している(凶悪な犯罪⇒死刑的な)。だが、重要なのはそういった前提の欠落ではない。横の関係しか見えていないことにあるのだ(もっとも、「なぜ人を殺してはいけないのか?」が答えられないレベルではあるのだが)。つまり縦の関係=歴史性を忘れている。前から続いてきたように思われる数々の規範、常識、法、歴史的に作り出されてきたものでしかない(というより、世情の変化を思えばそれが自然である)。今日の真理は容易に明日の嘘になる。そんなことは当たり前だと言うだろうか?では常識や規範の歴史性をどれだけ考えてきただろうか?いつの間にか埋没し、しかもそれを当然の真理のように思ってはいなかったか?歴史学は世界に蔓延する数々の虚偽を切り裂く刄となっているのである。常識や規範の拠って立つところを考えず、しかもそれを平気で人に押しつける、そんな虚ろな人々を私は憎悪する。

※2
虚ろな人々に対してよほど怒っていたようだが、それにしても怒りすぎであるw
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