鬼滅、始めました:情念とオフビートの物語

2020-12-21 12:25:00 | 本関係
兎鞠まりなどのVtuber系話から始めて歴史的人物の評価や旅行の記事→多様性・複雑性(と他者理解)の話に一度抽象化したところで、藤原薬子の記事でアホな話に流れを変えてみた。その上で再びVtuberの話も書いたことだし、そろそろこれかな?うーん、でもちょっとネガティブ過ぎる印象が拭えねーなー・・・なんてことをあれこれ考えた結果、今手持ちの札の中では最もライトな部類に入る話を書くことにした(まあ年内にはVtuber絡みのことはもう一度話しますわ)。
 
 
それが『鬼滅の刃』である。いやはや全くのところ王道すぎて新鮮味がありませんな(・∀・)いちおう様々話題になっているのは知っていたけど、なかなか見始める時間を作ることができなくてずっとそのままになっていた。そんな折行きつけの店にちょうど全巻置いあったため、飯を食いがてらぼちぼち漫画から読み始めたという次第だ。
 
 
今のところ5巻まで読んだが、個人的には非常に好きな話である。全体的に印象深い要素は、「情念」と「哀しみ」(あるいは「憐み」)だろうか。それは復讐かもしれないし、愛情への飢えかもしれない。しかし、そういう感情はもはや人ならぬ存在となった鬼であっても同じである、という点において、勧善懲悪とはかけ離れた、非常にオフビート感の効いた作品となっている(日本の作品において、ウルトラマンのジャミラ、アニメ版トリトンの最終回など、こういった存在や描写は枚挙に暇がない。私がしばしば取り上げる「沙耶の唄」という作品が純愛と評価される要因の一つも、ここに結びつけることができるだろう)。
 
 
もちろんジャンプ掲載作品ということで、今述べたような性質が前景化してシリアスになり過ぎないよう随所にコミカルな描写は入るが、逆にそれがちょっと浮いている感もあって(むしろソウルイーターアニメ版のエクスカリバー回のように、あからさま過ぎていささか「メタい」感じすらする)、この作者の真骨頂・作家性がシリアス部分にありそうだと読み取るのは比較的容易だろう。
 
 
正直なところを言えば、バトルそのものの描写に迫力や強烈な新鮮さを感じるかというと、少なくとも自分はそうでもない(これから変わるかもしれないが)。聞くところによればアニメはその描写力が図抜けているそうなので、「アニメは凄いけど、漫画はそうでもない」との感想を漏らす人が少なからずいるのはおそらくそういうことなんだろう(例えば鼓を打つと部屋が変わる戦いなどは、むしろアニメで強く生きる部分だと思った)。
 
 
この印象がある程度一般的であるならば、漫画版の最大の魅力は「情念」とその発露ということになるが、さすがだなと思うのは、情念一辺倒ではなく、そこに様々なパターンを用意していることだ。それは「無垢」な禰津子であり、謎めいたほど不器用で猪突猛進な伊之助であり、情念とは真逆の胡蝶しのぶであるが(彼女に「笑顔で異端者狩りを行う審問官」とでも言うべき不穏さをまとわせているのもさすがだ)、こういった存在を少しづつ登場させて飽きさせないようにしながら、物語の柱には主人公の情念や哀しみ、憐みを据えている。今後どういう展開になっていくのか非常に愉しみである。
 
 
[余談]
 
私が「情念の物語が好き」というのは意外に思われるかもしれない。というのも、私はしばしば直情的な思考態度を否定しているからだ(ちなみに、陰謀論や特定民族へのヘイトが典型的だが、昨今見られる不安にかられたレッテル貼りとその理屈付けも、直情的な態度の最たるものだろう。これは当事者にとってはなまじ理屈があるように思い込まれているのがタチが悪い)。
 
まあそもそも直情的=情念という捉え方が間違っている、という話で終わるのだが、もう少し広げてみると、私が軽蔑しているのは例えば論理・合理性<精神力のような態度をとり、あまつさえ「これだけ専心・没入してるんだからお前たちも称揚すべきだ」といったような、ファナティックな態度に他ならない(これを『空気の研究』などで批判的に描写したのが山本七平であり、またそのような態度は実のところ「お上」に自分こそ忠実な下僕であると媚びる物欲しげな態度にすぎないと喝破したのが三島由紀夫であった。なお、そのような傾向を批判的に見れない人たちには、先の大戦とその失敗を例に挙げれば十分ではないかと思う)。
 
話を戻すと、私自身は人間の情念とその発露に極めて興味があるし、そのことが「人間の境界線」について考える場合も「人間は確定記述の束に過ぎないのか?」という根源的な問いと繋がっているのである(これが「ひぐらしのなく頃に」の考察で述べたアーレントの『全体主義の起源』とも関わっていることは言うまでもない)。
 
そしてそのような興味・関心があるからこそ、例えばイーガンの「祈りの海」、高橋和巳の『邪宗門』、あるいは「沙耶の唄」「euphoria」などに強く心を動かされるのであろうとも思う次第である(というのが日本人と無宗教というテーマであったり、AIと人間社会の未来のようなテーマにつながってくるわけだ)。

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