危機的状況に置かれた人間を描写する時、ただひたすら「助けて」を連呼する方法ほど冷めるものはない。ストックホルム症候群を持ち出すまでもなく、人は生命の危機にある時自らの身を守るため様々な、そして意外な反応を示すのであり、前述のような演出方法ではいささかもその切迫感や異常性を表現できないからである(この他、日本人捕虜が拷問されたわけでもないのに、どんどん敵方に情報を流していたことなども想起するとよい→一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵』など参照)。憔悴して無反応になったり、命を脅かすもの≒支配者と親和的になる様を描ききることでいかに極限状況の人間を説得力をもって受け手に示すか、そのことが重要であるように思われる(その意味では、前回取り上げた「八甲田山」や、最近の映画「野火」などに見るべき点が多々あるだろう)。
はいどうもこんばんわ、カラヤン伯です。疲れ気味なので22時前に寝たら11時30分に起きて軽く恐怖を覚えた今日この頃ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか?表題からもわかる通り、菜月シナリオのプレイ日記はこれで終わりません(終われませんw)。中編がラノベ的設定を冒頭で言及しながら、予定に反して長くなりどこにも結節せずに終わっているグダグダ展開のため今度こそはと思っていたが、我が文才のなさを呪うしかないですわい(;´д`)ちなみにネタバレは極力回避の方向で書いております。では、以下原文をどうぞ。
五つ目の課題クリア・・・ってインターバルがあるんかい!これは一体どういう意図なんだろう?
1.精神的に追い詰める
2.これで終わりではないことを暗示する
あたりかと思うが、うーむよくわからん。その後、主人公が寝ている間にみんないなくなっている、だと!?全く訳がわからんわい。まあ「鍵」がいらんくなったので危険な衝動を抱える主人公を見捨てた可能性もなくなはいが、今までの描写的にちょっと無理がある(少なくとも「主人公もやらされている=被害者」と真中以外は認識している)。まあそう認識しているように見せかける(気づいてないフリをする)ことで主人公からターゲッティングされることを回避しようとした可能性も想定できなくはないが、インターバルの最終段階で見捨てるぐらいなら、もっと前にみんな不審な行動をしてるはずやからな。となると、これは再度この世界が虚構であることを示そうとしてんだろう。
で、何が始まるんやと怪訝に思っていたら、今度は救出ミッションかーい!しかも悶絶トラップ(?)つき。これを見て「いや、主人公も過酷な試練を課されてますし、女の子に酷いことをするのを何かそれっぽい理由で正当化したゲームじゃございませんぜダンナ!」というエクスキュースかと思った俺は症候群L5の疑いありwまあ展開が変わったことを示す意味はあるだろうし、中編の記事で述べた「試練」てのと繋がるのかもしれん。で、ブランカ攻撃に耐えながら助けようとするも・・・王大人死亡確認!ってマジかよ(;´Д`)選択肢すらなかったってこと、そして
『残念でしたね。次は頑張ってください』
無個性で無機質な『声』に底なしの悪意を感じた。これまでの機械的な『声』とは明らかに質が違う。
という言及がわざわざある以上、何らかの意図があると見るべきだろうな。
ひどく混乱した状態で次へ進むと、次も似たようなデス・ゲーム。これまでの展開からしてこっちは助けないって選択肢が出る可能性も・・・ってそれはないのね。でもここで突っ込ませてもらうと、刺さるのがその位置なら全然外れてますぜ。むしろ左の二の腕辺りに刺さる絵にするべきなんじゃないか?と冷静に突っ込みつつ、救出はクリア。その後の彼女の反応は、普通のゲームとして見るなら「ツンデレ」(≒実はそんなに悪い子じゃない)という解釈になるのだろうが、さてこのeuphoriaがそんなヌルい描写をしてくるか疑問だ。何が言いたいかと言うと、これが合理的な生存戦略ではないか、ということだ。たとえば最初は、主人公の隠された獣性を捉えて主人公を調伏し、自分の思い通りに操ることで自分が被害者になるのを防ぐ。それと同じように今度は主人公の一存で自分が見捨てられる(死んでしまう)可能性があるのなら、しおらしくして主人公と親密な関係を築いた方が合理的な振る舞いである。言い換えれば、助けてくれた主人公に対しては態度を変えておいた方が、この後同じようなことが起こっても「あれほどの人間が手当さえしてくれたのだから・・・」と恩に着て助けてくれる可能性が高まる、といった計算があるのかもしれん(同じことをしているのに、普段厳しい人と普段やさしい人がやるのとでは印象が異なる)。ナイフが飛んでくる時の言動は最初が驚きでその後のものは叱咤激励なので、この解釈で矛盾は生じない。ただ、次のやり取りがどうも引っかかる。
「最初のあの女が死にかけた場面ではあんなのに興奮したのに、それと同じ脳と肉体で、そんなに必死に女を助けようとするのが不思議」
「別に何の不思議もない」
危険な昂奮の萌芽はそこら中にある。 **でも**でも最悪の姿を想像した(筆者注:**は原文では人名が明記されている)。
だけど、その暗い願望と同じくらい強い気持ちで、俺はみんなを助けたい。どっちも紛れもない本音だ。だから俺は、このゲームで死ぬほど苦しめばいい。
主人公が破壊衝動を持ちながら他の人間を救出していくことの説明ではあるのだろうが、それにしてはいささか唐突というか宙に浮いている印象がある(葛藤があまり描かれてこなかったため、説明のための説明という印象を受ける)。特に最後の、「だから俺は、このゲームで死ぬほど苦しめばいい」というセンテンスは、多面性を示すだけでなく抑圧・自罰を示す言葉にしか見えない。こうなってくるとカフカの『審判』、あるいは近代的な精神分析と似通ってきて、まさしく「開錠条件」は「試練」として見るのが妥当ということになってくる(端的に言うと、euphoriaの世界から連想されるポストモダン的な認知科学やイーガンが描く冷めた人間観とあまり合致しない)。まあとりあえず気にはとめておこう。
※最終編に続く
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