フラグメント15:自我境界線、ウィッチブレイド、バルザックなど

2007-12-16 11:23:42 | フラグメント
この辺の覚書はまだ全然まとめれていないなあと嘆きつつ、15番目のフラグメントを載せてみる。

<妖獣学園のふた忍者には無反応(※)>
フラグメントの「自分で言ってるから~」、はひぐらしの「惨劇に挑め」や「重ねて読め」のこと(人に整合性がないのは確かだが、自分で言っている以上鬼編ラストの整合性必然性の欠如は批判すべし)。(※2)エロゲーに処女性を求める=娼婦よ純潔たれ!と言うに等しい、[無関心な人々]ミケーレは今の枠組みで生かされるのを嫌っているくせに[それがなければ]生きられない。むしろ維持しようと望みさえする。枠組みの中での遠吠えだ。それゆえの無関心?バルザック[知られざる傑作]…写実主義への反発を述べる老画家、人に見せたくない…何のために書くのか?という問題、自己顕示欲、理想の女を作り上げ追い求める、そういう自己とは何か(※3)?「絶対の探求」、情念


正確には、おそらく大学1、2年くらいの時に見た「淫獣学園」の話。この中でふたなりの忍者が登場するのだが、全く気にならなかったことを述べている。

※2
と書いてあるが、この推測はおそらく間違っており、何か他のことだった気がする。

※3
これは色々なことに当てはまる。例えば理想的な人間像があるとして、そう思う自分自身について考えることが実は一番重要なのではないか?


<すぐ帰る上司と職場に泊まる上司>…以前の職場と今の職場
寝てない=なすべきことをなしていない不快感・罪悪感、[ウィッチブレイド]最後のエクスコンもマリアも母親を求める(ファーザーでさえも)。序盤でエクスコンの被害者たちが皆女性だったことと関係(※4)?そして彼らはウィッチブレイドを求める。ウィッチ=母…雅音、麗奈(りこの母)、最後と大災害の類似性を考えると、子供を守りたい気持ちが力を生んだ(生めないもの=ファーザー)→力は使いよう。適合者の母であることが装着者の資格?デカルトオカルトアラカルト[←単なるノリw]、哲学者を道徳家だとみなすのは、知恵あるものは良識の体現者に違いないという錯覚に他ならない(※5)。

※4
ただし、雅音と最初のエクスコンの遭遇時のように、邪魔するのであれば野郎でも排除される。

※5
というのも、彼らはその良識を疑う場合がほとんどだからだ。


<[苛立ちの]感覚を突き詰めると…>
でそのまま朝から仕事。三週連続日曜朝から仕事。丸投げで一気に増える仕事。だが一番いらつくのは、タイムイズマネーを理解してないやつらだ。と一通り怒りを吐き出すと、そのメリットも見えてくる。ここでやらないと後でもっと苦労するとか。会議する時間がないとか。参加して当たり前[原文はここで終わっている]

※6
上で書いた<職場に泊まる…>と繋がる。ただでさえ忙しかった11月に、他の担当の仕事とかが丸投げされて「野郎ぶっ殺してやる!」なテンションになっていた時のメモ。職場に泊まってそのまま日曜お仕事、なんてこともニ度あったり。おかげさまでひぐらし全くプレイできないし、共同ブログもグタグダになっている。


<冴草こはく LOF 木谷>
飯残っているのを俺に寄越せ。残したら母親にも説教する(※7)、それが「それ」であって「あれ」でないのはなぜか?私が私であって彼でないのはなぜか?私とは誰か?私の範囲は?自我の境界線、亡くした腕は私か(※8)?共感、ユング、精神病と境界線の喪失(※9)

※7
これは対話形式で書く予定だが、いかんせん色々な要素がくっついて量が膨大に。年内に書ければいいなあ、とは思っているが…。

※8
もし腕を切断した場合、その腕を私と呼べるだろうか?呼べないのであれば、それはなぜだろうか?呼べるのであれば、例えば切った爪などはどうか?

※9
共感の問題を根源から考えてみるアプローチの一つだが、この方向性はどうも不毛な気がしてならない。今現在は、同一化傾向と社会の拡大という観点で共感の問題を書こうと思っている。
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