「ふたなり」に関する覚書

2007-06-07 01:56:04 | 不毛漫画
両性具有というのは男根と女陰の双方を持つ存在のことであるが、単に中性的存在であるだけでなく、西欧世界においては天使が両性具有であるなど超越的な位置を与えられてもいる。しかしそういった話はバルザックやバタイユ、澁澤龍彦などを読んでもらえばよい。今回扱うのは、そういった両性具有ではなく、最近エロ業界で少しずつシェアを伸ばしている「ふたなり」についてである。


今まで商業誌は100冊、同人は2500冊ほど(※)読んできたが、実はその中である特徴を見出した。というのは、女性に何らかのきっかけで男根が生える場合は少なからずあるが、男に女陰が生える例はほとんど皆無なのである。もう少し詳しく言えば、ふたなりモノのアンソロジー中で、どう見てもエヴァのシンジ(主人公)とアスカである二人にそれぞれ女陰と男根が生える話があったという一例だけしかない。他は必ず女性に男根が生えるのだが、この違いはどのようにして起こったのだろうか?


男性に女陰がつかない理由は、身も蓋もないように聞こえるかもしれないが、要するに「気持ち悪いから」だろう。特に男性読者を想定すると、男キャラに女性器が付いているのを見たら、エロいどころか気持ち悪いと感じるのではないだろうか(その感覚を作者と編集者、あるいは片方が持っているために「男性⇒ふたなり」という変化は起こらない)。いや、もっと突っ込んだ話をすれば、実は「ショタ」というジャンル(?)が存在するために、男性をふたなり化する意味がないという理由が根源にあると思われる(こう考えると、女性読者にとっても「男性⇒ふたなり」という変化の需要がない理由も説明できる)。さらにぶっちゃけて言えば、男の場合すでに穴が存在するわけで、新たに女陰を付けても大して意味が無い、ということである。


こんな感じで捉えると、今日の「ふたなり」とは「超越した、あるいは中性的特徴を持った存在ではなく、エロスを高めるためのパーツとしての男根を与えられた女性」に限定されると言っていい。しかしそうすると、そのような「ふたなり」への需要は何に基づいているのかという疑問が湧いてくる。それを考える際には、「ふたなり」が中性的存在ではなくあくまで女性であることが重要かもしれない。つまり二つの性器を持つ特殊な存在ではなく、陰茎を持った「女性」である点にこそ注目すべきだと思うのである(極端な話、陰茎が「猫耳」などと同じ役割を果たしていると考えればよい)。


陰茎を持った「女性」は普通の女性と何が違うのか、あるいは陰茎があることでどのような効果があるのだろうか?正直俺も意識したことはないが、あえて考えるなら、おそらく自分の知覚できる快楽であるがゆえに興奮するのではないかと推測される。周知のように、女性がどれだけ「感じている」ような描写をしたとしても、それは男性にとって未知のものであるため、そこには絶対的な距離感・溝があるし、そこから当然胡散臭さを感じることになる(もっとも、その反応が正しいと思うが)。しかしながら射精の快楽については知っているため、ふたなりの「女性」が感じたり射精したりすることに対して、普通の「女性」よりも違和感なく受け入れることができるのではないかと考えられるのである。


要するに「ふたなり」とは、超越者・中性化の記号ではなく、男性読者が女性の感じている姿を(共感という幻想によって)違和感なく受け入れるための有効な触媒になっていると結論できるだろう。



こないだ試算して自分でびっくりした。もしこれだけの本を持っていたとしたら、当の昔に床が抜けていただろう。

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2 コメント

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なるほど (バイシ)
2007-06-11 23:20:22
私の属性でもある、「ふたなり」ですが、こんなに詳しく考えたことはなかったです。
ギーガさんの考えが正鵠を射ているような気がします。
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Unknown (ギーガ)
2007-06-12 01:19:42
始めて「ふたなり」を見た「誘惑」OVA版の経験をもとに考えたことなので、正直どれだけ一般性があるのか自信がありませんでしたが、そう言っていただけると幸いです。
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