天下布武 三日目:白髭神社への遠征

2022-08-10 11:30:30 | 畿内・近畿旅行

 

比叡山巡りを終えると正午近くになっていたので、下山してすぐの店で昼餉をいただくことにした。

 

 

身体を休めながらメニューを眺めつつ、比叡山巡りの終盤で考えた日本人と宗教的帰属意識に関することをぼんやり思い返す。そもそも問題意識の始まりは、「なぜ日本人は自分を無宗教と自己認識する人が多いのか」というものだった。私にとってはその理由が掴めればよいのであって、例えばその理由が「実際に原初と言ってよいレベルで特定宗派への帰属意識がない」のか、「制度により歴史的に形成されてきたもの」であるのかはどちらでもよい。

 

重要なのは、それがしっかりとした根拠に基づく蓋然性をもった説得的な理論であるかだ。もちろんそこには、検証において不可欠な「反証可能性」が踏まえられているべきことは言うまでもない(じゃなければ飲み屋の放談と同じなので)。こういう見地に立つがゆえに、「宗教的混交+多神教=無宗教という自己認識」という見解ならインド社会という反証にさらされ、「アメリカ的物質至上主義→宗教的帰属意識の剥落→無宗教という自己認識」という見解なら当のアメリカ合衆国という反証により、少なくともそれ単体では説明がつかない=理論として大いに問題がある・・・といった話をくり返ししてきたわけである。

 

これは単に思い付きを腐すことが目的ではない。例えば前者なら、「インド社会が、北インドはイスラーム中心で(cf.ガズナ朝~デリー・サルタナト(政権)~ムガル帝国)、南インドはヒンドゥー教中心(cf.ビジャヤナガル王国やマイソール王国)といった二重性があり、その共存と軋轢がお互いの宗教的帰属を意識させる役割を果たしたのではないか?実際それは大英帝国の分断統治があったとはいえ、前者はパキスタン、後者はインドとなったのだから」といった具合に。

 

そしてもちろん、この仮説が正しいかどうかは史資料を用いて検証されなければならない、といった具合に焦点がより明確化されるのである。そしてさらに踏み込むと、「日本人の宗教意識に関する言説や書籍でしばしば見られる、地理的に遠く関わった時間が相対的に短いキリスト教世界との対比はやたらするのに、地理的に近く関わった時間は相対的に長いアジア世界との対比は驚くほど少ない」といういびつな構造が見えてきて、この偏りは一体何に由来するのか?という「日本人」論や「日本宗教論」論にも広がるのだ(この思考が後の「脱亜入欧的オリエンタリズム」という表現につながる)。

 

といったあたりで昼飯をモグモグ・・・うーん、お味は特筆するレベルではないかな。まあ特に下調べして入った店でもにゃーし、こんなものか( ̄▽ ̄;)

 

さて、腹も膨れたことだし、こっから琵琶湖を北上しますかね。

 

 

車内にてさっきの話の続きをあれこれ考える。後者の「アメリカ的物質至上主義」において日本とアメリカ合衆国を対比するなら、まずはアメリカの成り立ちの特性などを踏まえた「市民宗教」的性質を指摘する必要がある。つまり、英国本国における弾圧によりピルグリム・ファーザーズが新しくコミュニティを形成したという来歴(God Bless America!が象徴的)、州により地域性・独立性が強くサンベルト(バイブルベルト)のようなものが観察されること、移民が多く常に汝何者ぞと問われるような社会であること、経済発展とリバイバル運動etc...といった具合に、欧州と比べても特異な社会なのである(これは「欧米」という括りが粗雑にすぎることも関係している。まあ「欧州」といってもフランス・ドイツ・オランダで全然違うし、ドイツの中でもベルリンとミュンヘンでは異なるという具合に、そもそも日本人が「他者」として想定する欧米像があまりに抽象的で雑然としており、多様な内実を反映していない=解像度が低いことも影響している点は指摘しておくべきだろう)。

 

これに加え、そもそも日本社会がどのような歴史を辿ってきたについても再確認する必要があるのではないか。戦後すぐ(1952年読売新聞社)の意識調査では仏教徒と自己認識する日本人が半分以上を占めるので、仏教に注目して話を進めてみるとこうなる。戦国時代における宗教勢力の躍動を見た江戸時代では、仏教諸宗派が国家管理の元で一種の「国教」とする檀家制度が成立した(これを元にキリシタンや日蓮宗不受不施派などを弾圧していく)。信徒数や収益といった点では安定した状態を作れたものの、平安の世における宗門改帳というシステム=「自動登録制度」は儀礼の形式化・形骸化とあいまって人々の帰属意識の形骸化をもたらした(出生届を出す「役所」そのものに帰属意識を感じたことのある人間が一体どれだけいるのか?と問うてみるのもよいだろう。ただし、「宗教的」と呼べるイベントがなべて形式化したなどと言えない点は、お蔭参りや金毘羅参りといった巡礼ツーリズムの流行、そしてそこでは伊勢講のように参拝資金の相互扶助組織すら形成されていたことを指摘しておく必要がある)。こうして、日本全体としては宗教・救済が強く求められることもないまま、ただ所属手続きだけ強制(下手をすると無宿人になるので未登録はリスクが大きい)される仕組みが250年ほど継続した結果、そこへの帰属意識が希釈化されていったという可能性が考えられる(これを宗教儀礼の「慣習化」と呼べる)。

 

そうして十分な土壌が整ったところで、明治政府の神仏分離と廃仏毀釈・仏教の特権廃止といった政策はもちろん、寺が中心をなすコミュニティから、(学制の施行などにより)学校が中心をなすコミュニティへの変更がなされ、仏教の共同体的機能も梯子を外された(近代化が伴う宗教の世俗化については、ある程度普遍的に見られる現象なのでここではいちいち細かく言及しない。そこに前述のような変化が付け加わったということである)。結果として、全てが突然ゼロになったわけではもちろんないものの、その役割はますます形式化・慣習化し、いわゆる「葬式仏教」化が進展したというわけである(では仏教の思想的側面とその影響はどうかと言えば、当時あまり整理ができていなかったけれど、現時点では「清沢満之らの活動による仏教教義の学術的探究→仏教哲学として知識人に受容される」と、暁烏敏的なラジオ説教→仏教道徳として大衆に受容される」という二つのルートがあったのではないかと考えている。要は、宗教的帰属意識とその思想が、半ば分離したような状態になったという仮説だ[ただしこれに関して、日蓮宗系の国柱会などに関する考慮は十分にできていない状況である]。なお、このような「分離」の一つの顕著な表れが、日本宗教史の本があくまで信仰・思想内容のみにフォーカスしていることに表れているのではないかと私は考える。本の構成は受け手の興味関心の傾向と関連していると言っていいが、要するにそこでは宗教と社会システムとの結びつきが欠落しており、「宗教社会学」というより「日本思想史」と言った方が適切なものとなっているのだ)。

 

つまり、江戸時代から昭和戦前にかけて徐々に宗教・宗派への帰属意識が形式化・形骸化されてきた中で、戦後を迎えるわけである。そして戦後では、都市化や核家族化によって、いわゆる伝統共同体が変容していくわけだが、そこでは信仰が下の世代に持ち越されない現象=「継承の失敗」が見られた(1950年と1952年の調査において、「家の宗教」=家で信じている宗教と答えられたもので仏教が80~90%弱を占めるのに、「個人の宗教」=自分が信じている宗教としては30~50%程度だったという落差を想起したい)。そして先ほどの問いに戻るわけだが、「アメリカ的物質至上主義」に関して、当のアメリカ合衆国では相変わらず宗教が盛んなのに、日本では無宗教が支配的になった歴史的背景はこのような違いではないだろうか。

 

つまり、長い年月を経て制度的理由などからすでに「空気」と化しつつあった宗教であるから、伝統共同体から距離ができたことでそこへのコミットは急速に低下し、結果としてそこに帰属意識を持たない人間が支配的(=無宗教と考える人間が大半)という状況が生まれたわけである(もちろん、伝統共同体=「イエ」からの離脱がすなわち宗教的帰属意識の剥落に直結したかは検証が必要だし、また検証の難しい部分でもある)。

 

ここには信仰と負の相関を示す高学歴化という現象を指摘することもできるが、もう一つが先の記事で企業墓に絡めて述べた会社共同体とそれによる包摂が関わっているのではないか?すなわち、伝統共同体から切り離された個人が、会社共同体に包摂されその中でどこまで意識的・無意識的かはともなく、とにかく豊かになることを目指して猛然と働き、その結果「三種の神器」などを揃え、その先に「経済ナショナリズム」でアイデンティティを確立していく、という流れである(もちろん他のルートも存在する。つまり、都市に出た根無し草的存在が心の拠り所を求め、そのような人々を多く取り込んで成長した集団の一つが創価学会であることはよく指摘されているところである)。

 

仮にこのような見立てがある程度正しいとすれば、こういった点でも「アメリカ的物質至上主義」の機能がなぜアメリカと同様にならなかったのかについて、日本の家族主義的経営や敗戦とアノミーを経た独特な精神状況を指摘することが可能だろう(そしてそういった環境がバブル崩壊などで変容する90年代には、経済ナショナリズムに代わって歴史修正主義=ナショナリズムが台頭する、というわけだ)。

 

 

 

てなことを考えてたら、白髭神社にとーちゃーく(・∀・)

 

 

 

 

道路を隔てて神社が湖の中にあるって、なんとも不思議な感覚になるね。まるで厳島神社みたいや。とはいえ、

 

 

厳かな雰囲気っていうよりは結構みなさんざっくばらんに楽しんでまして、そのギャップがまたおもしろかったりするw

 

まあもうちょいゆっくりしてってもいいんだけど、雰囲気は味わえたことだし、目的地はだいぶ遠いので早速出発しようかね・・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フェティシズムの輪廻 | トップ | さーて、最終的な旅先は・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

畿内・近畿旅行」カテゴリの最新記事