
厄除けRTAを終えて外に出ると、長蛇の列に唖然とする😨
朝早く来てよかったわ~。つか佐野厄除け大師の集客力まじハンパね~な~(詳細は覚えてないが、車のナンバーも各地から来ていたようだ)。
相方が次の目的地について調べてる間、田中正造の墓へ。

墓地はこんな感じで、銭湯の煙突が見えるのがおもしろかったが、なぜかこの景色にデジャブがあった。
①ワイの前世の記憶
②仕事で疲れてる
③似た町並が他にもある
ここはポルポル風に答えは③ですかねえ(゜∀。)まあ銭湯と寺が近い合理性はよーわからん(むしろ反対に思える)ので、ちょっと調べてみますかね。
ともあれ、田中正造の墓前で手を合わせる。そういや2021年のGWに日光詣でをした足尾銅山跡に後バスで行こうとしたが、悪天候と時間的微妙さで断念したんだよなあ・・・
田中正造を詳しく知っているわけではないが、彼が天皇を敬愛しており、たとえば「反体制・反権力=反天皇」のような分類をしたら見誤る点は興味深い(例えば、宗教改革=反教会運動を始めたルターを「反権力の旗頭」のように考え、勝手に反封建諸侯でもあったと誤認するのと通じるものがある)。
これはそもそも、近代化を押し進める企業・政府と天皇を同じカテゴリーにしていなかったこともあるが、あるいは江戸時代の一揆の背景ともなった「統治者は良き政治を行うはずの者である」という仁政イデオロギーの影響もあるのだろうか(足尾銅山の話ではないが、こないだ紹介した藤野裕子『民衆暴力』は、秩父事件で近世的世界観の民衆と近代的世界観の企業の相剋にも触れている)🤔
また、近代化・工業化による「成長」にこういう負の側面がつきまとうことはよく指摘されるが、とはいえそういった認識が一般的な歴史観に反映されているかはちょっと疑問がある。たとえば、「三丁目の夕陽」的な世界で昭和30年代があの頃は良かったみたいに描かれたりするが、水俣病など公害が酷かったりと様々問題を抱えていたことは忘却されとるんかね?と思ったりする🤔
まあ技術の発展は生活水準の向上とか災害の抑止にも繋がってたりはする部分もあるから、これで成長イデオロギーみたいになって「脱成長こそ正義!」的な反応をするのも短絡的ではあるけどね~😅
てな感じでお寺を辞しましたよと。なお、同行者がかつて行った佐野ラーメンの名店があるらしいので、そこに行くことに決定。そこそこ距離あるのでタクることしたが・・・
影も形も見当たりませぬ😵ほいじゃま店に向かって歩きつつ、タクが通ったらつかまえるべという話になったが、結局30~40分くらい歩いて一度も遭遇しませんでちた(゜∀。)
あんだけ人が来るんだからそれなりにタクシー走ってるやろと思ったが、車社会だから実際にはニーズがあんましないんだろうか?
まあ確かに、


歩いてる時の景色はこんな感じなんで、流しで走ってても客は見つからんのかもなあ😅なんもないのに道はやたら広くてたまげました😀


さらに進みながら、さっきの厄除けの儀についてあれこれ会話。天海=明智光秀(笑)とか、昔の言語そのままであることゆえの儀式化・形式化、葬儀や戒名などについて、実家の話も含めつつ店に向かう(そういや『反逆の神話』とかを勧められたがまだ読んどらんわ・・・)。

とーちゃーく(・∀・)最近仕事ばっかだったんで、むしろいい運動になりましたわ😁
ほいじゃあ佐野ラーメンをいただくとしませう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます