ガダルカナルは教訓となっているか

2020-04-16 17:00:00 | 歴史系
戦力の逐次投入は傷口を広げるだけだ、と70年ほど前に経験したはずなのだが、どうやら日本お得意の忘却癖がここでも発揮されてるらしい(まあ今回の事態はもっと断固たる行動を取れよ!と批判してる人も多いので、過度な一般化は不適切だとは思うが)。


やはり、「なぜそういう非合理なアウトプットがなされてしまうのか?」という失敗学というか背景の理解がないと、人間(集団)って成長しないんだなってよくわかるわ。


要するに、面子の重視、優先順位の履き違え等々だが、まあ経済があかんことになると政権維持も(アベノミクスや消費税増税の批判とともに)覚束なくなるって恐れと、危機感の薄さといったものが絡み合ってこうなってんだろうなあ(ちなみに今の会社にいると、経産相の要請などで少しずつ勤務形態が変わっていくのが、まさに戦力の逐次投入と朝令暮改感が肌身に感じれてもはやギャグの領域やな、と思ったりする)。


それにしても、今回ので色々と底が見えたと言えそうだ。政権の断固決然的物言いはただのポーズ(そういうのがウケるからやってるだけ)だし、国民の命より経済優先だし(ナショナリズムというポーズ)、緊急事態の対応力は民主党だから特別にダメだったわけではない、などなど(もっとも、民主党系の政権に戻せば万事OKみたいな、相変わらずの「お上にお任せ思考」をしてるならとっととやめるべきだが)。


深刻な状況ではあるが、テレワークの価値といった「わかってたけど今さら前例を変えられなかったもの」やインバウンド頼りの経済の脆弱性などが明るみに出ているので、これを奇貨として新しいシステムへの変更(まさにシュンペーターのイノベーション!)やそれに伴う諸々の問題点の共有と対処法の策定をやれるかどうかが問われている。


不安の中、ライナスの毛布よろしく旧来のもの(それは政権でも働き方でも同じ)にしがみついたたまま極寒の時代を迎えて凍死するのか、たとえそれが荒野でも新境地を開拓する方を選ぶのか、それが問題だ。

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