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名曲紹介:愛しき日々、鬼哭街など

2012-10-02 18:30:06 | 音楽関係

ほいじゃ「雫」やInspirationに引き続き、名曲紹介第二弾といきますか。 前にも言ったとおり、保存名での順番なので日本語にするとめちゃくちゃであります。てゆうか、曲よりもそれに絡む話の方がはるかにコメント長いな・・・

 

6.22歳

谷村真司と言えば、自分の中では「群青」とこの「22歳」が双璧。前者は確か三歳だか四歳ぐらいの時オヤジと一緒に「連合艦隊」のビデオを見たのがきっかけだが、後者は高校生、早くても中学生で初めて聞いたと記憶している。つまり群青の方が昔から知っているわけだが、その中身を今の自分は(我が子を失くした悲しみを唄ったものなので)理解しきれないという認識もあって、22歳の方だけが音楽プレイヤーに残っている(今も繰り返し聞いている)次第。全体に漂うアンニュイな雰囲気と歌詞が好きだが、中でも「ああ夏が往く 傷を残して 外はもう秋の気配」という最後のフレーズは何度聞いてもいとをかし。

 

7.四天王戦

FF4より(正確にはリヴァイアサンやバハムート、伝説の武器を守る連中の戦闘曲でもある)。FF4をプレイしたのは小学校4年頃だが、今でも四天王はルビガンテが最高だと思っている。というか、彼以外はむしろ四天王の称号がおこがましい連中ばかりで泣けるwかませ犬のスカルミリョーネ、サンダーのタイミングさえ間違えなければ安定のカイナッツォ、トルネドと「ゆびさき」に注意すれば楽勝のバルバリシア・・・と能力値的にも残念だし、その割にセリフ(だけ)は偉そう=風格さえ皆無の小物ばかりなので、むしろ笑いをかみ殺すのに苦労するほどwつかバルさん「ホッホッホホホホ・・・」て笑い声おかしくないっすかねwwwでも曲はかっこいいっス。相応しいのはルビガンテ戦限定だけど(しつこい)w

 

8.Acid rain

鬼哭街より。個人的にPCゲーム中最も音楽の優れた作品という評価は今も変わっていない。なおこの曲については、ギターの低音が、身体に滲みる雨の重みとともに、主人公の秘められた怒りをよく象徴しているように思える。単体で聞くのも良いが、やはり作中の戦闘曲とのコントラストで真価を発揮するものだと感じる。

 

9.All I want

Offspringより。この曲を知ったきっかけは、当時すでに伝説となりつつあった「ドラえも~ん!」のフラッシュw歌詞は資本主義とかメディア・コントロールとか色々なものを連想させるので、「ファイト・クラブ」とかに合いそうなやね。おっと、あれはLeave me aloneな内容じゃねーかw家具を象徴とした資本主義の喧伝するcomfortを否定し、ボロ屋敷に住んでガチンコの殴り合いをやって強度を獲得し、本来性へと到る、か。そしてそのベクトルにみなが巻き込まれていく・・・ホモソーシャルな描写も含めてその仕組みはおもしろいが、しかしまた、「アメリカンヒストリーX」のスキンヘッズの例にも垣間見えるように、「『何か』による疎外が本来性喪失の原因となっており、それが今の不全感に繋がっているのだ」という方向づけは、「何か」が様々なものに交換可能なこともあって、非常に汎用性の高い動員のレトリックとなりうるよな(これは無論ナチスとかにも応用できる)。まあそんなものに動員されることなく、人知れず狂気を溜め込んで実行する方がよっぽどヤバイという話もあるんですがね(そういやブレイビクって結局どうなったんだろう)。あ、それこそLeave me aloneか。

 

10.愛しき日々

時代劇「白虎隊」より。これを知ったきっかけは「千葉リタリ」で書いた通り。ところで、リンクを貼った動画では、背景が会津のこともあって、東北の扱い(戊辰戦争に絡むものだけでなく、震災も)に関するコメントが多く見られる。個人的には、大学の頃に『奥羽越列藩同盟』を読んだ時、当時のことや明治政府の扱いがまだ現地で語り継がれていると書いてあったのを見て驚いた記憶がある。ここから教訓とすべきなのは、悪意なく自明と思い込んでいるもの(その最たるものが歴史)が様々な偶然の上に成立したものに過ぎず、またその背後にある様々な犠牲や正当化の存在を意識し、視点を「差し戻す」ことではないだろうか(今もオスプレイなどで話題となっている沖縄の位置づけとかね)。まあ自分の故郷である熊本に関して言えば、長い間福岡から南の方に新幹線が来なかったのは政治的圧力が・・・というのも有名な話だ。

あるいはその一環として、「統一的な日本」ではなく、その多様性への眼差しを持つことも有効であるように思える。あえて他国の話をするなら、我々がよく引き合いに出しがちな「アメリカ(合衆国)」もそうだ。たとえばアメリカの南北戦争について、私たちは南部が独立を宣言して始まった戦いであると習い、また北部の勝利をもって商工業を基盤とした産業形態、いやもっと言えば国家にアメリカ全体が統一されたかのような印象を植えつけられることはないだろうか。しかしながら、今でも沿岸部と内陸部(例えばカリフォルニア州とユタ州)は大きく違っており、流動性(異文化や移民)にさらされやすい沿岸部はリベラルな傾向があり、一方で流動性の低い内陸部は保守的であったりする(ブッシュの出身であるテキサス州とかがわかりやすい例)。州ごとの違いや移民の多さも含めて、果たしてどこまで統一的な「アメリカ」なるものが語りうるのか・・・なんて話を、2009年に北国で監禁されていた時、アメリカで生活した経験のある医師と話した記憶がある(日本と比較するのであれば、学校教育のあり方とその浸透レベルといったことにも注目すべきだろう)。まあそういう見地に立つと、「市民宗教」やら憲法の意識、あるいは戦争への参加を通じた国民としての承認(cf.「ディアハンター」のロシア系移民たち)といった視点が出てくるわけだけど(これはトルコ旅行の時も同じ経験をしたのだが、詳しい話はまた別の機会に)。

日本に話を戻すなら、例えば「東京」もそうだ。私が地方にいた頃は漠然と大都会のイメージで捉えていたが、実際に自転車や徒歩などで見て回ると、秋葉原あきる野池袋板橋上野、荻窪、北千住、高円寺、新宿高尾高田馬場、田無、多摩ニュータウン、東京テレポート駅周辺等々力中野、根津、日野馬込三鷹、六本木etcetc...これだけ狭い領域にこんなにも多様な世界があるのかと愕然とさせられる。それどころか、同じ「渋谷」でさえ、例えばセンター街、新南口の線路沿い、明治通りの裏道、円山町付近は全く異質であって、実見してみれば、メディアで一部のイメージが拡大されるからそういうものとして認識されているにすぎない、ということが容易に実感できる(ちなみに、「恋の罪」という映画でも渋谷区円山街は登場する)。しかし街並みの多様性はわかるとして、人の思考様式はどうか?と考えると、社会の流動性がむき出しになって見えた「一億総中流化」の幻想(と不全感)などが出てくるわけだが・・・まあこれ以上話を拡大すると収集がつかなくなるので、今回はこの辺で。


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