誤魔化しの構図という点において、Kanonと皆殺し編は非常に似通っている。わかりやすく言えば、人を感動させるようなフレーズでメチャクチャな内容を虚飾してるのだ。
何度か述べたように、皆編で提示される事件の内容は推理モノとして駄作だった。しかも、これは次回詳しく述べるが純粋に物語として見た場合もおかしな点だらけだったのだ。
それらはしかし、前半の闘いによる盛り上がりや「仲間」「奇跡」というフレーズによる興奮とともに誤魔化されてしまった。公式HPの推理掲示板を見た人は、興奮冷めやらない人たちの記事をすぐに思いだせることだろう。非常に腹立たしいと思うのは、そうやってアジテートしておいて一気に綿流し以降のお粗末な真相を見せるというやり方である。確かに、「惨劇を嗤え」という冷めた見方の提示や、祟編の解決編としての演出的必然性という要素は念頭に置かなければならない。だが、感動的なフレーズによりアジテートしておくことで犯人との対決に没入させ、それが孕む不自然さへの目くらましにしているのは否定できない。実際のところ、真相についても、ありきたりなものを超状的な周縁的要素で誤魔化しているとしか言いようが無い代物である。
竜騎士さんがkey作品に傾倒しているのは有名な話だが、それを持ち込むにはひぐらしはあまりに生々し過ぎた。その雰囲気的ギャップを無視してまで演出に組み込んだ「勇敢さ」はあるかもしれないが、このままいけばそれは体のいい誤魔化しのためのものだったと評価せざるを得ない。皆編の内容からすると祭囃しではそれがエスカレートするんだろうが…ヒドイことにならなきゃいいけどね(苦笑)
何度か述べたように、皆編で提示される事件の内容は推理モノとして駄作だった。しかも、これは次回詳しく述べるが純粋に物語として見た場合もおかしな点だらけだったのだ。
それらはしかし、前半の闘いによる盛り上がりや「仲間」「奇跡」というフレーズによる興奮とともに誤魔化されてしまった。公式HPの推理掲示板を見た人は、興奮冷めやらない人たちの記事をすぐに思いだせることだろう。非常に腹立たしいと思うのは、そうやってアジテートしておいて一気に綿流し以降のお粗末な真相を見せるというやり方である。確かに、「惨劇を嗤え」という冷めた見方の提示や、祟編の解決編としての演出的必然性という要素は念頭に置かなければならない。だが、感動的なフレーズによりアジテートしておくことで犯人との対決に没入させ、それが孕む不自然さへの目くらましにしているのは否定できない。実際のところ、真相についても、ありきたりなものを超状的な周縁的要素で誤魔化しているとしか言いようが無い代物である。
竜騎士さんがkey作品に傾倒しているのは有名な話だが、それを持ち込むにはひぐらしはあまりに生々し過ぎた。その雰囲気的ギャップを無視してまで演出に組み込んだ「勇敢さ」はあるかもしれないが、このままいけばそれは体のいい誤魔化しのためのものだったと評価せざるを得ない。皆編の内容からすると祭囃しではそれがエスカレートするんだろうが…ヒドイことにならなきゃいいけどね(苦笑)
>今回の批判側の大多数は同じ理由みたいで
なるほど。まあ枠組みや事件の概要についての批判は大方共通するでしょうね。ところでもしccさんの言う「批判側」というのが「皆殺し編を否定する人達」というニュアンスなら、それは私には当てはまりません。前にも書いたことですが、「皆殺し編には批判すべき点と賞賛すべき点が多々ある」のであり、その批判すべき点を提示しているだけですから。
>あてが外れて残念でしたと言う他ないですね
あれ、私は「あて」とか期待とかいったような話出しましたっけ?ここに書いてるのは客観的に批判できると感じた部分に限定しているつもりですが。皆編について言えば、こちらの期待云々より向こうが自滅したという印象ですね。