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賠償のリアルポリティクス、あるいはユダヤ人=共産主義者という妄想

2017-09-24 17:34:05 | 感想など

 

戦後補償に関する日独比較を取り上げたが、具体的な政策はどのようなものであったか?ということでアデナウアーの人と為や当時の政治体制(宰相型民主主義)、冷戦構造の中での和解の合理性と戦略性etc...などについて述べた動画を転載させていただいた。

 

著者の舌足らずさがやや気になるところではあるが、誠実かつ論理的に発表を構成しようとしている点は好感が持てる(なぜかウエメセw)。ちなみに武井発表と重ね合わせると、そもそもアデナウアーという人物の複雑性も浮かび上がってきて興味深い。たとえば、武井発表では彼の(正確にはその政権の)保守性がクローズアップされたが、この板橋発表ではむしろナチ政権下でさえ親ユダヤ的態度でいたがゆえに迫害され、その苦境をユダヤ人に救われたことでなおのことユダヤ人に感謝するようになったことが言及されている。

 

これに関連して言うと、武井発表で言われる「ゴリゴリの反共」という性質は、鉄のカーテンの最前線たる西ドイツのトップに彼が据えられたことを思えば、当然のように思われる。とはいえ、ヒトラーが共産主義を敵視し、その共産主義とユダヤ人を結び付けて民族浄化の理由の一つとしていたことからすれば、意外に思われる点ではないか。この「共産主義者=ユダヤ人」というレッテル張りについては、ナロードニキの流れを汲む者たちのアレクサンドル2世暗殺とポグロム、マルクスやベルンシュタインがユダヤ系ドイツ人であったこと、レオン=トロツキーがユダヤ系ロシア人であったこと、ローザ=ルクセンブルクがユダヤ系ポーランド人であったことなどが有名である。しかし、少し考えればわかるように、名の知れたユダヤ人としてロスチャイルドやロックフェラーを思い起こすだけでも、先の等式が随分バイアスのかかったものであることに気づくわけで(そもそもユダヤ人でない共産主義者も腐るほどいる)、アデナウアーもその一人であったのかもしれない。武井発表は彼が反共であることに触れているが、これを踏まえると、板橋発表の最後に出てくるアデナウアーが岸信介に「安保闘争によって日本は共産化するかもしれないから断固として弾圧すべきだ」という趣旨の発言の必然性が理解出来る。ところで板橋はそれをアデナウアーの日本無理解として取り上げているが、私はそれにやや疑問がある。というのも、朝鮮戦争で危うく北朝鮮に朝鮮半島全体が支配されそうになり、それを国連軍(という名のアメリカ軍)で押し返して1953年に板門店で休戦協定が結ばれたし、1965年からはヴェトナム戦争が始まるわけだが、その背景になったのはドミノ理論である(ちなみに沖縄はまだアメリカの占領下で、そこから多くの飛行機がヴェトナムに飛び立ち、かの国からは「悪魔の島」と呼ばれていた)。そして1970年にはチリで社会主義政党のアジェンデ政権が成立したが、CIAの意向を受けた軍部のクーデターによって、1973年にはピノチェト独裁政権が成立する。かかる状況を踏まえれば、「日本が共産化するはずないじゃないか。何を大げさな…」というのはいかに日本人がアメリカに骨抜きにされているかを身に染みて知っている内側の理論ないしは後世の後付けでしかなく、当時の世界情勢を客観的に見ている人間たちからそのような発言が出るのは別段不思議なことではなかったように思われる。

 

また彼がナチ党員を多数高官として任用していたことを批判され「ナチの公職追放を徹底したら、国の運営が回らない」という趣旨の反論をしたことは、彼の保守性もまた、ある程度はリアルポリティクス(元ナチ党員だったブレーンたちに配慮せざるを得ない?あるいはナチの批判を徹底すれば、結局自分たち政府に批判が延焼し、国を運営する基盤自体が立ち行かなくなるという判断か)に基づいたものであったのかもしれない。

 

以上のように、「補償を認める=いい人」といういかにも精神主義的な視点を相対化するという意味でも、先の武井発表と板橋発表はあわせて聞くと非常に興味深いものであると言えるだろう。

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