ユートピア

2020-03-28 11:05:00 | 日記

というのはその言葉通り、「どこにも存在しない」ものである。

先日「コロナウイルス対応について:不安・不信が噴出する社会」という記事で「今回のゴタゴタを中国や日本といった、ある国の特殊論・特殊事情に落とし込むのは完全に間違っている」書いた。要するに、中国は情報統制があるからとか、日本国民の民度の低さとかを言うのはいいが、諸外国の対応状況を見ても大同小異(というか日本よりひどいケースも散見)でしかない。

私がそこから言いたいのは、「自分は病気だが他人も病気だからいいじゃん」という時に見られる現実逃避的自己肯定ではなく、外の世界への無知からどこかには理想郷があると妄想したり、あるいは誤って日本の状況を必要以上に否定的に評価してしまうのは愚かである、ということだ(悪とか善とかではなく、リソースをきちんと理解して合理的・戦略的に振る舞うのが正しい。例えば、日本の気候について四季折々の美しさとか言うが、災害大国でもあるという現実を抜きにしてそれを語るのは欺瞞であるのと同じだ。いいとこ取りはできないのである)。

日本という存在は中華文明に大きな影響を受けてきたし、それを範としてきた時期も長かった。明治以降はそれが欧米に変わったが、マインドセットとしては似ている。つまり、どこかに理想があり、自分たちはそこから遅れた存在である、という思考。そしてそれへの反発として、日本を特殊な存在としてあくまで肯定するというスタンスである。しかし、冒頭に述べた「ユートピア」という言葉の正しい由来を踏まえれば、どれも全くのところ不毛である。それは日本にもないし、世界中のどこにも存在しないのである。

このことを踏まえれば、あり得るのは永遠の微調整でしかない・・・と同時に、それが単なる目の前の問題の対症療法にならないように、どういう方向に進むべきかを考える=価値観(理念)の提示・共有も実は重要だったりするのである。

もっともこういう話は、不安に苛まれているがゆえに、どこかに理想郷があると考えたり あるいは自分たちこそが理想的存在であると妄想するなどして逃避的思考に耽溺している人々には届かないってのも事実ではある。

まあだからこそ、おそらく今後人間はますます分断が進んでいくし、(自発的に自由から逃走して)人工知能の奴隷的存在となっていくであろうと私は思うのであるが。


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