安倍晋三暗殺の背景:ローンウルフと社会的包摂について

2022-07-23 11:30:30 | 生活

最初の段階からだいぶ情報が出てきたが、要するに政治信条に基づいたテロリズムではなく、個人的な怨恨の側面が強いようだ。とはいえ、そのような動機づけによる凶行が「新しい」かと言うと、そういう感じでもない(例えば「ルサンチマンのハレーション:昭和維新、そして現代」などで、ローンウルフによる拡大自殺的犯行についてはすでに言及している)。

 

なるほど五・一五事件二・二六事件、あるいは血盟団事件といったものとは異質である。さりとて、ローン・ウルフで個人的な不全感(ただし自意識による煩悶とは言い難い)に基づく社会構造への恨みとその暴力的解消という意味では、1921年に財閥のトップである安田善次郎を刺殺した朝日平吾という前例が存在しているのである。

 

今回の件では、

1.日本のさらなる経済的衰退と共同体解体により、こういった寄る辺なき存在はますます増える

2.その状況に対し、日本社会はまず忍耐を求めようとし、解決や包摂に力を注ごうとする意識が弱い

3.政治と宗教団体の癒着はすでに長い歴史があり、すぐに清算するのは困難と予測。その辺のシステム造りがグダグダだったから公明党も幸福実現党も出てきたのである

 

といったあたりは言えそうだ。まあ犯人に自身の仮想敵を投影して「過大」評価して憤っても何の効果もないことは自明だが、ひとまず今回の事件から、包摂を後回しにして自己責任論を振りかざすことがどれだけ莫大な社会的コストをもたらすかは示されたのではないだろうか(例えば、暗殺からそれほど時を経ずに警備会社の株価が変動している。つまり仕組みの変化を見越した動きはすぐに始まっていたわけである)。

 

もちろん、警備が強化されることによって、今回のような事件は起こりにくくはなるだろう。とはいえ、経済衰退と共同体崩壊は自殺率の上昇とともに、「拡大自殺」的犯行が増えることは何度も述べてきた通りで、火薬が込められた状態の人間が増えれば、出口のところで防ごうとしても単なるモグラ叩きにすぎない。

 

これに対し、中国のように監視カメラや指紋登録の徹底をもって対応することももちろん不可能ではないだろう。しかし結局のところ、脳内にチップでも埋め込んでいない限りは、「後先考えずに殺ると決めた人間は止められない」のである(極端な話、自室に〇〇を撒いて火をつけるだけでも可能なので)。ゆえに、たとえそれが迂遠な道であっても、包摂の仕組み・意識を作り上げていかねばならない(まあ現状からしてその構築に半年はかかりそうだと私は考えているが・・・)

 

この事件を真摯に受け止めるのならば、そのことをこそ改めて肝に銘じるべきだと述べつつ、この稿を終えたい。


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