経済衰退と社会関係資本の枯渇が同時進行する日本社会の病理

2022-01-10 17:20:00 | 感想など

AIの話をする時に、「人間に対する信頼度の低下」が平行して起こっていることに留意すべきだ、と繰り返し書いてきた。その理由は、片側だけ見ると事の深刻さを取り違えるからだ。

 


日本の経済的衰退も同じである。もし仮に、ただ既存の経済システム(経済の回し方)だけが問題なのであれば、インバウンド経済なりコンパクトシティなりで現状に適応していけばよく、あとはやり方の問題を議論するだけだ。

 


しかし、そのような事をして、たとえば「江戸時代的な社会」に回帰できるかと言えば、私は全くそうは思わない(つまり、途上国的な状態に回帰することも難しいと考える)。なぜなら、すでに日本の共同体崩壊は急速に進んでいて、単身世帯の増加も合わせ、剥き出しの個人がそのままグローバル経済の過剰流動性に向き合わざるをえない状況が惹起しているからだ(ここには、共同体崩壊に加え、「身内以外はみな風景」というムラ社会的メンタリティ、それにも関連する過剰かつ短絡的な自己責任論が関わっていると考える)。

 


その一例が「『寒くないの?の声かけだけで不審者扱い』世界一血が通わない国・日本で進行する孤立化という病」で述べられているような傾向だ(なお、この題名はキャッチーだが、問題の本質を見えなくするとも思う)。日本の凶悪犯罪は減少傾向にあるし、海外と比べれば相変わらず治安の良さは際立っている。しかしそれにもかかわらず、なぜこのような反応が広がるのだろうか?それは社会の複雑化と不透明化による(体感)不安に基づいているからで、「安心社会から信頼社会へ」のシフトに失敗している日本は、実像以上のリスクに怯えているのである(これはゼロリスク信仰とも通じるものがあるだろう。つまり、「安全」の要求水準が高すぎるのである。まあ厳しい言い方をすれば、そこには「平和ボケ」も関係しているのだろうが)。

 


このようなパラダイムシフトの失敗は、ますます人をつながりにくくしてモナド化を促進するため、結果として社会から弾き出される人間は増え、そのような「実例」を元に、ほれ見たことかとますますこの傾向が強化されているように思える(はじめから異質な人間の集合体と認識し、それがどう共生するかを模索するのが近代社会なのにね)。

 


そういった認識を踏まえて以下の動画を見ると、理解しやすくなるのではないか。

 


 

 

ここで述べられる「不全感に苛まれる連中はメタバースで取り込んでしまえ」という加速主義の発想は、それだけ聞くと極めて乱暴だが、たとえば社会からつま弾きにされ孤立した者たちが「無敵の人」となって拡大自殺を試みる事例が増えれば、セキュリティの強化と平行してヤク漬けならぬメタバース漬けにしてしまえ、という言説が声高に叫ばれるようになっても私は全く驚かないし(凶悪犯罪に脊髄反射的に反応するコメントの数々を見よ)、こうして人(ここでは主に日本人)は、「安全社会」の維持のために非人間的社会を作り出そうとしていくのではないか、と私は思うのである。

 


なお、ここではインパール作戦で露呈した日本のダメさに言及されているが、次の動画を見ればあの作戦が最初から破綻したものではなかったことと、にもかかわらずなぜあそこまで悲惨な結末を迎えたかがよりわかりやすくなると思われる、と述べつつこの稿を終えたい。

 


 

 


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