寒冷前線が関東地方を通過するため荒れ模様という点では各メディアの天気予報が一致しているのですが、いつどこで雨が降るのかという点はメディアによって三者三様といったところでした。区内のウォーキングであれば実施するところですが、一時間かけて川越まで行って、にわか雨で歩けないという状況も想定され、早々に中止の判断をしてメーリングリストに流しました。
それでもウォーキングとは別の用事があったので川越にはゆきました。歩き始める予定の13時頃は晴れ間もありましたが、15時頃には、にわか雨も降ったようで、中止の判断が正しかったのかどうか何とも言えません。中止にしても歩きたい人は自らの判断で歩くことでしょう。
川越八幡宮
民部稲荷
去年調子が悪い知り合いがいて、ウォーキングに復帰できるよういろいろなところにお願いしたので、今回はお礼参りも兼ねています。民部稲荷は足腰が健康になるよう祈願し、一年たってずいぶん歩けるようになりました。
道ばたのスミレ
中院墓地のカンヒザクラ
光西寺
光西寺の枝垂れコヒガンザクラ
川越の魅力は小彼岸桜が多いことです。東京では関東大震災、太平洋戦争の空襲によりコヒガンザクラは失われ、ソメイヨシノが多く植えられました。どこでも地元に多かれ少なかれサクラの名所があります。ソメイヨシノの開花、満開、散る様子なども華やかでよいのですが、小さくてピンク色が濃いコヒガンザクラ、特に枝垂れのコヒガンザクラに風情を感じます。川越ではそれがあちらこちらで見られるのです。来週から再来週にかけて見頃を迎えることでしょう。
光西寺についてお寺のホームページから引用します。
光西寺は、永禄九年(1566)に石州浜田(島根県浜田市)に、恵誓法師を開基として寺が建立されたのに始まる。浜田藩士の菩提寺として尊崇されていた。
天保七年(1836)、藩が日本海の竹島を根拠地として外国との貿易(当時は禁制)を行って、幕府の政策に違反した。事が露見し、藩は外様大名ならばお家改易になるところ、徳川家の親藩の故をもって、重臣数人が責任をとって切腹し、船頭(今の船長)が処刑されて、奥州棚倉(福島県)に左遷転封されたので、家臣ともども光西寺も移転した。
棚倉在城三十余年、幕末の危機に直面した幕府は、藩主松平周防守康英公の英才と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させ国内国外の重要任務の責任者とした。時に慶応三年、光西寺も家臣とともに移転し南町養寿院門前に仮寺を求めた。
その翌年は明治元年、所謂明治維新となったので、寺領も寺の建立もならず暫く大正の末現在地に小堂を建立したのである。藩についてきた寺ということで士族寺とかお伴寺とよばれている。
中院のコヒガンザクラ
中院のお地蔵様
中院のミモザ
サクラ(種類不明)
サンシュ
トサミズキ
中院の駐車場にあるサクラを「早く咲くソメイヨシノ」と思っていましたが、この時期に見ると小彼岸ですね。ちょっと白っぽくて花が大きめなので、少し何かがかかっているのかもしれません。中院のハイライトは御本堂前の小彼岸のシダレザクラとミモザの競演。今回はミモザのみ。コヒガンザクラはよく探すと一二輪咲いている花があるかもしれません。メジロが落としたのか、開花寸前の蕾が落ちていました。
喜多院の空堀
成田山川越別院
御賓頭盧様
御賓頭盧様にも快癒のお礼参りをし、いちのやでうな重を食べて川越駅からFライナーで座って帰って来ました。これで一万歩越え。神様仏様に感謝ですね。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
それでもウォーキングとは別の用事があったので川越にはゆきました。歩き始める予定の13時頃は晴れ間もありましたが、15時頃には、にわか雨も降ったようで、中止の判断が正しかったのかどうか何とも言えません。中止にしても歩きたい人は自らの判断で歩くことでしょう。
川越八幡宮
民部稲荷
去年調子が悪い知り合いがいて、ウォーキングに復帰できるよういろいろなところにお願いしたので、今回はお礼参りも兼ねています。民部稲荷は足腰が健康になるよう祈願し、一年たってずいぶん歩けるようになりました。
道ばたのスミレ
中院墓地のカンヒザクラ
光西寺
光西寺の枝垂れコヒガンザクラ
川越の魅力は小彼岸桜が多いことです。東京では関東大震災、太平洋戦争の空襲によりコヒガンザクラは失われ、ソメイヨシノが多く植えられました。どこでも地元に多かれ少なかれサクラの名所があります。ソメイヨシノの開花、満開、散る様子なども華やかでよいのですが、小さくてピンク色が濃いコヒガンザクラ、特に枝垂れのコヒガンザクラに風情を感じます。川越ではそれがあちらこちらで見られるのです。来週から再来週にかけて見頃を迎えることでしょう。
光西寺についてお寺のホームページから引用します。
光西寺は、永禄九年(1566)に石州浜田(島根県浜田市)に、恵誓法師を開基として寺が建立されたのに始まる。浜田藩士の菩提寺として尊崇されていた。
天保七年(1836)、藩が日本海の竹島を根拠地として外国との貿易(当時は禁制)を行って、幕府の政策に違反した。事が露見し、藩は外様大名ならばお家改易になるところ、徳川家の親藩の故をもって、重臣数人が責任をとって切腹し、船頭(今の船長)が処刑されて、奥州棚倉(福島県)に左遷転封されたので、家臣ともども光西寺も移転した。
棚倉在城三十余年、幕末の危機に直面した幕府は、藩主松平周防守康英公の英才と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させ国内国外の重要任務の責任者とした。時に慶応三年、光西寺も家臣とともに移転し南町養寿院門前に仮寺を求めた。
その翌年は明治元年、所謂明治維新となったので、寺領も寺の建立もならず暫く大正の末現在地に小堂を建立したのである。藩についてきた寺ということで士族寺とかお伴寺とよばれている。
中院のコヒガンザクラ
中院のお地蔵様
中院のミモザ
サクラ(種類不明)
サンシュ
トサミズキ
中院の駐車場にあるサクラを「早く咲くソメイヨシノ」と思っていましたが、この時期に見ると小彼岸ですね。ちょっと白っぽくて花が大きめなので、少し何かがかかっているのかもしれません。中院のハイライトは御本堂前の小彼岸のシダレザクラとミモザの競演。今回はミモザのみ。コヒガンザクラはよく探すと一二輪咲いている花があるかもしれません。メジロが落としたのか、開花寸前の蕾が落ちていました。
喜多院の空堀
成田山川越別院
御賓頭盧様
御賓頭盧様にも快癒のお礼参りをし、いちのやでうな重を食べて川越駅からFライナーで座って帰って来ました。これで一万歩越え。神様仏様に感謝ですね。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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