目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

北部公園コース 約7.0Km

2020-04-18 09:28:19 | 東京都目黒区

はじめの計画では横浜元町中華街駅から三渓園まで歩くコースだったのですが、緊急事態宣言がなされ三渓園も休園となってしまったため変更したコースです。緊急事態宣言中
・電車での移動を伴うコースは採用しない
・誘導を伴わない自主活動

という方針を打ち出し活動しています。
この日集まったのは10名で、体操をしていると「非常事態に何やってんだ」と思われているように感じるのは、私自身に染み付いた日本特有の同調圧力でしょう。実際に非難されることはありません。散歩は認められていますとはいっても、不要不急の外出自粛と、人との接触を八割減らすということが声高に叫ばれており、家から出られずにテレビを見て暗い気持ちになっている人も多いことと思います。本当に病気になってしまいそうです。


舟入場から見たソメイヨシノ

舟入場のハナミズキ


目黒川沿いのヤエザクラ
ソメイヨシノの季節は終わりハナミズキの季節となりました。ヤエザクラもいろいろ種類があるのだと思いますが、目黒川沿いのこのヤエザクラはいつもソメイヨシノが散る頃に咲き始め彩を加えます。


建設現場
青葉台一丁目にあったコカ・コーラ配送所の跡地に建設工事が進んでいます。このあたり高層の建物は建たないので、低層住宅と商店になるのだと思います。


ハナミズキ

シモクレン

ハナダイコン

ツツジ


掲示物
菅刈公園です。日本庭園は閉鎖されていましたが、公園内は子供であふれています。芝生は養生中ですがもはや芝生とは言えないかも。雑草だらけで日本では芝生は育たないのかな。人が入る場所できれいな芝生はゴルフ場くらい?桜が葉元から蜜を出してアリを誘い、害虫の卵をアリに持ち帰らせる戦略はすごい。植物の知恵ですね。


ヤエザクラ

花壇のネモフィラ
西郷山公園です。菅刈公園とともに西郷従道邸の跡ですが、西郷山公園が開園したころ菅刈公園のあたりはまだ国鉄の官舎が立っていました。菅刈公園の開園は西郷山公園から遅れること20年、2001年でした。西郷山は地元の通称ですが、菅刈は近くにある小学校の名前から来ています。目黒村の頃の字名は字菅刈だったのかなぁと思い、東京逓信管理局が明治44年に発行した地図を見ると、目黒村大字上目黒字柳町となっており、菅刈という字名はありません。菅刈の名称は十世紀初めに見られ、江戸時代には目黒区の半分と世田谷区の東半分の地域を菅刈庄と呼んだとあります。
明治8年に上目黒村初の小学校として菅刈小学校が創立されますがその場所は字宿山の烏森神社近くだったされています。鎌倉街道の宿場だった宿山が上目黒村の中心地であったことが分かります。明治44年の地図には寿福寺近くかつて伊藤忠の社宅があった場所に「菅刈小学分校」があり、これが場所を移し烏森小学校として昭和3年に開校したのです。この地図から現在の野沢通りの場所に道が通っていたことが分かりました。現在の野沢通りは昭和15年に開催予定だった東京オリンピックのために通され地元ではオリンピック道路と呼ばれていました。もともとの道は目切坂から小川坂を通る鎌倉街道で、宿山庚申塔から西の野沢通りは鎌倉街道の一部です。明治44年の地図に寿福寺の墓地と、目黒ゴルフ練習場のあいだの路地が描かれていることにびっくりします。
明治41年に現在の地に移転した菅刈小学校ですが、もとは西郷従道邸だったようです。西郷邸の東端は野沢通りのさらに東ですが、北野神社まで行かないところ。ジュン・アシダのあたりに今はなき道があったようです。西端は玉川通りを越えて大坂あたりまであったようです。ただし「西郷邸だったのだろう」という程度で、当初はもっと広かったのかもしれません。古地図を見て想像を膨らませていると飽きません。


シャクナゲ

モッコウバラ

玉川通り沿いの工事現場

うなぎの川越いちのや

井の頭線のトンネル上

ゴールドウィン

東大裏の三田用水遺構
西郷山公園から三田用水跡を歩きました。子供のころトンネルと呼んでいた野沢通り上の西郷橋は用水と車が通る複合橋です。オリンピックの建設需要がひと段落し、あちらこちらで大規模開発が行われています。井の頭線は渋谷駅から神泉駅を通りこの場所でトンネルから抜けるのですが、トンネルの上には三田用水が流れていました。東大裏の三田用水遺構も工事のために半分以下になってしまいました。


東大野球場のソメイヨシノ

コンビニの入るマンション

東大
明治44年の地図を見ると灯台の東端は現在と変わらないようですが、北西端は目黒区北端と一致しており、広大な敷地でした。地図には「東京帝国大学農科大学」と書いてあります。先端科学技術研究センターなどがあるこちらに天皇の行幸があり、前の道を行幸通りと記述する記事も見かけます。この通りも三角橋から北は狭い道でしたが、現在は環状6.5号として整備されつつあります。


駒場通りのハナミズキ


日本民芸館

駒場通り
静かな住宅地です。



駒場野公園の門扉
この門が閉まっているのは初めてで、ここに案山子が描かれていることに気づいたのも初めてだと思います。


ケルネル田圃

桜の花びら
人がいないバーべーキューテーブルのあたりでストレッチをして解散です。


公務員住宅内の天覧台
江戸時代のお鷹場であった駒場には徳川幕府がフランスの支援を受けて練兵場を作ろうとしましたが一揆により遅れているうちに明治維新を迎えました。多くの土地が帝国大学になりましたが、陸軍の練兵場も作られこの場所は明治天皇、大正天皇が天覧された碑が残っています。


東邦大学病院跡
東邦大学病院が隣の敷地に新築され、古い病院の後の解体工事が進んでいます。この後どうなるのやら。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
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