目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

下馬太子堂三宿コース 約6.8Km

2016-01-24 14:12:35 | ウォーキング
歩行距離:5.25Km
所用時間:01:32:29
平均速度:時速3.41Km
消費カロリー:408kcal

計測も少し慣れてきてストレッチ後にちゃんとスタートボタンを押し、休憩後もほぼ忘れることなく「再開」ボタンを押したので、きちんと計測できたと思っています。
地図上で測った距離よりも実測値は低くなる傾向があるようですが、20%も下回っているので、何らかの検証が必要でしょう。平均速度3.41Km/hは信号待ちなどが含まれているとしても少し遅く、もう少し早く心拍数が100を超える程度のスピードがウォーキングとして望ましいでしょう。

今日のコースは隣接する世田谷区をめぐるコース。距離的には近いところなので、子供の頃には自転車で走り回っていた場所ですが、今になって郷土の歴史に興味を持ち始めるとなかなか味わいのあるコースとなっています。このコースについてブログに書くのは三年連続三回目で、写真も内容も同じようなものとなってしまいますが、気にせずに紹介してゆきたいと思います。


写真:芦毛塚
源頼朝の馬がぬかるみに足を取られて死んでしまい、それをしのんで碑が立てられていると言われています。この場所は道路の真ん中にあり、車はこの場所を避けて走ってゆきます。私の個人的な見解ですが、蛇崩から碑文谷まで続き、目黒区と世田谷区の区界になっているこの道はかつての鎌倉街道でしょう。郷土史の資料には、渋谷区猿楽町から目切坂を下り、宿山橋で目黒川を渡って小川坂を登るのがかつての鎌倉街道と紹介されています。
目切坂上には道標を兼ねた地蔵尊。宿山の字名は小川坂を登り切った寿福寺あたりをさすのですが、小川坂の下の目黒川に架かる橋の名前になっているのは「宿山へ向かうためにかけられた橋」という意味なのでしょうか。宿山の入り口あたりで小川坂は野沢通りにぶつかるのですが、ここにある庚申塔群も道標を兼ねたものなのでしょう。
蛇崩川をどのようにわたっていたのかわかりませんが、現在の蛇崩交差点の先の角に庚申塔があり、大下橋を渡り芦毛塚に至っていたものと思われます。地図で確認するとこの場所も区界です。



写真:蛇崩川緑道
こぶしの花芽でしょうか、絹毛がひかり春を待ちわびています。公園は蛇崩川が削った自然の段差を利用して滑り台が架けられています。



写真:駒繋神社
この神社も頼朝ゆかりの神社で、橋の赤い欄干が印象的。




写真:西澄寺
野沢通りに面した立派なお寺。


写真:何故伊豆大島?
三軒茶屋商店連合会は豪雨被害のあった伊豆大島を応援しています。





写真:三軒茶屋
地下鉄の入り口の陰になって「大きい割に目立たない」のがこの道標。大山道(世田谷通り)と大山道近道(玉川通り)の分岐点になります。





写真:教学院(目青不動)
江戸五色不動の一つ教学院は駅のすぐ近くにありながら世田谷線の線路に阻まれて目立たないお寺。他の四色は、
目黒不動:目黒区下目黒
目白不動:豊島区高田(元は文京区関口にあったものが移転)
目赤不動:文京区本駒込
目黄不動:台東区三輪
目青不動も「もとは港区麻布谷町(現:六本木)の勧行寺(または正善寺)にありましたが1882(明治15年)青山南町にあった教学院に移転。教学院は1910(明治43年)三軒茶屋に移転」とのことです。目黄不動がどの場所かということについては江戸川区平井や渋谷区神宮前など異なるお寺とする説があるそうです。



写真:太子堂八幡神社
この神社は烏山川が削った崖に建てられており、公園になっている場所の段差が従来通りの地形なのでしょう。この神社の前まで河原が広がっていたと考えると、烏山川はかなりの暴れ川だったことが想像できます。







写真:円泉寺
世田谷区太子堂の地名の由来となっている太子堂があるお寺です。仏教の最大の庇護者であった聖徳太子を祀った太子堂の屋根には天皇家の菊のご紋と、卍が描かれその間にあるのは梵字だと思いますが読めません。


写真:東京ワンタン本舗
子供の頃にこの会社のコマーシャルが繰り返し競馬中継のラジオから流れていたことが強烈な印象として記憶に残っています。「♪赤ちゃんおめーの顔見たら、ワンタン餃子を思い出す。結婚してけれねぇハナちゃん。東京ワンタン本舗」というものだったと思うのですが、「赤ちゃんが思い出すかぁ?」と疑問に思ったことを覚えています。


写真:紅梅とカラスウリ
大きなカラスウリですね。花も大きいのでしょうか?









写真:三宿の森緑地
公園になる前は法務省の宿舎として使われてた場所のようですが、これらの石像などが残っているのは宿舎となる前はどなたかのお屋敷だったのでしょう。
調べてみると、昭和初期にお屋敷が立てられ戦後物納された土地を法務省の施設として使用していたが、それ以前は雑木林であったとのこと。烏山川が削った斜面に盛り土をして平らな土地にお屋敷を立てたものと思われます。



写真:三宿神社
この神社の勾配が、自然のままの斜面だと思われます。南を烏山川、北を北沢川に削られた小高い丘になっており、多聞山と呼ばれ頂上に多門小学校があります。小学校のある場所はかつて吉良氏の出城三宿城があった場所とされています。三方を川に囲まれた自然の要害ですね。

この後大橋まで歩き、東京燃料林産の前をお借りしストレッチをして解散しました。

解散後「うどんでも食べてカラオケに行こう!」と、皆さんを誘って三宿へ向かったのですがお目当ての夢吟坊は昼休み中。次善策として三宿交差点の角、松屋の二階にある香港麺新記へ行きました。香港麺と呼ばれる極細麺と、いい出しのスープをつまみに軽くビールを飲んで、池尻大橋のカラオケへ。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
コメント
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