目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

文化財めぐり三田・青葉台コース 約6.1km

2022-03-20 12:58:02 | 東京都目黒区、渋谷区
夕方からにわか雨の予報ですが、目黒川船入場に集合したころはぽかぽか陽気でした。



近所のコヒガンザクラ

目黒川とアトラスタワー
目黒川沿いのソメイヨシノも、まもなく開花といった感じで全体的に赤みを帯びています。


ユキヤナギ

レンギョウ

目黒清掃工場緩衝緑地
自衛隊の土手にあるユキヤナギはレンギョウは切られ過ぎなのか花の付きがいまいちです。清掃工場の工事に伴ってか、緑地も一部通行止めになっていました。


アネモネ
目黒区民センターでトイレ休憩です。こちらもよく休憩場所として使用させてもらっていますが、改築になると休憩場所難民になってしまいます。


ふれあい橋から恵比寿方面

日の丸自動車学校

千代ケ崎

三田春日神社
区民センターから北東方面へ向かいます。このルートはあまりなく珍しいです。自動車学校前の道は三田通り、この名前はあまりなじみがない。このあたりの「崎」は目黒台の台地と淀橋台が接している景勝地などにつけられます。淀橋台が目黒台より標高が高く西側の見通しが良いため、江戸時代より富士見の名所として江戸の人たちの行楽地となっていました。三田は「御田」が変化したもので天皇領だった場所。そのため奈良の神社の分社が村の総鎮守となっています。総鎮守の割に小さいのは港区三田にある春日神社の分社ということだと思います。


三田二丁目の路地

陸軍境界石
三田は戦災に遭わなかったのか細い路地が残っています。境界石の階段を上がったところには線路が敷かれ、工場で作られた火薬を白金の弾薬庫まで運んでいました。



茶屋坂
目黒のさんまはフィクションですが、徳川家光とこの坂の途中にあった茶屋の親父がモデルと言われています。



新茶屋坂
茶屋坂は狭くて急なので、切通しにして傾斜を緩くした新茶屋坂が造られ、三田用水の水道橋が昭和五年に建設されたようです。揮ごうした「西郷従徳」は従道の次男で西郷隆盛の甥にあたる人物です。西郷家を継いで侯爵になったのはこの人です。長男はロシア正教の洗礼を受けており、10歳で亡くなっているのですね。豊饒の海に出てくる侯爵は西郷従徳がモデルになっています。




艦艇装備研究所
この場所に軍の施設を作ったのは江戸幕府で、三田用水から落とした水で鉄の水車を回して火薬を製造していました。沿革の一部をWikipediaから引用します。
沿革
1857年(安政4年)徳川幕府が砲薬製造所を建設。
1880年(明治13年)6月:明治政府が目黒火薬製造所を発足。
1885年(明治18年)2月: 海軍火薬製造所を建設。
1930年(昭和5年)9月:海軍技術研究所が築地から移転。以後、敷地内に大きな円形の池が2つと大型水槽が設置され、大和 (戦艦)の模型のテストも行われた。
1945年(昭和20年)11月:イギリス連邦占領軍(オーストラリア軍)が進駐(エビスキャンプ)。英連邦軍東京分区本部(Headquarters, British Commonwealth Sub Area Tokyo)を設置。
1956年(昭和31年)1月:エビスキャンプ接収解除。



コヒガンザクラ

道しるべ

プリンスホテル
プラウド恵比寿ヒルサイドガーデン建設に伴い、道しるべの小屋も新築されています。ここにプリンスホテルが入っていることはなかなか気づきません。


トサミズキ

馬頭観音

アセビ



目黒新富士
恵比寿から別所坂公園へ向かい、新富士は別所坂公園となっています。


槍ヶ崎交差点
槍ヶ崎は大きな切通しになっていて、以前は掛樋で三田用水が通されていました。かつては玉電中目黒線が通っており、南の坂下に中目黒駅がありました。現在のバス停で言うと正覚寺ですね。玉電中目黒駅開業が昭和2年3月、その年8月に東横線も開業しています。東横線中目黒駅は当時の荏原郡目黒村大字上目黒字諏訪山になり現在は上目黒三丁目ですが、玉電中目黒駅があったため上目黒ではなく中目黒という駅名となっています。


朝倉邸の蔵

猿楽塚古墳

西郷山公園
目黒元富士を見た後、旧山手通りを北西に向かいます。二週間前満開だったカワヅザクラはすっかり葉桜です。


菅刈公園のソメイヨシノ

フキノトウ
菅刈公園北口付近でストレッチをして解散しました。



目黒川のソメイヨシノ
この状態ならこの日東京の開花宣言があると思ったけどありませんね。靖国神社のサクラ、開花が遅いんじゃない?


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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代々木公園コース 約4.1km

2021-08-25 13:22:04 | 東京都目黒区、渋谷区
私がお休みしたり雨で中止になったりお盆休みがあったりで4週間ぶりのウォーキングでした。集合は駒場東大前駅西口改札。


STAN SANDWICH STORE
駒場地区は学校と公園以外は住宅地ですが、学生街ということもありところどころおしゃれな店もあるようです。東大の中は個人の通り抜けは可能となったようですが、団体での通行は不可。普段は通らないサンドイッチ屋さんの前を抜けてゆきます。


もちのき公園
木の写真を撮り忘れましたが、「トウネズミモチ」が公園の名の由来です。この日はこちらをお借りしてストレッチです。


ヤマザキカレッジのキリン

本店から来る通りのサルスベリ

消防署脇の坂
東大裏門方面へ向かわず松涛二丁目で山手通りを横断し東急本店方面へ。この通りはいろいろな色のサルスベリがきれいです。
消防署脇の坂を朝ドラ青春家族、阿川咲役の清水美砂が自転車で下ってくるシーンを思い出します。1989年の放送だったんですね。そのうち再放送があるかな。このドラマのオーディションをSMAP全員が受けて稲垣吾郎ちゃんだけが出演していたとのこと。ゴローちゃん覚えてないなぁ。


鍋島松涛公園

松涛公園のトイレ



松涛中学校
普段は脇を通るだけの松涛公園の中を少しだけ歩くことが出来ました。しばらく来ないうちにトイレが建て替えられましたね。渋谷区立の施設は個性的なトイレが多いです。江戸時代このあたりは紀州徳川家の下屋敷で明治時代に佐賀鍋島家に払い下げられました。この池などは紀州屋敷の庭にあったものでしょう。


戸栗美術館(休館)

観世能楽堂跡地
中学生の時に授業の一環でここまで歩いてきて狂言舞台を見ました。能楽堂だった痕跡はほとんどなくなりましたね。ここの能舞台は銀座シックスへ移築しました。


光子館(こうしかん)

丸木屋商店の立ち飲み

宇田川遊歩道

春の小川
光子館はテレビ番組用の着ぐるみなどを製作する会社で、志村けんさんの白鳥の衣装もこちらで作成されました。丸木屋の立ち飲みは有名なんだけど敷居が高すぎていまだに入店できず。今はお休みのようです。井の頭通りを横断すると春の小川の看板があちらこちらで見られるようになります。




代々木深町小公園の透明トイレ

はるのおがわパークの透明トイレ
初めてじっくり観察してみました。


春の小川の壁画

小田急線は春の小川跡を走っている

ヘクソカズラ

春の小川の碑
春の小川はどこかと諸説あるようですがここもその一つ。宇田川の支流河骨川が春の小川という説です。かつて川だったところに小田急線が走っています。現在の参宮橋は小田急線を越える跨線橋ですが、もとは河骨川にかかる橋だったようです。


代々木公園参宮橋門

ワクチン大規模接種会場

十四烈士の墓

枯れ木のドングリ

キノコ

バラ

東京五輪1964選手村
代々木公園はワクチンの大規模接種会場になっているので入ることが出来ない場所が多くなっています。枯れ木についているドングリを見ると、ドングリが落ちること自体も成長の一環で枯れ木からは落ちないことを知りました。
オリパラ期間中でタイムリーなので、一棟だけ残してある選手村を見に行きました。選手村と言ってもアメリカ陸軍将校の住宅として建てられたものです。ジャニー喜多川さんもここワシントンハウスに住んでいました。


信号がなくなっている
代々木公園でストレッチをして解散です。
ここに代々木公園通りを横断する信号機があったのですがなくなって跡だけかすかに残っています。原宿駅寄りに新しく信号機が出来ていたのでそちらに移動したのでしょうか。展望デッキを渡ればいいのですが、ちょっと不便になりました。


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代官山・恵比寿・広尾コース 約7.6Km

2021-06-06 13:51:10 | 東京都目黒区、渋谷区
平年ならまもなく入梅という時期ですが、ちょっと暑いくらいのウォーキング日和でした。



アメリカデイゴ
スタート地点は先週同様目黒川船入場で、アメリカデイゴは一週間で花盛りとなっていました。


目黒川とアトラスタワー

道路改修のお知らせ

目黒学院脇のアジサイ
道路改修と言ってもこの日は作業している様子はありません。中目黒一丁目8番地は目黒学院の運動場の辺り、二丁目3番地は東京共済病院の辺りです。作業中は我々のウォーキングに影響がありそうですが、大きく迂回するようなことはないでしょう。


宝来橋
よく通る場所ですが橋の名前は気にしていませんでした。駒沢通りにある町中華の名店「宝来」はここから由来しているのだと納得しました。橋の名前の由来は調べてみたけど分かりません。


草に覆われた車

東京音楽大学

代官山駅前の民家
駅前に同潤会アパートがあった頃はこんな民家がたくさんありましたが、最近では珍しい。駅付近に数件ありますが、だんだんとなくなってゆくのでしょうね、路線価高そうだし。


錦鯉?
「錦鯉の代官山」ってなんだ?と思って写真に撮って調べてみると、あまり多くの検索結果は出てきませんでしたが、屋上で錦鯉を飼っているとのことでした。ビルオーナーの持ち物なのでしょうね。


代官山アドレス

庚申道ガード

キッチンわたりがらす
山手線の元となる品川赤羽間が開業したのが1885年でその当時のガードだと思います。最近深谷のレンガが話題になることが多いいのですが、これらの深谷で作られたレンガでしょうか。キッチンわたりがらすは健康志向メニューのイタリア料理店だそうです。


庚申橋供養碑

フェイジョア
庚申橋を渡って明治通りを横断します。明治通り沿いのビルに変わった植物を植えているビルがあります。


ロックウェルハウス

セサミインターナショナル

エポック
「ロックウェルハウス」を検索しても不動産関連情報だけでスタジオにたどり着かず断念。「エポック」は以前から気になっていたのですが、クリエイターの事務所とのことで、野球盤のエポック社とは関係ないようです。魚雷戦ゲームもエポック社から発売されていたのか。消える魔球の野球盤、懐かしいです。


三親町会

聖心女子大学

船橋屋

広尾湯

つくしんぼ
「三親町会」は「さんしん」と読むようです。最近聖心のシスター鈴木秀子先生を夕方のNHKの番組で見かけることが多くなりました。先生を通じて聖心女子大学でめぐろお鷹狩りウォークのトイレ休憩が出来ないかお願いしたことがありますが、様々な制約で断念したことを思い出します。お鷹狩りウォークは目黒ウォーキング協会が運営していますが、徐々に高齢化してゆくことを考えると大学生にお手伝いしてもらいたいところなんです。お蕎麦屋さんは週末お休みとのこと。飲食店の皆さんには何とかコロナ危機を乗り越えてほしいです。


ナショナルマーケット

モルモン教会
有栖川公園入口でナショナルマーケットの親会社が東北新社であるという話をしていると、「それでマークが東北を指しているんだ」と言われ理解できませんでした。確かに東北新社のマークは東北を指しています。


有栖川公園

野ブドウ?

ドイツ大使館の赤い門
以前この赤い門について調べたけれどわからないと書きましたが、会員さん調べてくれたドイツ大使館発行の冊子に少しだけ書かれていました。ドイツ大使館になる前、明治時代の政治家小泉策太郎邸に移築された武家門とのことですが、それ以上のことはわからないそうです。時代劇に出てくる門は質素な造りのものが多いのですが、江戸時代の実際の武家門は朱塗りも多かったのでしょうか。風雨にさらされるので保護のためかな。


この先がフランス大使館
黒い車がかぶってしまって分かりにくいですがフランス大使公邸のグリーンの門があります。わざわざ遠くから撮ったのはコシノジュンコさんがこちらでレジオンドヌール勲章を授かったから。


天現寺

トリッパ

宝来湯
トリッパは食べたことがないのでわかりませんが、もつ煮でビールが恋しい!


首都高の右カーブ


スタジオ

ガーデンプレイス
首都高の下に緑地帯が見えています。当初の計画では白金自然教育園を首都高が突っ切る予定で買収されたところが緑地帯として残っています。迂回してくれてよかった!


恵比寿三越撤退跡


ビアステーション
ビアステーション、週末はお休みとのこと。元気に復活する日を待っています。


からくり時計ヱビスアワー始まりです
まず音楽が始まり扉が開きます。


バイエルンの州旗
青と白のドイツ南部バイエルン州の州旗を先頭にまず一周。


バックダンサーとOktoberfestのバナー
バックダンサーが現れ、オクトーバフェストのバナーがかかりました。



市長がビヤ樽の栓を開けると祭りの始まり
ビヤ樽の栓を開ける表現が難しかったのか、市長の後ろのジョッキのふたが開きました。


【参考】ミュンヘン新市庁舎の仕掛け時計グロッケンシュピール

【参考】オクトーバフェスト会場にいたかわいい女の子

【参考】御者と記念撮影
ヱビスアワーを見て懐かしい思い出がよみがえってきたので2009年ドイツ旅行の様子を引っ張り出してきました。振り返ればすこやか歩こう会メーンバーを誘って行った初めての旅行でした。旅行の様子はこちらのホームページから。


恵比寿南橋

NO!
恵比寿南橋の架け替え前の橋がセントルイスから運ばれてきたアメリカ橋でした。犬のサインに反応したのは「ノー」ではなく「ナンバーワン」に見えたから。スラング?でも大便はナンバーツーでした。


アバカンサス

恵比寿南公園は7月オープン

艦艇装備研究所
艦艇装備研究所の前身は江戸幕府が開いた火薬製造所です。木の水車でちまちま火薬を作っていたのかと想像していたのですが、鉄製の水車を高低差を利用し、三田用水からの水を落としていたとのこと。お台場のアームストロング砲が火を噴くことになればここで製造された火薬が使われました。


プリンスホテルの新業態

カシワバアジサイ
官舎跡地にできた野村不動産の建物にプリンスホテルが入っていることはあまり知られていないでしょう。
別所坂公園でストレッチをしておとなしく解散となりました。


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すこやか歩こう会推奨富士コース 約7.1km

2021-05-23 13:57:31 | 東京都目黒区、渋谷区
晴の予報だったのに朝の雨音にちょっとびっくりしましたが、その後の予報はどれも雨が上がるということなので活動を行う旨連絡しました。連絡を出したときにはすでに雨は上がっていましたね。



東大駒場正門前のバラ園
このコースのスタート地点は東大駒場の正門前。正門以外の門はすべて閉じられており、バラ園の前も通れなくなっていました。駒場バラの会の方がお手入れだけされているようできれいに咲いています。


井の頭線

坂下門閉鎖中

バラのきれいなお宅
東大の中を歩き北門に出たいところですがそれが出来ないので、駒場小学校の前を通り駒場公園へ向かいます。井の頭線の富士見が丘行きが入線してきて、ずいぶん前に酔っ払いを富士見が丘行きの終電に乗せたことを思い出し写真に撮っておきました。本人は吉祥寺まで行くと思って乗っていたけど、富士見が丘から歩いたんだろうと思います。


駒場公園和館(閉館中)

バラ園

洋館前の椎の木

ヤマボウシ

キノコ
駒場通りを歩き東口から駒場公園に入ります。林の中を歩きましたが、せっかくだから先週教えてもらったガーゴイルを見に行けばよかった。



ケルネル田圃
説明書きを見ると以前はレンゲを蒔いて鋤き込んでいたようですが、最近は一面のレンゲを見ることはなくなりました。前回同様一部のみ田植え済み。手植えなので田植えも遅いのかな。



駒場野公園のバラ園

カエデのヘリコプター

淡島通りのアジサイ
駒場野公園から淡島通りへ出て、大橋通りへ右折します。


官舎の抜け道


天覧台
抜け道ではなく官舎敷地内なのでしょうが、車の通行が少ないのでこの抜け道を歩く地元の人は多いようです。天覧台は官舎の敷地内にあり、Googleマップには何も記載されていないので文化財などではないようです。由来記を読むと明治天皇と大正天皇が帝国陸軍の演習を天覧した場所で、昭和初期に碑が立てられたこと。戦後碑文が抹消されていたが、復元されたことが書かれている。気になるのは「南朝祇園小山城小山若犬丸公後裔」。小山城は下野の国にあったとのこと。Wikipediaから小山若犬丸の項目を引用します。
小山 若犬丸(おやま わかいぬまる、生年未詳 - 応永4年(1397年)1月25日?)は、室町時代の小山氏の武将。小山義政の嫡男。小山 隆政(おやま たかまさ)とも。

幼名の若犬丸で知られる。ただし、「隆政」の名を後世の作為として、反逆者として追われていたために元服出来なかった、あるいは指導者としての神秘性を示すために意図的に元服しなかった説もある(彼の死去を伝える『本土寺過去帳』には「小山若犬明賢」とあり、幼名と法号のみが記されている)。

小山義政の乱の際、一時隠居した父に代わり家督を継いだといわれる。義政の敗死後、至徳3年(1386年)に挙兵、祇園城に立てこもったものの討伐され逃亡。この頃小田孝朝に匿われたが、後に所在が発覚し、小田氏が鎌倉公方足利氏満の討伐を受ける事になった。しかし彼は、所在が発覚した時点で既に逃亡しており、しばらく姿をくらました。応永3年(1396年)には新田氏や田村氏など宮方の残党と組んで挙兵したものの、氏満が討伐のため大軍を率いてくると敗北。一説に、徹底した氏満の捜索により、応永4年(1397年)正月25日に陸奥国会津にて自害したとも、又は更に逃亡し、蝦夷地に逃れたともいわれる。

若犬丸の遺児である7歳の宮犬丸と3歳の久犬丸は地元の蘆名氏によって捕えられて鎌倉に送られ、ほどなく武蔵国六浦沖に生きたまま籠に入れられて海に沈められ、ここに小山朝政以来の嫡流は完全に途絶えた。

この記述からすると末裔はいないはずですが。。。


オーパスブリッジ

ブリッジへのエレベーター

アカンサス
玉川通りをオーパスブリッジで渡ります。クロスエアタワーのエレベーターで9階まで行き、天空庭園へ出るのですが9階がワクチンの集団接種会場となっているので避けて、下から天空庭園へ向かいました。アカンサスは最近よく見るようになったと認識していたのですが、別名を「葉アザミ」といい皇居石橋前の鉄柵の飾りや明治生命館の柱の装飾に使われたりしています。


ユスラウメ

ブドウ

オルレア・グランディフローラ

ハマナスの実

カシワバアジサイ

芝生の断面サンプル

別名十両

カワラナデシコ

ミヤコグサ

クチナシ
天空庭園ではいろいろな花が目を楽しませてくれます。セリの一種だろうと思ったら聞いたこともない長い名前でした。センリョウ、マンリョウのほかにヒャクリョウ、ジュウリョウ、イチリョウもあると聞いていましたが、これらは別名で呼ばれているのでしょう。ミヤコグサに久しぶりに会いました。この日は旧山手通りでジャガランタを見て、こんなところにこんなの咲いているんだと発見が二つありました。


クラッカースタジオ

漬物のやまう
クラッカースタジオはやまうと同じ建物で、間借りしてるのかな。


やまうの前のアジサイ

赤い橋

かのうの錦鯉

タチアオイ
裏道をちょこちょこっと歩いて熱帯魚のかのうの前に。結果的に遠回りだったみたい。


すだち?

タケノコ
菅刈公園、西郷山公園は素通りです。西郷山公園の孟宗竹は鹿児島から贈られたもの。


エジプト大使館の黄金マスク

古代エジプトの落書き?

猿楽塚
エジプトの仲介したパレスチナの停戦、うまくいってほしいですね。


中目黒一丁目一番地区界の公園

恵比寿南三丁目区界の公園


アジサイ
槍ヶ崎交差点で駒沢通りを渡り、渋谷区との区界を歩き別所坂公園まで。ストレッチをして解散となりました。


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北部公園コース 約6.0km

2021-03-13 10:53:05 | 東京都目黒区、渋谷区

目黒川とアトラスタワー
雲があるものの晴天に恵まれたウォーキング日和となり、舟入場でストレッチをして田楽橋からお決まりのショットです。


ヒカンザクラ?
目黒川沿いに上流へ向かい皀樹橋の近くにちょっと目立つサクラ。色はヒカンザクラですが花のつき方が少し違う印象。近くで見ることが出来なかったのでヒカンザクラとしておきます。


ユキヤナギ


先日図鑑で「?」の名前を見つけたので写真に撮ってきましたが、今度はどの図鑑で見たのかわからなくなり結局名前が分かりません。こうして繰り返し図鑑を見返して、草木の名前を憶えてゆくのです。


ハナダイコン

サクラの一種?

ハナニラ

花壇のサクラソウ
菅刈公園もいろいろな花が咲いています。「サクラの一種?」はアンズかもしれません。トイレ休憩後、西郷山へ向かいます。


養命酒本社

神泉いちのや
養命酒の本社は神泉交差点近くの南平台にあります。角のNCRは住友の大きなビルに変わりました。このあたりは高校生時代から通っていて大きく変貌する様子をずっと見てきたところ。かつて養命酒の並びに小さな碁盤屋さんがありました。長沼スクール日本語学校は変わらず存在しています。川越のうなぎの名店いちのや。川越に行けなければこちらで食せばいいのですが、やっぱり川越がいいなぁ!


山手通り

コブシ



村松幼稚園
本来のコースは淡島通り→松見坂交差点→駒場バラ園→東大炊事門のルートなのですが、東大の中を歩けないのでう回路をいろいろ考えます。山手通りはよく利用するう回路ですが、今回は一本東側の松涛二丁目を歩いてみました。松涛の名前は、維新後武士の転職のため鍋島藩が開いた茶園「松濤園」に由来します。東海道線が開通すると汽車で静岡の安い茶葉が東京に運ばれ、松濤園は採算が取れなくなってしまいます。茶園の跡地が大きな区画で売り出されたので、お屋敷町となりました。すこやか歩こう会では初めて歩く道でした。


旧前田邸和館

旧前田邸洋館

武蔵野の面影?が残る園内

案内図
駒場公園で二度目のトイレ休憩を取り、園内を歩きます。案内図が新設されました。


駒場野公園正門

コヒガンザクラ
ゴール駒場野公園。咲きはじめたコヒガンザクラの下でストレッチをして解散しました。


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