色草の輝きハンドルを遊ばせて
晩秋の夜汽車「氷点」の街を過ぐ
散るのみの色葉に刻の還らざる
ドラマ「氷点」が人気再来の様だ。札幌と我が町との中間に"故三浦綾子”の舞台、旭川がある。去年の今頃の事だが、JR最終夜行で網走に帰る途中、旭川を過ぎるとめっきり街灯りが減り、そこからは単線に変った為か踏切がやたら多く感ずる。気温も下がったのだろう、急に曇り始めた車窓を拭いて映る点滅する踏切の赤灯と警報音の景のみが特別の事の様に頭に残って居る。それは「氷点」読者世代のイメ-ジが脳裏にあるからだろうか。
晩秋の夜汽車「氷点」の街を過ぐ
散るのみの色葉に刻の還らざる
ドラマ「氷点」が人気再来の様だ。札幌と我が町との中間に"故三浦綾子”の舞台、旭川がある。去年の今頃の事だが、JR最終夜行で網走に帰る途中、旭川を過ぎるとめっきり街灯りが減り、そこからは単線に変った為か踏切がやたら多く感ずる。気温も下がったのだろう、急に曇り始めた車窓を拭いて映る点滅する踏切の赤灯と警報音の景のみが特別の事の様に頭に残って居る。それは「氷点」読者世代のイメ-ジが脳裏にあるからだろうか。
散りゆく木々の葉の美しい光景と、来し方への
万感の思いが重なって捉えられています。
心に残ります。
私も随分以前にこの凄まじいサスペンスを読みました。夜汽車の音、時折近づき直ぐ消えていく踏切のカンカンカンの音、列車の振動と車両の雑音、窓外の町の灯など人間の感情をくすぐります。ストーリーの終末のやるせなさとともに、作者の気持ちがよく解ります。
しみじみとして、何か寂しくなってくる句です。おのれの年齢に重ねて読んでしまうからでしょうか。しかしながら、「いろはに・・」の語呂に馴染んでいて、読んでいると気が楽になってきます。
形あるものはいずれなくなるのごとく生も一緒ですね、色葉の綺麗さは短くそれだけに見入ります。常に今日とゆう日はないのだから楽しく大事にと弱い体のせいですね。
いつも拙い句に目お止めいただき有難うございます。
私の下記ブログもご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/petro2006/