きょうの俳句

癌と闘う自分への応援詩
--志賀たいじ[花冠同人]の俳句ブログ

きょうの俳句(10/31)ー牧閉す   

2007-10-31 08:31:54 | Weblog
黄落の触れむとすれば亦頻る
引取らる牛に草の香牧閉す
薄き葉の洩らす大樹の秋日差
葦の穂の風なき惰性もて傾ぐ

市営の放牧場が閉牧の日を迎えた。今年も句になる景が掴めればと思い覗いて来た。五ケ月間自由に放たれた牛たちは中々迎えに来た運搬車に乗りたがらない。尻を押すようにして引き取られる牛は丸々肥えて一寸草の香がした。

きょうの俳句(10/30)ー天高し   

2007-10-30 08:05:35 | Weblog
<座禅堂に>
警策や露霜に濡る枯山水
天高し棟のほぞ組む槌の音
薄き陽の牧柵と樹に小鳥来て
秋深し北防人の暮るる碑に

その昔ロシアの侵略に備え、江戸幕府から北辺の地の守備に派遣された津軽藩士が厳寒の気象と野菜不足からその半数が任務半ばに病死した余り知られていない史実がある。隣町にその慰霊碑があり地元では毎年盂蘭盆の時期に慰霊法要を行っているが北海道開拓以前のことだが北にも防人があった。冬の声が聞かれると思い出してお参りに訪れる愚生です。愈々当地にも11月初旬には初雪がありそうです。

きょうの俳句(10/29)ー秋空 

2007-10-29 09:37:40 | Weblog
朝露に濡らす睫毛や牧の牛
枯れいろの輝く時も枯尾花(推敲)
秋空や真下にとおす畳針
あしたとぶ高さは知らず草の絮

腰痛治療と膝関節のリハビリに通うのが日課になっているが、その治療院の隣が間口5間ほどの畳屋である。今は機械で縫っているが、今日は日和が良いからか表の戸を開け放って藺草のいい匂いが漂ってくる。治療中ずっと、幼い頃畳屋さんが表替えをする様子を一日中飽かずに眺めていたのを懐かしく思い浮かべていた。

きょうの俳句(10/27)ー露霜   

2007-10-27 10:01:27 | Weblog
露霜のひかりに失せしささめごと
空高し飛天のごとき雲ひろぐ
吊橋の躊躇いもせず峪紅葉
往来の先は魚河岸鮭を積む

昔は河岸の荷揚げ場一面に広げた鮭を糶る片端から人力で車に積んで加工場に運びこんだものだ。今は氷を張ったステンレスタンクに入れたものをリフトでトラックへ積んでは搬出する。だから車の台数も往来も激しくなる。食の安全性を高める為により衛生的措置は結構なのだが意識の高揚の方も大切だと思う。
食の供給業者や行政が安易に安心、安全と口にするが、安心は消費者が判断する基準であって供給側が使う言葉は安全だけだ。最近の食の事件には確信的な詐欺から、省庁別の縦割りの法の不備から生まれたものまで、その幅は限りなく大きい。しかしマスコミの同列の扱いに消費者は翻弄されてるのが現状ある、ものの本質を見誤らない様にしたいものです。水煙俳句の本質を見極めることの教えはなにものにも通するものと思います。
      

きょうの俳句(10/26)ー秋の声   

2007-10-26 11:08:17 | Weblog
鮭寿しの笹採る沢に秋の声 
二人居のひとりの時の椋を詠む 
今日も亦ときめく七十に小鳥来る
綿虫のふうっと現われすっと消え
黄落の宴のあとの梢透く

今年は日中は温かいが朝夕の冷え込みは厳しい。そのせいか紅葉が近年になく美しい。 夕方妻が息子の嫁と立ち話をしていると雪蛍が"ふうっと現われすっと去った"と言う。明朝は霜かも知れぬとも言はれたが案の定随分と寒い朝になった。

きょうの俳句(10/25)ー秋耕   

2007-10-25 08:03:36 | Weblog
穫り終えて秋耕の土黒々と
霜除けの棚引く煙り畑潤む
霜よけの残煙くすぶる朝の陽に

まだ収穫の遅れている農作物があるのだろうか、朝9時だというのに畑の窪みに煙が漂う、農道の傍には霜よけに燻したであろう藁屑やもみ殻の灰が黒っぽく積み上げられ、いまだに薄っすら煙りを上げている。遠くで見たことはあるが農道を走らせた車窓からこんな近くで見たのは始めてである。 

きょうの俳句(10/24)--10月オンライン(十三夜)句会投句  

2007-10-24 07:45:11 | Weblog
<10月オンライン(十三夜)句会投句>
・昏れてきて中天の月潤いぬ
・竹箒忘れし庭の月のかげ

(高橋正子先生特選)
・晒し水平らにあふれ十三夜
桶だろうか。水を静かに流して何かを晒している。その水平らににあふれている。十三夜の趣をたっぷりと伝えている。(高橋正子)

上句に今回正子先生特選とコメントを戴きとても有難く、思いもよらぬ事なので嬉しさも一入です。この処いい句が出来ずにいるので励みになります。
この句の背景は急に気温が低くなったので例年より少しは早いと思いつつ、妻も高齢になったので例年より量も減らし、飯寿用の鮭の切身や氷頭等の生臭さを抜くため大きな桶に流水で3日間ほど晒し始めた処だった。水量も多くと時間が長いので外で行うが、一枚の幕の様に溢れた冷水が、月あかりに映えて趣のある景を演出していて、これだと思い一句詠んだものでした。

きょうの俳句(10/23)ー草紅葉   

2007-10-23 08:45:38 | Weblog
落陽にきらめく細(さ)波花すすき
山越えて風やわらかに草紅葉
実ハマナスの香に蘇る叢の中

花の殆どが終りを迎える原生の花園をゆく私を足止めするかに、叢の葉陰に忘れかけたハマナスの実が香って惹きつけた。



<十三夜句--午後5時半嘱目>
昏れてきて中天の月潤いぬ
十三夜うさぎの影も潤いに

昨夜に比べ雲で少々危なげだ今年の十三夜は当地でも良く見える。満月ではないが確かに趣のある月だ。 月出が午後3時10分、日入が午後4時30分だから、5時半にはすっかり空が昏くなった。月の出を待つのではなく、既に昇った月が昏くなってゆく中でその表情を変える、潤いと言おうか何となくしっとりとした情味が十五夜にはないものを十三夜の月に感じた。

きょうの俳句(10/22)ー小菊   

2007-10-22 08:58:28 | Weblog
境なく黄いろが寄り添う路地小菊
鬼灯に季(とき)の移りを想いけり
黄落のきらめく風にショパン聴く

花瓶に差した鬼灯の朱色がいつまでも褪めずにずっと明るさを失わない。見詰めれば見詰めるほどに辺りの変化の速さが目に付き秋の深まりを感ずる。隣接の高校からは文化祭の練習だろうか、ピアノソロの練習音が聞え校庭の黄葉が頻りに散る光景にも深まる秋を強く感じた。

きょうの俳句(10/21)ー葦の花   

2007-10-21 08:29:41 | Weblog
紅葉の水辺に群れて渡り鳥
昃けば湖辺に葉ずれ葦の花
黄落の憩うベンチに陽の匂い

湖畔沿いの道を走る。スピ-ドを落とし紅葉の山の方をちらちら見る私に、助手席の妻が"もうこんなにコハクチョウが来ている"と告げる。空を渡る鳥を目にする様になったが、今が盛りの紅葉を映す湖面に羽根を休める鳥たちを見ていると、もう彼らの冬は始まっているのだと思った。

きょうの俳句(10/20)ー鳥渡る   

2007-10-20 09:12:12 | Weblog
寺と社一山にあり紅葉路
鳥渡るポプラきらきら同じ空
待たされて皆患者の顔に秋の午後

昨日は月一度の札幌からの出張専門医の診療と検査でほぼ一日かかった。新装の病院の構えはまるでホテルの様に豪華だが、医師不足なのか、病人が多いのか、予約時間があっても何時間も待たされては、最初元気そうでこの人何処が悪いのだろうと思って見ていた人の顔が皆病人の顔になっていく様に見える。思わず私も外が見えるガラスに顔を映して見た。外は陽が低く西へ移していた。

きょうの俳句(10/19)ー秋の山   

2007-10-19 08:50:37 | Weblog
入日濃しふところ深く秋の山
行く秋や目に点眼のしみとおる
<北海道日ハム・パリ-グ・クライマックス優勝>
祝杯の歓声に秋の夜は更けず

昨夜の過疎の街はパ・リ-グ・クライマックスシリ-ズ、日ハム優勝の祝杯の歓声に包まれた。ずっと続く沈滞ム-ドの中での元気付けられたニュ-スに人の集まる所、どこもが夜を忘れて喜びに沸いた。騒音に寝付かれぬ人も居ただろうが住民皆が昨夜は寛容だったろう。

きょうの俳句(10/18)ー野分立つ  

2007-10-18 08:34:09 | Weblog
紅葉山配色あれこれ合わせても
昃けば色濃き十字架秋天に
野分立つ笠を深めに親鸞像

私は大谷派門徒だが今日の知人の通夜は浄土真宗本願寺派の寺院で行われた。天候の崩れる前兆だろうか、折からの秋の強風で山門を入ってほっと一息ぬいた脇に親鸞像があった。 愚禿釋親鸞の布教行の像であろう、席についても暫し、かって読んだ寒空の下の親鸞の苦悩の時代の一景を思い浮かべて居た。