きょうの俳句

癌と闘う自分への応援詩
--志賀たいじ[花冠同人]の俳句ブログ

きょうの俳句【8/31(日)】

2008-08-31 15:48:50 | Weblog
入院と知る人のなく処暑の雨
稲妻の遠くの闇を裂きにけり
抗癌剤効きて禿頭秋涼し
唐黍に齧(かぶ)り付きたり空高し
白桃のお下がりとなる匂いかな
何時か来た秋桜と行くおなじ道
角袋ぬぎしや鹿声こだまして
イアホンを外せば頻り蝉のこえ
赤信号ゆらり横切る蜻蛉かな

一日外泊、自宅に帰ったが、わが家はやはり良い。早く帰る様に努めねばならないと改めて思う。来月は義母の祥月命日だが墓参りだ出来そうもないので、繰り上げて行って来る。また友の法事に出れないので半日かかりで焼香だけに行ってくる。 まだ一週程なのに随分宿題が残っている様な気がする。只、私にとっては、往復の車の中から見聞し触れる自然や風景、出来事が楽しい。ここ数日から今日の駄作までを"きょうの俳句"として書き込んで置く。

きょうの俳句【8/25(月)】

2008-08-25 08:00:10 | Weblog
糸とんぼ寄る辺さびしく水に触る
八重葎野をゆく我に付いてくる
心音の静かに伝わる夜の長し
街の樹の古巣透きくる風に秋
再びの入院われに処暑の雨

都合により当分の間休みます。

きょうの俳句【8/24(日)】

2008-08-24 07:07:17 | Weblog
虎杖の人なき海辺花の起つ
秋涼し風鈴はずし何吊らむ
コスモスの咲き狂う夏越しにけり

低温の夏が続き花もバイオリズムが狂ったのだろうか、早くからコスモスが咲いて皆が首を傾げていたが、この処の秋めく気候にやっと納得した景色になった。むしろ、ここ数日は晩秋を思わせる程の低温。 狂いと言えば虎杖の花は遅れて今が盛り、天に向って薄白い花をたわわに揺れる様は何もない海辺に立つと壮観である。 虎杖の花にこんな感じを持ったのは80年近く生きていて初めてである。入院を控え、風鈴を仕舞ったが、考えてみると吊っていた釘は風鈴の為のものでなく、何でも吊るしたものだった事に気付いた。

きょうの俳句【8/23(土)】

2008-08-23 10:25:00 | Weblog
白月に反る枝叢々と萩乱る
鈴虫の鳴くまま時のゆくままに
虫のこえ和し重ねあい響き合い

東京の孫の為に用意した鈴虫、昼夜を問わずよく鳴く。母子で土を替え餌を与えたせいかとても鳴き声が良くなった気がする。マンション住まいを気遣ったものか、病気で家に籠り勝ちの私のためか、東京に発つ時は鈴虫も持って行く様に言って置いたのだが、カブトムシは持ったが鈴虫はそのままだった。わが家は久しき鈴虫と蟋蟀のこえに包まれている。

きょうの俳句【8/22(金)】

2008-08-22 07:15:02 | Weblog
ハマナスの残花に昔の雨降りぬ
秋涼し昏るる泊船灯が点り
手花火を点しつづけて夜を惜しむ

検査で順調な治療効果が確認の一方で他の臓器の腫れが見つかり、そちらへ治療重点を変えるため再入院する事になった。退院直後は漠然だがこの次に入院する時は厳しい状況を考えていたが、今はそんな逼迫感はない。人間って勝手で入院したものの調子が順調の時は恐らく退屈で時間を持て余すだろう。こんな時、何かに打込める人は良いが無趣味の人ほど病人になりきってしまう様だ。集中力が保てない今の私の句には惰性で詠むものが多く得心の句はないのだが、ただ詠むことで生きている証の喜びを持てる事は幸せな事だ。
当ブログへの書込みは当分出来ぬだろう。一時帰宅の機会まではお預けになりそうだ。 来週には病院のベットが空く。

 きょうの俳句【8/14(金)】

2008-08-14 07:37:10 | Weblog
街空にたかぶる宵の祭笛
街の樹にはや色付きぬナナカマド

当地の盆は新暦で終わっている。今日からは年一度の神社祭りなのだが、盆帰省の家族にあわせ二度迎える家が多い。祭りと盆を迎える形で、里の親達には楽しいひと時です。

 きょうの俳句【8/12(火)】

2008-08-12 07:24:34 | Weblog
真っ向うの野の何処かぎっちょ鳴く
里に来し孫へ鈴虫音のしきり
秋刀魚焼く匂いや路地に灯が点る

昔は振り向けば何処にでも虫という世界の北国だったが、今では山深く入り案内者が居ないとカブトムシに出会えないという。キリギリスだけは向いの野原に声がする。虫好きの東京の孫をカブトムシ探しは自信がないという長男の嫁が連れて行ったが空振りに終わった。案じた老妻が市販のカブトムシの雄と鈴虫を買って来た。私らの幼い頃には考えられぬ事、今は簡単にお金で手に入る、そんな虫には自然に触れる何か大事なものがない気がした。でも久しぶりに聞く虫の音に懐かしさが戻った。

 きょうの俳句【8/10(日)】

2008-08-10 07:58:03 | Weblog
誰が降らす雨ぞ優しき夜の秋
盆休みわれもわれもと子ら肩に
水の面に秋づく雲や吾が思い

東京の孫が来て一気に我が家が狭く賑やかになった。普段は仕事本位で遊んでやれずにいるのだろう、父親の肩が空く間がないスキンシップ、自分にもこんな時代があった子が子らの親となったと目を細めて思いを馳せた。寝苦しい夏の暑さの続いた当地も立秋の夜雨のあとは18℃前後とぐっと涼しい、このまま秋へ向うのだろうか。

 きょうの俳句【8/8(金)】

2008-08-08 08:15:43 | Weblog
足裏に絨毯ひんやり今朝の秋
月傾ぎ天穹わたる天の川

七夕にこんな綺麗な天の川を見たのは幾年振りであろうか。宵の上弦の月が傾ぎ落ちる頃には漆黒の大空一杯に鏤めた星に、年甲斐もなく心ならずも童心に帰った思いである。何かいいことがありそう、思わず浮かんだ一句です。

 きょうの俳句【8/7木)】

2008-08-07 09:39:14 | Weblog
七曜をひと跳びに孫帰省の日
向日葵の一花に一景夕映る

北国にも短い夏を惜しむかのように天気予報を裏切って真夏日が続いている。低温が続いていて作の遅れを心配していた農家には、今度は雨が欲しいくらいでしょう。夕暮れの涼風に打たれながら眺めるこの時期の向日葵が美しい。孫たちが帰って来るのももう直き、夏の終りの一日は足早である。

 きょうの俳句【8/6(水)】

2008-08-06 12:02:18 | Weblog
紫陽花の滴に染まるいろのなく
<原爆の日に>
ミサの鐘梵鐘に和し原爆忌
佛塔の水煙はるかに雲の峰

紫陽花が夜半の雨に濡れて美しい朝だった。今日は原爆の日、63年経た今もいろいろの意味をこめて忘れ得ぬ日、忘れてはならぬ日です。血液検査に通院の途中教会の前を通る。入院中は9階病棟から見下ろしていた教会だが、厳かな雰囲気が漂う。今日は一般の人にも平和の祈りのミサへの参加の呼びかけがあったせいか人影も多い。私の菩提寺でも同じ様な呼びかけがあった。教会の鐘の音に梵鐘が和してとても和やか気分である。心の中から平和を祈る鐘の音である。

 きょうの俳句【8/5(火)】

2008-08-05 08:31:40 | Weblog
残照にほてりし階のわが影よ
餌乞いに小鳥寄りくる日の盛り
砂躍る小宇宙夏の汐溜り

最近の投句に紫陽花の句が少なくなった処を見ると本州では終わったのであろう今日当地の紫陽花の毬も今が盛りである。ところで植物の葉をよく料理の飾り葉に使う事があるが、よく使われる大葉に似た紫陽花は有毒なのだそうである。要注意と保健所の広報である。アジサイには青酸配糖体を含み、胃の中の酵素と反応してシアンを発生させおう吐や失神、呼吸麻痺も起すことがあるそうな。 スイセンの有毒性は聞いたことがあるが用心の事。俳句になる身近な植物なだけに気になった。